ニールの明日

第三百三十四話

(ぱっぱ~)
 ニールの脳内に響く天使の声。
(ソラン! もしかしてソランなのか?)
(そうだよ~)
(ソラン。ぱっぱだぞ~)
(わかってるって)
(ソラン……ちゃんと言葉を喋れるのか。偉いぞ~)
(だって、これは脳量子波だからね。僕もちゃんと片言でない普通の言葉を喋れるんだ)
(そっか~、ソラン、偉いぞ。流石パパの子だ)
(ママの子でもあるけどね)
(そうだ! ママはどこにいる! 早く探さなきゃ)
 ニールはきょろきょろと辺りを見回し、刹那の姿を探した。――刹那はソランの隣で眠っていた。
「刹那、おい、刹那!」
 ニールは刹那の体を揺する。可愛い寝顔も見ていたかったが、今はもっと大事なことがある。
「ん……どうした? ニール……」
「しゃ、喋った! ソランが喋った!」
「ああ、そうか。じゃあ、俺はもう少し寝るからな」
「俺の……いや、俺達の息子のソランが脳量子波で喋ったんだぜ~!」
「うるさい!」
 刹那がニールをぎろりと睨む。
「大体、ソランは俺とは前から喋れてたんだ。――脳量子波でな」
「そうか……俺もとうとうソランと自由に話せる身に……」
「良かったな。ニール。じゃあおやすみ」
「ぱっぱ~、ねんねする~」
「おお、そうかそうか。ソランもねんねするか。おやすみ、いい夢を」
 けれど、ニールは眠れそうになかった。部屋は間接照明の柔らかな光に包まれている。そこでは美しい天使二人が気持ちよさそうにすやすやと眠っている。ニールは穏やかな気持になった。
 ――これが、平和と言う物なのだろうか。
 勿論、刹那と一緒に敵と戦闘する時だって血沸き肉躍るけれど――こういう時間も悪くない。
 ソランが起きたら、アレルヤに何か作らせようと、ニールは思った。
 ――と、その前に。
 カシャッ。
 ニールは二人の寝顔を撮った。記念写真である。後でアルバムにも載せるつもりだ。ニールは写真のデータをデータスティックに落とした。この二人に関するデータは膨大なものになるはずだ。
(ソランも……ガンダムマイスターになるのだろうか……)
 ニールは考える。今の平和は、リボンズが存在しないが為の、かりそめの平和だ。リボンズがいなくなっても、また問題は起きるだろう。人間は、問題がひとつ解決したら、また新たに問題を起こすものなのだから。
 けれど、今は何も考えずにこの平和に浸っていたい。多分、アレルヤやティエリアも――。
 トレーニングは欠かさず続けているけれども。シミュレーションも。
(ソラン……ぱっぱと話してくれてありがとうな……)
 ニールはソランの額を撫でた。ソランは何か寝言を言った。
「ん、んん……」
 口元を歪ませたソランはころんと寝返りを打つ。
「可愛いなぁ……よし、もう一回撮ろう」
 二十四世紀の日本では、ネットが普及し始めた二十世紀末とは比べ物にならない程、機械のデータ量が増えている。
「あいつらも……今頃買い物楽しんでるかねぇ……」
 ニールの言うあいつらとは、アレルヤとティエリアのことである。彼らの娘ベルベットも加わっている。
 ソランとベルベットは仲がいい。脳量子波で話してもいるようだ。――リヒターとも。
 ――ソランも可愛いが、刹那のことも愛している。人間の姿の時のソランは刹那の顔の特徴を兼ね備えている。
 実は、ソランは猫なのだ。ソレスタル・キャットと言う。
 母親の刹那もソレスタル・キャットらしい。――刹那がソランの秘密を話してくれた。父親のニールは普通の人間らしいが。二十世紀の日本で声優をやっていた。
 そんな二人の愛の結晶がソラン・ディランディと言う訳だ。
 ――ソランは不安ではないのだろうか。実の両親と離れて。
 ベルベットは、たまに心細くて泣いているのを見たことがあるようだ。――アレルヤが言っていた。
(俺は……まだまだベルの本物の親に敵わないんだろうなぁ……)
 アレルヤは寂しそうだった。ニールは、
(俺達なんか子供自体いねぇんだから、お前らは幸せだよ)
 そう言ってばんばんとアレルヤの背中を叩いて元気づけた。密かにベルベットと言う娘のいるアレルヤに嫉妬しているのを隠して。
 でも、今は子供がいる。どんなことをしてても助けたい存在が二人もいる。ニールは、今度は刹那の黒い髪を撫でた。刹那とソラン。二人そっくりの黒い髪。彼らを助けるつもりなら、ニールは命を差し出しても構わない。
 ――ソランがピンチになったらきっと、アリーを助けたニキータのように庇ったりするのだろう。そういえば、あの家族は元気だろうか。
 天国は暮らしが良さそうに思えた。
 刹那が、片目を開く。
(可愛いな……)
 ニールは顔がだらしなく緩みそうになるのを引き締めた。そういえば、ライルはどうしているだろうか。――ニールは思考を無理やり曲げた。ライル・ディランディは、我が弟ながら女には手が早いようだ。
 血は争えねぇなぁ――ニールは長い自分の茶髪を掻き揚げた。ニールの顔立ちは、他人から見たら、かっこいい、と整っている、とかと言う形容をされるであろう。自分でもそれは自覚している。
 刹那も、「ニールの顔が好きだ」と言っていた。
 尤も、刹那はニールの全てが好きだ、とその後に付け足したのだが。だが、顔の良さが二人の恋に関係している重大な割合であることは間違いないであろう。
 ニールが刹那の日焼けした美しい、色っぽい顔や体に惹かれたように。
(俺は、初めてはお前が良かった)
 まぐわいの後に、刹那がそう言ったことがある。ニールも、刹那が初めてであれば良かったと思う。けれど、ニールは童貞は適当な女と寝て捨ててしまった。それもいたし方のないことではあるのだが。
 ニールも刹那も、女や、男好きの男が方が放っておかない。
 ソランには自分達みたいな想いはさせたくなかったが。
(大丈夫だよ、ぱっぱ)
 ソランの声が突然響いた。ニールが飛び上がった。
「そ……ソラン……お前、起きてたのか……」
「うん……」
「でも、その大丈夫、と言うのはどこから……」
(僕の相手はもう決まっていると言うことさ)
 ――ソランが今度は脳量子波で答える。
「だ、誰なんだ、ソラン! お前の相手って……!」
(今は教えない)
 ソランは口を閉じたまま、脳量子波で再び答えた。
「だっ、誰だ! 俺の可愛い刹那との間に生まれた可愛い息子のソランの相手は――まさか、グラハムか?!」
(まさか……)
 ソランは口角を上げた。笑ったのだろう。
「じゃあ、誰だ?!」
(秘密。でもぱっぱ、これだけは覚えておいて。僕が、ぱっぱやまんま、そしてぱっぱやまんまの住むこの宇宙を救いに来たと言うことを)
「あ……ああ……」
 何となく丸め込まれてしまった感もあるが、ソランの青い目は真剣だった。ニールの視力が戻ってきたのであろう。間接照明の部屋でも、ソランの表情がわかる。
(ベルもリヒターもだよ。――と言うか、全ての生き物は世界をより良くする為に生まれて来るんだ)
「――刹那?!」
 ニールは思わず声が裏返る。これは、赤ん坊の思考ではないだろう。
「刹那、ソランは天才だぞ!」
「ああ……知ってる……」
「知ってるって……お前は相変わらず冷静だな。刹那」
「別段いつだって冷静な訳ではない。ソランにはこの俺も言い負かされた」
「ソランに?!」
 目の前のソランは、相変わらず可愛い赤ん坊だ。刹那は教育はないが知能は高い。その刹那が――ソランに言い負かされた? ニールは不気味な物でも見るような想いでソランを見た。ソランは無視してボールで遊んでいる。
「ほうら、ソラン。ボールだぞ」
 刹那がふわふわのボールを投げると、ソランはきゃっきゃっと笑った。ソランが猫だと知った時より、ニールはこの目の前の我が子が怪物めいた物に思えた。
「ニール……言っておくが、ソランは平行世界のお前の血も引いているんだぞ」
 そう早口で言うと、刹那はニールから顔を逸らした。ああ、そうか――ニールの口元が綻んだ。何も不気味がる必要はなかったのだ。ソランは愛する刹那の子供であると同時に、この己――ニール・ディランディの息子でもあるのだ。
「よし、わかった。ぱっぱもソランと遊んでやるぞ」

2021.12.02


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