ニールの明日

第四話

小型艇に海水が入ってくる。穴が開いたのだ。
ニールはそこから這い出て、目の前を通り過ぎる船に助けを呼んだ。小型艇はボコボコと泡を噴きながら沈んでしまった。
「おーい、助けてくれー!」
ニールは泳ぎも得意だったが、ここは船に助けを求めた方が得策だと考えた。何せ、周囲の状況がよくわからないのだから。
船は漁船であった。近くに島もあるらしい。
(助かった……)
ニールは溜息をついた。だがまだ予断を許さない。刹那にも会えていないのだから。
(刹那、俺の弟分……俺の、恋人)
刹那の顔を思い出すだけで、胸が高鳴る。ああ、あの年下の勇敢な少年に、どうして骨絡み惚れてしまったのだろう。あの気高い魂に。
刹那、生きて、変われ……。
漁師の男達と会話を交わしたところによると、ソレスタルビーイングはまだ存在しているらしい。テレビもない、都会の喧騒から離れた小さな島の漁船にいる男達から聞けたこの情報は、ニールを喜ばすのに充分だった。
(刹那はまだそこにいるかもしれない)
ニールの目の前が希望に輝いた。
(刹那、待ってろよ)
アレルヤやティエリアの行方も知りたいが、とにもかくにも、まず刹那だ。
漁船で魚と酒を振る舞われた後、家に案内するという男達の誘いをニールは丁寧に辞した。一刻も早く情報の入って来るところに行きたい。
港には何そうもの船が停泊していた。
その中の尤も大きな船を調べ、倉庫に潜り込んだ。密航だ。
その船は、経済特区日本に行く船だった。
トウキョウには、まだあの頃の隠れ家が残っているかもしれない。愛しい刹那と二人でいくつもの夜を過ごしたあの部屋が。
思わず吐息が熱くなる。
(刹那…)
鳩尾の辺りが甘やかに痛む。
夜はゆっくりと過ぎていった。
伊達に裏社会のスナイパーとして活躍していたわけではない。その頃の自分を知っていた男に会った時には、驚くより先に笑ってしまった。
その男は今でもニールに同胞意識を持っているらしく、豪華な部屋に案内してくれた。ニールは密航者からVIPになったのである。
その時の生活を描写するのはさぞ楽しいことだろうと思うが、ニールは早く刹那に会いたがっているので先を急ぐ。
また仕事を世話する、という話を退け、いくつものターミナルを通り越し、トウキョウに着いた時には、すっかり寒さに覆われていた。
あれから…というのは、ニールが死んだ、と思われてからだが、数ヶ月もの月日が経っていたらしい。何となく予想は着いたことであったが、いざその事実に直面すると、なかなか慣れないものだ。
(俺は、何ヶ月も宇宙を漂っていたんだな)
それにしては、時間の感覚がおかしいが、あわや死ぬ目に合ったのだ、とあまり深く考えないことにした。というか、そんなに気にしていなかった。……今までは。
クリスマス。カップル達がぴったりと寄り添う季節。少なくとも、クリスチャン人口の少ない日本では。教会の礼拝に出席する俄かクリスチャンもいる。
あそこに赤いターバンを首に巻いた黒いくせっ毛の髪の少年と自分が歩いていてもおかしくないとさえ思った。
ニールは目をこすり、白昼夢を退ける。
ようやくだ。
ニールはマンションの前に立った。
口の中がからからに乾く。刹那がいるかどうかもわからないのに、心は刹那を求めてやまない。
「……よし!」
心臓が跳ねている。口から飛び出そうだ。
マンションの管理人は寝こけている。ニールも顔なじみの男だ。
暗証番号を打ち込んでオートロック式の鍵を開ける。
ふと、違和感を感じた。
「……刹那?」
思わず年若い恋人の少年の名が滑り出る。
ニールは急いで部屋に入った。
「刹那!」
その言葉に振り向いたのは……。
肩までの紫の髪、ふちなし眼鏡、女と見紛う白い小さな顔。眦の吊り上がったルビーの瞳。
「ティエリア……ティエリア・アーデ!」

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