ニールの明日

第三百四十九話

 朝食も終わり、ニールと刹那が歩いていると、向こうからフラフラとやってきた眼鏡で不精髭の男。
「イアンのおやっさん!」
 ニールが叫んだ。男のフルネームはイアン・ヴァスティと言う。
「おう、ニール、刹那……今、呼びに行こうと思ってたところなんだ……俺には脳量子波は使いこなせないんで、直接な」
「おはよう、イアン」
 刹那がイアンに挨拶をする。
 ニールも刹那も、イアンには度々お世話になっている。イアンも、直々にやって来たというのはよっぽどのことなのだろう。
「昨日は眠れたか?」
「はぁ、まぁ……」
「……ま、そんなことはどうでもいいんだけどな。二人とも、格納庫について来い」
「――はい」
 ニールはごくんと固唾を飲んだ。
 そこには――ニールと刹那の新しいモビルスーツがある。
 刹那の乗るはずの機――ダブルオークアンタ。
「おお、堂々としてるじゃねぇか」
 ニールはわざと軽口を言うように口にする。しかし、その台詞はあながちお世辞ではない。
(これは、刹那に似ている……)
 ニールは少し涙が滲んできた。
「泣くな、ニール……」
「いや、お前がこんな素晴らしい機に乗れるんだと思うとな……お前も立派なガンダムになったなぁ、と思ってな……」
「ニール、お前さんはこっちだ」
 イアンがニールに向かって手を動かす。
 ――懐かしいフォルム、色、ほんの少し違うが、それでも似ている匂い……。
「ガンダムデュナメス……2号だ……」
 イアンが説明する。だが、ニールは聞いていなかった。
「ニール、ニール……どうした! おい!」
「いや、感無量でさ……俺もまた、デュナメスに乗れるんだと思うと……」
 そして、ニールはまた泣いた。
「泣いてる場合じゃねぇっつの。だが、お前さんの気持ちはわかる。――漢の浪漫だ」
「イアンのおやっさん……ありがとう……ございます……」
 ニールは男泣きに泣いた。それを恥じることさえ、今の彼は忘れていた。
「全く……お前らは俺も泣かせるねぇ……」
 イアンは眼鏡を外して目元を拭う。ニールと刹那の涙を目にして、何も思わない冷血漢ではないイアンだった。刹那はすっくと背筋を伸ばしている。
(良かったな、刹那。良かったな……)
『ニール、ニール、ロックオン、ロックオン』
 聞き覚えのある機械音が聴こえた。
「――ハロ!」
 ハロがここにいると言うことは――。
「ライル!」
「よっ、兄さん」
 ライルが心安立てに手をかざす。
「あのな、ハロ……やっぱり俺より兄さんの方がいいみたいだ」
『ライル、ライル、ロックオン、ロックオン』
「ハロの中では、お前も立派なロックオン・ストラトスだよ」
 二人のロックオン・ストラトス。ハロは二人に囲まれて、とても幸せそうだった。ぴょんぴょん飛びながら、
『ロックオン、ふたり、ロックオン、ふたり』
 ――と言っている。
「ああ、だが……俺達は別々の人間だよ、ハロ」
 ライルが温かい言葉をハロにかける。そうなのだ。ロックオン・ストラトスは二人いる。けれども、どちらにも個性があって、異なる運命があって、性格も違っていて――。ライルがふっと笑った。
「兄さん。……俺は冷たい人間かもしれないぜ。俺は、妹のエイミーより、アニューの方が恋しいし愛おしいからな――」
「俺も冷たいよ。俺には――刹那がいるからな」
「刹那なんて……あいつはガンダムに夢中だ」
「そこがいいのさ」
「いかもの食いだな。兄さんは」
 冗談の応酬――いや、決して冗談ではないかもしれぬ――をしているニールとライルの双子をよそに、刹那はダブルオークアンタを食い入るような目で眺めている。まるで、恋でもしているみたいに……。
 ニールには、それがよくわかる。ニールは刹那に夢中だからだ。エイミーは、テロで死ななければ他人の男のものだが、刹那は誰にも渡したくはない。
 ――例え、恩人である、グラハム・エーカーにもだ。
『ハロ、ライル、ニール、どちらも好き、どちらも好き』
「ハロが一番人情家だな」
 そう言って、ライルがかかか、と笑った。ニールとライル。同じ顔、同じ髪型。だが、中身は全然違う。それを寂しく思う時が、ニールにはあった。だが――。
(これで良かったんだな、きっと――)
 そう思えるのは、自分には刹那がいたから。
(愛してるぜ。刹那・F・セイエイ――)
「ニールにライル、ハロもいたか……」
 イアンがバタバタと駆けて来る。何かあったのだろうか。
「何ですか? おやっさん」
「ああ、大したことじゃないんだが……お前らのことも見送りに来た。頑張れよ」
 イアンはガシッと、ニールとライル、二人の肩を掴んだ。
「お前らは……何があっても大丈夫だ。俺が保証する。
「おやっさんに保証されても……」
「なぁにぃ? お前ら二人とも、それぞれの女神の祝福の方がいいってか」
 それを聞いて、ニールはぷっと吹いた。アニュー・リターナーなら確かに女神だろうが、刹那は女神と言うよりは――。
(戦神――)
 王留美も王紅龍も、きっと刹那に期待していることだろう。調べてみたら、刹那がガンダムマイスターになったことの裏には、リボンズ・アルマークがいる。ニールはリボンズが苦手だ。だが。
 刹那には恩人みたいな存在かもしれなかったのだ。刹那は、リボンズに恩を感じている。恩は……返さなければならない。
 刹那は律儀な質なので、きっとそう思っているのだろう。
 そして――刹那にはダブルオークアンタと言う、唯一無二のモビルスーツがある。イアンの力作だ。
 勿論、沙慈も手伝ったが……。
「刹那……」
 こっこっとブーツの音を立てて歩いて来たのは、沙慈・クロスロードの彼女、ルイス・ハレヴィだった。
「ルイス……」
「沙慈の代わりにね、お見送りしようと思って」
「ああ……ありがとう。沙慈に宜しく言っておいてくれ」
「わかったわ。任せて。それから……生きて帰って来てね。沙慈の為にも」
「――沙慈には、俺なんかがいなくてもいいんじゃないか?」
「まぁ! 薄情ね! 刹那! 私達友達じゃない! 水臭いわよ!」
「……わかったわかった」
 ルイスと刹那のやり取りを聞いていたニールがくっくっと笑った。ルイスは気分を損ねたらしい。
「む……ニールさん、何がおかしいんですか」
「いや、微笑ましいな、と思って――」
「兄さんも成長したな。今までだったらルイスに妬いてたところだ」
 ライルも笑いながら口を挟む。
「む? そんなに俺は独占欲が強いように見えるか?」
「見える見える。兄さんは刹那しか見てないんだから……!」
 ライルが顔を覆いながらバンバンと壁を叩く。茶色の巻き毛が肩にかかる。ニールと同じ、ウェーブした茶色の巻き毛が――。
 ニールもライルも、美形兄弟と言われながら育ってきた。ルイスも、もし沙慈がいなかったらどちらかに少しは心が傾いたに違いないのだ。
 ――ニールは、ルイスが刹那のライバルにならなくて良かったと思った。ニールがルイスにまで惚れられたら、ニール達の恋愛模様はまた複雑怪奇なものになっていたに違いないのだ。
 沙慈がいてくれて良かった、とニールは思った。
 そこへ……また足音が聴こえて来る。沙慈の足音だった。
「整備、終わりました。イアンさん……あれ? 何でルイスがここにいるのかい?」

2022.11.21


→次へ

目次/HOME