ニールの明日

第三百四話

 ベルベット・アーデは、何の音も匂いもしない空間の中にいた。
「どこ、ここ……とうさま、かあさま……」
 ベルベットは父親のアレルヤと母親のティエリアを呼んだ。そこにぽうっと灯りがともり、人影が見えた。
「だれか、いるの……?」
「うー……」
 声がしていたので、ベルベットが行ってみると、そこにはまだ小さな子供が。ベルベットよりも小さい。どことなく刹那・F・セイエイに似ているような気もする。ニール・ディランディの面影もあるような気がする。
「うわぁ、かわいい……!」
 べルベットは、早速コミュニケーションを取ろうとした。
「かわいいあかちゃん。どこからきたの?」
 ベルベットが赤ん坊に声をかける。――その後、ベルベットは驚きの叫び声をあげることになる。

「どうしたんだい? ベル……!」
 黒い瞳のアレルヤが昼寝をしていたベルベットの顔を覗き込む。甘いお菓子の匂いのする、ベルベットもお馴染みのアレルヤ達家族の部屋だ。
「急に大声あげるから驚いたよ」
「とうさま……」
「どうした! ベルベット!」
 ティエリアも菫色をしたセミロングの髪を揺らしながら駆けつけてくる。
「かあさま……」
「む、その子は何だい?」
 ティエリアが訊く。
「そのこって……あ、そらんちゃま、ついてきちゃったの……」
「そ、ソランだって……?」
「ぱっぱ~、まんま~」
 ソランの台詞に、一瞬間が空いた。
「……誰の子だ?」
「せつなおにいちゃまとにーるおにいちゃまのあかちゃんなの。べる、ゆめのなかでそらんちゃまにあったの」
「……これは、刹那とニールに報告しないといけないな」
 眼鏡を直しながら、ティエリアがぽつり、と呟いた。
「べるもいっていい?」
「ああ、というか、多分きっかけは君だろう。夢の中で会ったって言ってたね」
 アレルヤがベルベットの母親譲りの髪型をした菫色の頭を撫でる。気持ち良くて、ベルベットは笑い出す。しかし、ベルベットの金と銀のオッドアイは父親から受け継いだものだ。ベルベットはいろいろ不思議な力があるが、ベルベット自身はそれを自覚していない。
 ――自分の力の威力を知るには、ベルベットはまだ幼過ぎるのだ。
「アレルヤの言う通りだろう。――僕も一緒に行こう」
 ティエリアが言う。ティエリアにも、刹那達に話があるのだろう。
 ソランは「うー、うー」と、言っている。
「ぱっぱ~、まんま~」
「よしよし、今、パパとママのところに連れて行ってあげるからね」
 アレルヤがソランに優しく言った。アレルヤは子供が好きなのだ。ベルベットのことも可愛がってくれる。アレルヤなら、ベルベットが例え自分達の子供でなかったとしても、面倒を見てくれたことだろう。ベルベットはおぼろげながらそう信じている。
 それに、そもそもベルベットは厳密な意味で言えば、この世界のアレルヤとティエリアの子供ではない。そのことをベルベットはまだ知らないのだが、しかし薄々感じ取ってはいる。
「この子も異世界からの来訪者だろうか……」
 ティエリアが思案するように顎に手を当てる。ベルベットがティエリアの長い足にしがみつく。
「かあさま、はやくいこう」
「そうだな――」
 ティエリアは、アレルヤとベルベットだけには時々見せる綺麗な微笑みを浮かべた。それだけで、ベルベットは何だか嬉しくなってしまうのだ。
「かあさま、いいにおい」
「いいから足を離したまえ」
「はーい」
「君はソランのお姉さんなんだから、お手本になるようなことをしなければ駄目だろう」
「はーい」
「わかってるのだろうか、本当に……」
「大丈夫だよ。ティエリア。ベルベットはわかっている。君に似て頭がいいんだから……」
「アレルヤ……」
 ティエリアがはにかむように口角を上げる。
 ――泣き出したソランがその雰囲気を壊した。ソランに罪はないのだが。アレルヤが必死であやした。

「おーい、ニールー」
 アレルヤの声に、ニールはロックを解除したようだった。
「……入れ」
 ニールは珍しく機嫌の悪い声を出した。
「うっ……酒臭い……!」
 ティエリアが思わず眉を顰める。
「おさけくさいの~」
 ベルベットも文句を言う。
「二日酔いなんだよ……」
 ニールは欠伸をしながら長めの茶色の巻き毛を掻き上げる。
「スメラギが来てたのか?」
「ミス・スメラギ? ああ――刹那が呆れて部屋に帰っちまった……」
「僕だって呆れているところだ。……刹那も何を考えているんだ。ニールとスメラギ・李・ノリエガは男と女じゃないか。――もし、過ちがあったらどうするつもりだったんだ」
「ティエリア……俺は刹那しか目に入ってないぜ。……その子は何だ?」
 ニールはアレルヤが抱いているソランに目を遣った。そして、ソランを初めて見た時のティエリアと似たような反応をする。
「君と刹那の赤ん坊だそうだ」
「――へ?」
 ティエリアの説明に、ニールは間の抜けた声を出す。
「……と、ベルベットが言っていた」
「ぱっぱ~」
 ソランは小さな紅葉のような手をニールに差し出す。酒の匂いにも全く閉口していないようだった。
「おー、確かに俺と刹那に似て可愛いな」
「……驚かないのかい?」
 と、ティエリア。些か不思議そうに。
「ベルベットの件もあるからな。そっか~、俺もこれで父親だな。――アレルヤ、ソラン貸してくれ」
 アレルヤがソランをニールに手渡す。
「あっ、まって……」
 ベルベットが制止しようとする前に、ニールはソランにキスしていた。
 ぽむん☆
 ソランが白猫になった。
「な……何だ……?!」
 さしものニールもびっくりしたらしい。酔いも一気に醒めたようだ。
「そらんちゃまはきすするとねこになるの……」
 説明を忘れたことを恥じて、ベルベットは言った。
「そうか……ニールは猫だったのか……」
 ティエリアが生真面目な様子で呟いた。尤も、ティエリアは元々真面目な性格で、融通のきかないところもある。
「んな訳ねぇだろ! 俺も刹那も人間! 百パーセント人間なんだからな!」
「イノベイターじゃなかったのかい?」
「茶化すなよ。アレルヤ……人間に戻すにはどうしたらいいんだろう」
「もういちどきすすればもとにもどるの」
 と、ベルベットはニールに教えてあげた。
「よし、この子を――ソランだっけか? この子を刹那に見せてやろう。刹那も驚くぞ~」
 二日酔いも何のその、と言った感じで、ニールはうきうきしている。
「にゃあ」
 アレルヤが着替え中のニールを待つ間、ソランを抱きかかえてあげている。アレルヤの腕の中で、猫のソランが満足そうに鳴いた。刹那だったらこの子の存在を喜んでくれるはず。ベルベットは何だか幸せで、ふにゃんとした気持ちになった。

2020.05.25

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