ニールの明日

第四十五話

「マリナ様ー」
「何見てるのー?」
「わぁっ、人がいっぱいいるー」
子供達がモニターの向こうに集まっていた。ニール達からは、ピースサインしている子、頬をびろーんと左右に広げている子、マリナの隣を陣取ろうとしている子……そんな子供達がはしゃいでいた。
「ねぇ、みんな。私、今、お話し中なの。わかるかしら。ちゃんといい子にしてね」
マリナはおっとりした調子で注意した。上品なメゾソプラノ。けれど、生意気盛りの少年達には些か迫力不足なのでは、と思った時、
「皆さん、真面目にしなさい。でないとご飯抜きにしますよ」
厳しい声が飛んだ。眼鏡をかけた年増の美女からだ。
「やっべー、シーリンだ!」
「俺、飯抜きやだっ!」
子供達がモニターから離れた。
シーリン……マリナを連れて行ったという女。確か前にも会ったことがあるが、その時とは違い、ラフな格好なので誰かと思った。
「ふふふ、シーリンの言うことはみんな聞くのねぇ」
我慢できない、という風に、マリナはくすくすと笑った。
「姫様、貴女は一国の皇女なのだから、もっと毅然としていらっしゃい」
「あら、人間に貴賎はないはずでしょう?」
「それにしてもですねぇ……」
「ほら、子供達が見てますわ」
「姫様、はぐらかさないでください」
「あのー……マリナ様?」
刹那の脇からダシルがひょっこり顔を出した。
「今、どこにいらっしゃるのですか?」
「カタロンの……私達の基地よ」
マリナの代わりにシーリンが答えた。
「いえ、あの……具体的な場所は……」
「言う必要はないわね」
「待った」
ライルのよく通る声が響く。
「ジーン1」
シーリンが言った。それがニールの弟ライルのコードネームらしい。
「この人達は既に俺らの味方だ」
「ジーン1。すぐに人を信じるのは貴方の悪い癖ね」
「いや、この人達は信用できる。――王留美」
ライルが王留美を促した。
「私達の組織、ソレスタル・ビーイングは、貴方がたカタロンの活動を支援しますわ」
「ほんとに?」
シーリンは多少毒気を抜かれたようだった。
「ええ。ソレスタル・ビーイングと王家の責任にかけて」
「お嬢様……」
紅龍が呟くように呼ぶ。
「…………」
ニールは黙ってこの様子を見ていた。
モニターに視線を移すと、シーリンは疑わしそうな顔をしていた。
無理もない。
CBの王留美といえば、頭脳としたたかさで有名だ。それが突然、カタロンに手を貸すというのだ。さっきは事の重大さが飲み込めなかったが、王留美の発言は世界の有力者を動かす。それほど、王家の当主の影響は大きいのだ。考えてみれば大変なことだ。
どうして紅龍が王家の当主の椅子を辞退したか詳しくはよくわからないが、余程の野心家でもない限り敬遠したくもなるであろう。
「私達はアザディスタンに叛旗を翻したのですよ」
「アザディスタンをこっち側につけりゃいいだけじゃねぇか」
ライルが言った。
「だからこそマリナ姫を誘拐したんだろう?」
「誘拐ですって?私は姫様に協力を仰ごうと……」
「どんなに言葉を飾ろうと、俺達はアザディスタンのシンボル、マリナ・イスマイール皇女をさらったことに変わりはないんだぜ」
「そ……そうですわ。シーリン様。マリナ様を私達の手元に返してください。姫様は私達の姫様なのです」
お手伝いの女性が、勇気を出して言った。例えその声が震えていても。
「マリナ姫は渡しません」
シーリンはきっぱりと言い切った。
「マリナ……おまえはどう思う」
刹那はマリナ本人にきいた。
「正直言って……私は戦争には今も反対です。人を殺すことでは平和は訪れません」
「では、どうしてカタロンの肩を持つ」
「あの子供達……孤児達の笑顔を見ると……捨ててはおけません」
「アンタは皇女じゃない。この国の母だ」
「ありがとう」
マリナがふわりと微笑んだ。
シーリンの表情も、さっきよりは和やかなものに変わっている。
「それで?マリナ姫は返してくれんのかい。シーリンさん」
ニールが質問した。
「今のままでは無理ね。会って欲しい人がいるの」
「誰だい」
「クラウス・グラード。私の恋人よ」
「やっぱりこの誘拐劇はクラウスが考えたのか」
ライルが口を挟んだ。
「いいえ。考案したのは私よ」
と、シーリン。
「私達の基地に来てくださる?案内はジーン1に任せるわ」
「なんだかんだ言ってアンタも俺のこと信じてくれてるんじゃねぇか」
「人間を信じられなくなったら、無人島ででも暮らす他なくなるわ。では、お願いね」
「マリナ様、お話終わった?」
子供の一人が舌っ足らずな声で喋った。
「ええ。私の方は」
「こっちも終わったわ。それでは、待ってるわよ」
通信が途切れた。

2012.10.6


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