バニーと虎徹のある日の事情

4.歯磨きしましょ

 虎徹が台所に行って水で皿を洗おうとした時だった。
「――虎徹さん。うちには全自動食器洗濯機がありますから」
 と、バニーが指摘した。
「ああ、そうだったな。つい昔の習慣で」
 お金持ちはいいよな。虎徹は密かに心の中で呟いた。
「でも、たまには水洗いという原始的な方法で洗うのも良いでしょう」
「イヤミか? それは」
「とんでもない!」
 バニーに他意はなさそうだった。虎徹は、ほ、と一つ溜息を吐いた。
「食器用石鹸なら一応あります。それ使ってください」
「へーい」
 虎徹が汚れた皿を洗っていると、バニーが後ろから手を掴んで来た。
「バニーちゃん……皿洗えないんだけど」
「ちょっと……このままでいさせてください」
 バニーが虎徹の髪に顔を埋めるのがわかって、虎徹の頬に血が上る。
「残念だけど今は――」
「僕も手伝いますよ」
「――なんか、苦労が二倍になった気がする」
 それでも何とか洗い終わり、拭き方をし始めた。バニーは虎徹の頭に鼻をすりつけて、その後止めたと思ったら――。
 ――ふっと、バニーが耳元に吐息を吹きかける。虎徹は皿を取り落とすところだった。
「危ねぇなぁ。落としたらどうすんだよ!」
「油断は禁物ですよ。おじさん」
「――はっ、どうせおじさんだよ」
 虎徹はそのおじさんを欲しているのはどこの誰でしょうかねぇ、と言おうとしたが、世にも恥ずかしい台詞が返って来そうな気がして黙っていた。
 どうせ主導権はバニーが握っているのだ。――虎徹はまた、溜息を一つ吐いた。
 バニーが腰をグラインドさせる。
「おわっ!」
 二人は繋がったままなのだ。ダイレクトに腰に響いて、虎徹はあまり色っぽくない声を上げる。
「ふふっ」
「――バ……二ィ……!」
 虎徹はバニーの方に顔だけ振り向く。視界に入ったバニーの顔は幸せそうだった。
「ねぇ、虎徹さん」
「……何だよ」
「――僕はずっとこうしたかったんですよ」
 何がか。24時間ずっと繋がっていることがか。
「虎徹さんの体が僕のを柔らかく締め付けて――気持ちいいです。突かれるのも気持ちいいかな。今度やってみません」
 まぁ、相手がバニーなら……。
 待て待て! 鏑木虎徹! 一時の感情で血迷っちゃダメだ!
 俺には家族がある。バニーの慰み物として一生を終えるつもりはない。――そうなってもいいかな、という気持ちは少しはあるが。
(ああ、ごめん。母ちゃん……俺は野郎に後ろを突かれてよがっている変態になり下がってしまったよ……)
 楓にも、この姿は絶対見られたくない。ああ、それに――
(友恵……)
 バニーに会うことなく、亡くなってしまった元妻の名前を心の奥で呼んだ。彼女が天国からこの様子を見たら、何て言うか……。
(すまねぇ、友恵……)
「ほら、手がお留守になってしまってますよ」
「ああ、ごめん」
「何か考え事ですか?」
「おまえには――関係ねぇよ」
 バニーは虎徹をぎゅっと抱き締めた。
「ねぇ、虎徹さん」
「ん……」
「僕達、バディですよね」
「……ああ、まぁな」
「んじゃ、隠し事はしないでください」
「――悪かったよ。実は家族のこと考えてたんだ」
「懐かしい?」
「――それもあるけど、変態になってごめんって、謝ったよ」
 虎徹は軽く笑った。
「愛し合うことのどこが変態ですか」
 バニーの声には真剣味があった。思わず虎徹が怯む。
「あっ、えっと……だから……」
「方法がお気に召さないなら変えますけど?」
「い、いい! これでいい!」
「良かった。ほっとしました。今日は虎徹さんは僕のものですからね。でなかったらこんな無体なことしませんよ」
 わかってんじゃねぇか。自覚してんのか?
「あっ!」
「――今度は何だ」
「歯磨きするの忘れてました」
 朝、歯磨きするのはバニー、そして虎徹のいつもの習慣だ。
「あ、俺もだ」
「すみません。虎徹さん。早く繋がりたくて――」
「――もしかして俺のせい?」
「いえ。そうは言ってません。いや、やはりそうなのかな……虎徹さんがあんまり可愛いものだから……」
 髭を生やした中年オヤジを可愛いと表現するのはおまえくらいのもんだぞ、バニー。
 虎徹の着用している裸エプロンの股間の部分は雄々しく盛り上がったままだ。先走りの蜜でそこが濡れている。
「バニーちゃん。俺、シャワーも浴びたいんだけど……」
「待っててください。先に歯磨きを片付けなければ……」
 虎徹とバニーはふらふらと洗面所に向かう。
(――また変なプレイやらかすのかなぁ……)
 でも、それを本気で拒否するほど、虎徹はバニーのこと、嫌ってはいない。
 それに、同じ男だからわかる気がするのだ。日常生活を全てセックスプレイで埋め尽くしたいというのは、愛する恋人のいる男達の願望だろう。
「はい。虎徹さん。口を開けてください」
 バニーは歯磨き粉を乗せた緑の歯ブラシを虎徹の目の前に差し出す。緑の歯ブラシは虎徹の物と決まっている。
 ――虎徹は素直に口を開く。
 歯ブラシは、バニーの指の如くに歯列をまさぐり、口内を蹂躙する。
 舌にミントの味が広がる。
「ま……まっへ……」
 虎徹は、ま、待って――と言おうとしたのだ。だがもう遅い。
 歯磨き粉の混ざった一筋の唾液の糸が床に落ちる。
「大丈夫ですよ。後で拭いておきますから」
 鏡の中のバニーは満開の笑顔だ。
 口蓋や舌も歯ブラシの先で擦られて、くすぐったい――というよりもっとダイレクトな感覚だ。何だかぞわぞわする。それは、性感に似ていた。
「はん……はん……はんーっ!」
 自分の声にも艶が混じるようで恥ずかしい。
「へぇ……やっぱりここも良かったんですか。じゃ、虎徹さん、うがいをどうぞ」
 うがいをすると、バニーが虎徹の歯ブラシで自分の歯を磨き始めた。
 何で俺の使うかなぁ、バニーちゃんのは別にあるのに――と、虎徹は思った。
 ――ちなみにバニーのは赤い歯ブラシである。それは寂しくコップの中で所有者に使われるのを待っているように見えた。

2013.11.8

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