ニールの明日

第三百四十六話

 ――刹那が扉を開けた。
「行くぞ」
「ああ」
 刹那の台詞にニールが答えた。刹那、そしてニールの順で部屋を後にする。ソランはまた夢の中に戻って行ってしまったようだ。
 キャットウォークの向こうから、バスケットを持ったアレルヤ・ハプティズムがやって来る。ティエリアも一緒だ。
「アレルヤ、ティエリア……おはよう……」
「うん。ちゃんと朝のご挨拶が出来て偉いな。刹那……」
 刹那の黒い髪をぐしゃぐしゃにすると、ぺん、と叩かれた。
「よぉ、お二人さん、ベルベットはどうした?」
「それは……クリスさんにお任せしようかと。スメラギさんも協力してくれるって言ってたし。ミレイナちゃんも――女性陣も皆、僕達の仲間だよ。な、そうだろ? ティエリア」
「――今更そんなことを訊くな。言われなくとも、CBに骨を埋める決意をした時から、ここの女性達も覚悟を決めている」
 そう、ここでは皆が仲間なのだ。
 ――それにしても、美味しそうな匂いがする。
「アレルヤ、何だそれ」
 ニールがバスケットを指差す。
「え? サンドイッチだよ。皆でつまめるように」
「そっか。気が利くな、アレルヤ」
「えへへ……」
 アレルヤが照れ笑いをする。髪で隠れた片方の目もきっと笑っているに違いない。
 ――ハレルヤ・ハプティズム。
 彼も、心の中では喜んでいるのではないだろうか。
「――僕の選んだ男なだけのことはあるよ」
 ティエリア・アーデが微笑みながら言う。この青年が素直になるのは珍しい。しかし、ティエリアは口を開かなければ美女で通る。――以前にもプロジェクトで必要としたせいで女装させられたことがあった。
 彼は、ヴェーダの言うことなら何でも聞いていたが、近頃少し変わって来たらしい。
 ヴェーダにリンク出来なくなったばかりではない。ティエリアには、アレルヤとベルベットがいる。
「食べようか。何か口に入れないと」
「そうだな。もりもり食べちまうぜ」
 ニールは食欲が旺盛だ。まだ若いからかもしれない。
「あんまり量はないんだけど……」
 アレルヤが済まなさそうに言う。
「どれどれ、何があるんだ……?」
「本当に何も……大したものはないんだけど……」
「謙遜はいい。アレルヤ、見せてやれ」
「――うん」
 アレルヤはバスケットを開けた。卵ときゅうりの定番サンドイッチ、ハムカツのサンドイッチ、ツナマヨのサンドイッチ、野菜のサンドイッチ、ピクルスと玉ねぎのサンドイッチ――。
「おお、うまそう!」
 ニールは生唾をごくんと飲み込む。
「――ありがとう、アレルヤ」
 刹那がアレルヤに礼を言う。成長したのか、それとも元からなのか、刹那は律儀な青年に育っていた。
「あ、麦茶もあるよ」
「遠足ではないんだがな、アレルヤ――」
 ティエリアが渋い顔をする。けれど、そんな表情でさえ、ティエリアは美形だから綺麗に見える。
「おかずも持って来られれば良かったんだけどねぇ……」
「いやいや、これで沢山沢山」
 ニールが思わず手を振った。刹那は吹き出した。
「でも、これだったらベルベットも誘えば良かったなぁ……」
「僕はベルベットをこれから始まる戦いに巻き込みたくない。それに……ベルベットはそっとしておいた方がいいと言ったのは君じゃないか」
「わかってるよ、ティエリア……だけど、ベルだって軽食を一緒に摘むくらいは良いと思ったんだ……」
「まぁ、それはそうだが――」
「あ、そいつはダメだ」
 ニールがとぼけたように言う。
「どうして?」とアレルヤ。
「だって、そうすると俺らの分がなくなるだろう」
 刹那、アレルヤ、ティエリアの三人がズッコケた。
「……ニール、お前な……」
「お前のことだから、もっと深遠な理由だと思ってたぞ」
「空腹を満たすことだって深遠な行動だろう――と言う訳であそこへ座ろう」
 ニールが窓際を指し示した。宇宙の星々が見えて良いロケーションだ。ニールは些か得意になっていた。
 ――皆も納得してくれたようだ。
「これ、もーらいっ」
 ニールがハムカツのサンドイッチを手に取る。
「こら、ニール。まずは『いただきます』の挨拶からだろう」
 なるほど、ティエリアの言う通りかもしれないな、とニールは思った。家族が生きていた時は、皆で神様に祈っていた。
 けれど――家族を救ってくれなかった神様なんて……自分とライルしか救ってくれなかった神様なんて……。
 刹那とは違う意味で、ニールも無神論者なのかもしれなかった。
 けれど、朝食の挨拶は大切だ。母がいたら説教されていたことだろう。ティエリアが母親代わりか――と思うと、ニールは些かしょっぱい気分になった。
 ――まぁ、いい。
「いただきます」
 朝の挨拶を皆で唱和した。ニールは少し体がほくほくして来た。
「ライルはどうしてる? あいつは呼ばないのか?」
 サンドイッチを頬張りながら刹那が言う。
「刹那。それならさっき――」
「ああ。アニューが朝ごはんを作ってくれるそうだ。あの時のライルの顔と来たら、デレデレとした締まりのないものだったな。まるでベルベットといる時のアレルヤだ」
「君だって、ベルが来てから顔つきが穏やかになったよ」
「――ふん」
 ニールは思った。痴話喧嘩ならよそでやってくれないかな。羨ましくなるから――と。
 刹那は少し、性格が老成しているようなところがある。ティエリアよりもだ。ティエリアは時々子供っぽい。
 それにしても――。
(俺達はこれからリボンズと戦うのか――)
 或いは今度も肩透かしを食らうかもしれない。でも……リボンズ・アルマークを救う。刹那はその考えに憑りつかれているようだった。
(あんなヤツ、ほっときゃ自滅するだろうに……あ、自滅するんじゃダメなんだっけな)
 ニールはサンドイッチをごくんと嚥下した。
 ELSからも話は聞いている。リボンズは刹那の命の恩人なのだ。このCBに刹那を紹介したのもリボンズだった。だとすると――。
(リボンズ・アルマークは俺の恩人と言うことにもなるな)
 刹那と自分を会わせてくれたのだから――とニールは思う。けれど、今のリボンズはとち狂っている。
 ――災いの芽は早く摘んだ方がいい。
 ニールは秘密裏にリボンズを倒す計画を考えていた。どの道、リボンズは刹那達を戦闘の駒としか見ていないのだから――。
(あいつを片づけるのが、一番いい)
 けれど、刹那はポーカーフェイスなのに無類のお人好しと来ている。刹那を殺そうとしたニールのことも許したのだから。
(俺が、ガンダムだ)
 ――そう言い切って。
 だから、今度もまた、刹那はリボンズを救うだろう。例え危機に陥っても……。
「…………」
「食べないのかい?」
 アレルヤが些か心配そうに訊く。大食漢であるニールがサンドイッチをじっと見つめたままなんて、どうしたのだろう、と心配になって来るものなのだろう。
 だが、今回は長期戦になるかもしれない。勿論、早く終われば言うことないのであるが。
「わり、ちょっと考え事」
「そっか。君は深謀遠慮の人だったね」
「サンキュ。そう言ってくれるのは、アレルヤ、お前と刹那だけだよ」
 なぁ、刹那――そう言う想いを込めて刹那を見つめると、刹那もこくんと頷いた。そこに現れたのは――ビリー・カタギリとスメラギ・李・ノリエガだった。

2022.09.03


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