OVER THE TROUBLE ~組織壊滅編本編~ 3 「パンドラの箱……か」 沈黙を破ったのはルートヴィヒだった。 「ヴェー……ヘラクレス兄ちゃんとこの神話に出てくるよね」 パンドラという女性が開けた箱からは、様々な災厄が出て来たが、急いで蓋をした為、希望だけは残っているという。このパンドラという女性は、ギリシャ神話の地上最初の女である。――なお、このエピソードは、広辞苑にも載っている。 「希望というのは、この場合マシューさんのことでしょうか……」 菊が口を挟む。 「マシュー……」 フランシスはいらついているように、指で手の甲をとんとんと叩いた。 「どっちかっていうと、パンドラだろ、あいつは。まぁ、地味過ぎて力不足かもしれないけどな」 ギルベルトが言う。 「なんだと? 確かにマシューは地味で目立たないが、いいヤツなんだぞ」 アルフレッドが反駁する。 (こういう場合、反論するのはお兄さんの役目なんだけどな。アルフレッドにいいとこ取られちまったぜ) フランシスは悔しげに心の中で舌打ちをした。 「だから。俺は思ったことを口にしただけだって」 「今のは兄さんが悪い」 ルートヴィヒに断言されて、ちぇーとか言いながら、ギルベルトは椅子に凭れかかる。 「それで……まぁ、箱っていうのは比喩なんだと俺は思うけどね……」 ジョン・スミスが続ける。 「それより、マシューはどうなるんだ」 フランシスがいささか語気強く、ジョン・スミスに尋ねる。 「んー、『赤い三月』が壊滅した以上、敵さんも黙っていないだろうし――」 ジョン・スミスが更に言い募ろうとした時だった。 「ウリナラマンセ―ーーーーーーー!!」 ばんっと扉が開いて、くるんに顔のある黒髪の青年が入ってきた。民族衣装と思われる服を纏っている。 「世界のイ・ヨンス、ただいま参上!」 この男の登場に、全員が脱力した。 (うるさいのが来た……) 多分、みなそう思っているであろう。 「騒がしいある。おまえ」 王耀が兄貴としてイ・ヨンスを窘める。 「久しぶりなんだぜ、兄貴。兄貴探してたらここだっていうから……なんか会議とかしてるらしいから、とりあえず目立とうと思ったんだぜ」 普通逆だろ?! 会議だから静かに入ろうとか、そういう心遣いが、おまえには全くないんかい! 全員、多かれ少なかれそういう気持ちだったが、声に出す気力はない。イ・ヨンスの異様なバイタリティーは、人を疲れさせる。 「もっと凝った演出の方がよかったんだぜ。これじゃありきたりなんだぜ――む?!」 耀の隣にいる青年を見かけた時、ヨンスのセンサーがキュピーンと反応した。 「誰だ、おまえ。兄貴の隣は俺って、決まってるんだぜ。さっさとどくんだぜ」 「兄貴……? てことは、この人は男?」 驚愕の事実に、ジョン・スミスの目が開かれる。でも、少し悩んだ後―― 「んー、まっいっか。こんなに綺麗なんだし」 と開き直った。 こんな時、いつものフランシスならば、 「おー、アンタ、男でもイケるクチか。お兄さんと一緒だねぇ」 と軽口のひとつも叩くところであろうが、今はそれどころではないらしい。 「兄貴は俺のなんだぜ。兄貴の起源も俺なんだぜ」 と、ヨンスがジョン・スミスに対して言い放つ。 「また起源ですか……」 ヨンスのいつもの癖に、菊は諦めたような呟きをもらす。 「えー。この人は俺のだよー。そう決めたもん。で、綺麗なお兄さん、名前なんて言うの?」 ジョン・スミスがナンパモードに走っている。 「王耀なんだぜ」 「おまえには訊いてないっつの」 ジョン・スミスは、ヨンスに対して喧嘩腰だ。 「俺と兄貴の間には、それはそれは深い深い絆があるんだぜ」 できれば断ち切りたい絆だ。 「ふーん。一緒にいた時間の長さで威張られたくないなぁ。この人と俺とは初対面だけど、フォーリンラブしたんだよ。ねぇ、こんな会議ほっぽってどっか遊びに行こうよー」 「だめだ」 ルートヴィヒがきっぱりと言った。 「一国の運命がかかっているんだ。しっかりやれ」 「そうだったな。可哀想なマシューくんの危機だったんだな。こいつに撹乱されて忘れてたぜ」 ジョン・スミスが親指でヨンスの方を指差す。 「何とでも言うがいいんだぜ。兄貴は俺のなんだぜ」 前に言ったセリフを繰り返した後、しかし、やはり事の重大さが飲み込めたのか、ヨンスは黙った。耀の左隣にちゃっかり席を用意して。 「それで? ジョン。君の意見を聞かせてもらおうか」 アルフレッドが仕切り直す。アーサーは面白くもなさそうにそちらを見遣る。 「それでって?」 ジョン・スミスはきょとんとしていた。 「それでって――君は何かアイディアがあったんではないのかい?!」 「無茶言うなよぉ。K国なんて、小国だけど、ひとつの国なんだよ。一介のスパイがどうこうできるもんじゃなし」 「――だが、あいつらはマシューを狙っている。傷つけてみろ。俺が許さないんだぞ」 アルフレッドは拳を力いっぱい握った。 「アル……」 アーサーは、気遣わしげにアルフレッドに目を遣った。彼とて気持ちは同じなのである。 「僕も、マシューくんは欲しいからね。K国なんかに取られたくないよ」 イヴァンがのんびりと口にする。この男が言うと、独特の迫力がある。 素朴に残酷。彼が恐れられてる所以である。しかし、味方であればこうまで力強い存在もない。 「フェリクスとトーリスも呼ぶか?」 「そうだね。味方は多ければ多い程いい」 アーサーの提案に、珍しくアルフレッドが賛成した。 「味方なら、私にも心当たりがあるのですが……」 菊が言いかけた時―― またもや会議室の扉が開かれた。 ローデリヒとエリザベータが入ってきた。 「話は聞きました。私どももぜひ参戦させてください!」 ローデリヒの言葉に、ギルベルトは渋い顔をした。 「んなこと言ったってなぁ……おまえ、使えないし」 「失敬な。そんなことはありませんよ。お馬鹿さん!」 「じゃあ、なんかできるって言うのかよ。おまえが戦いに強かったのって、過去のことだろ?」 「勝手に過去にしないでください。私にだってできることがあります!」 「ほう、たとえば?」 「あそこにピアノがありますね」 ローデリヒはピアノを指差した。ちょうどお誂え向きにピアノがあったのだ。 「今からショパンを弾きます」 「ショパンでもシューベルトでも勝手に弾きな。こんなヤツよりフェリクスの方がまだ戦力になるぜ」 「音楽は心を静るんですよ。お馬鹿さん」 「あーもう、これじゃグダグダだよ! 一致団結しなきゃならない時に!」 アルフレッドが頭を抱えるのも無理はなかった。肝心の議題はどこかに置き忘れ去られたように見える。 フランシスが立ち上がった。 「お兄さん、もう我慢できない! マシューのところ行ってくる!」 後書き 予告編と違ってきちゃいました。 4へ→ |