ニールの明日

第三百三十六話

 ソレスタル・ビーイングの現当主、王紅龍のもと、世界は少しずつ平和を取り戻していた。
 だが、水面下ではある問題がヘドロのように溜まっていた。
 それが、『イノベイター狩り』――。

「リジェネ」
「やぁ、リボンズ。勝手に邪魔していたよ」
 リジェネ・レジェッタがリボンズ・アルマークに挨拶をした。
「ついでに、勝手に紅茶も淹れていたよ。君の所有している茶葉は質の高い物ばかりだね」
「――仕様のないヤツだ」
 リボンズは溜息交じりにそう言った。
「まぁ、機嫌直しなよ。君の分も淹れておいてあげたよ」
「それはどうも。音楽でも聴くかい?」
「……タンホイザーかい?」
 うんざりしたようなリジェネの言葉に、リボンズはムッとした。
「嫌なら別の曲をかけてもいいんだよ。君の好きな流行りの曲を」
「ふん。君は相変わらずアレハンドロ・コーナーの呪縛から解き放たれてないね。あんなに馬鹿にしてたのに」
「あれは道化だ。――よし、これにしよう。音楽はクラシックに限る」
「それも、あの男から教わったのかい?」
「リジェネ……いくら君と言えど、そんなに軽口ばかり叩くなら、僕とて容赦はしない」
「ふん」
 リジェネは鼻で嗤った。どうも、この少年は扱いづらい。――リボンズはそう思った。それに、なかなか油断出来ないところもある。リジェネ自身は秘密にしているみたいだが、彼はティエリアに接近したこともある。
 室内に軽快な音楽が流れる。リボンズはカップを傾けた。温い。
 だが、飲めない訳ではないし、たまには温い紅茶を飲むのも一興だろうと思う。リボンズは意外と順応性が高いのだ。
「ねぇ、リボンズ――いつまで僕達は宇宙に漂い続けなければいけないのかい?」
「不満か?」
「まぁね。あんまり君がもたもたしてるなら、ティエリア・アーデ側に寝返ってもいいんだけど」
 リジェネの台詞には本音が混じっている。リジェネは本気だ。
「まぁ、そう焦るな。――今はまだ、ソレスタル・ビーイングならびにガンダムマイスターに攻撃を仕掛ける時ではない」
「何故だ。何故そんなにのんびりしていられる」
「君がせっかち過ぎるんだ」
 リボンズはまた紅茶を口内に流し込む。
「ああ……もう、僕一人でもティエリアの元に行ってしまおうか……こんな原始的な生活とはおさらばしたい。テレビや映画も観れないし、ヴェーダにもリンク出来ない」
「そっちもそう新しい文明とは言えないようだが?」
「何より、ここでは敵と戦えない。ティエリアとの決着もつけられない」
「君はまた馬鹿にティエリアにこだわるね」
「君がコーナーの馬鹿息子を忘れられないようにね。……いや、それよりマシだな。兎にも角にも、ティエリアは僕と同じ存在なのだから」
「まぁ、彼らには、ほんの少しの間、平和を享受させてあげよう。時が来れば、僕達は嫌でも戦わなければならないのだから」
「勝算はあるのかい?」
「勿論」
 リボンズは最後の一口を飲み終えた。
「ご馳走様。なかなか紅茶を淹れる腕が上がったじゃないか」
「――僕は、ティエリアとは違う」
「……さっきは同じ存在だって言ってたようだが」
「少なくとも僕はキッチンを破壊したりはしない」
「わかったわかった」
 リボンズはくすくすと笑った。リジェネは膨れる。冷静なようで意外と喜怒哀楽の激しい少年なのだ。
(ティエリアとリジェネは、似ている――)
 ティエリアの住む世界では、イノベイター狩りの気運が日に日に増している。いずれ、ティエリアも被害に遭うかもわからない。
(それに、ベルベット・アーデ……)
 リボンズは口元に手をやった。音楽が終わった。ベルベットの存在は、世界を救いに導くかもしれない。平行世界――その仕組みがはっきりすれば。ティエリアは敵だが、必要な場合には力を借りたっていいとリボンズは考えた。
(尤も、こんなこと、リジェネの前では言えないがな……)
 リジェネがこんなことを聞いたら、リボンズを馬鹿にするだろう。やはりティエリアの存在が必要なんだ、僕の言葉には散々罵倒で返しているくせに、と詰られるだろう。詰られるのはいいが、面倒だ。
 リジェネは、リボンズにとっては面倒な男だが、リボンズは彼を必要としている。
 ――リジェネがイノベイドだからだ。
 つまり、リボンズとリジェネは同類なのだ。リジェネは表面的には反発し、認めようとしないだろうが、その奥底にはリボンズに対する愛憎が混じっている。
(まぁいい。リジェネが役に立たない駒なら捨てるまでだ」
 リボンズは見た目は美少年だが、案外冷酷なのだ。リボンズもそれを自覚している。
 弱ければ、イノベイドとして生きていけない。これは真理だ。
 その真理を植え付けたのが、今は亡きアレハンドロ・コーナーだ。あの男はリボンズ愛していると毎夜囁いていたが、結局は、リボンズを利用することしか考えていないに過ぎなかった。
 そしたら、こちらもあの男を利用してしまえ――。
 リボンズにそう思わせたのは、アレハンドロの責任だ。リボンズはアレハンドロと出会って、初めて自分は変われそうだと思っていたのに――。
 リボンズがニール・ディランディみたいな男に会っていたら、確かに変われたであろう。リボンズは運がなかった。そのことだけでも、神を呪ったって構わない。リボンズはそう考えるようになった。
 確かにリボンズは、アレハンドロのような無垢な少年ではなかったが――。こんな若い姿でいたって、もうかなり長い間生きている。その間、リボンズは人間の弱さ醜さだけを見て生きてきた。
(だったら――人類がこんなに愚かなら、僕が支配しても構わない。だろう? アレハンドロ・コーナー……)
 しかし、仲間は必要だ。リボンズは日毎夜毎に刹那・F・セイエイに惹かれていく自分を感じている。
 刹那が仲間になったら、自分は変われるかもしれない。
(まぁ、変われなかったら変われないでいいさ。それに――僕には戦争の方がいい。……愚かで惨めな人間を見ている方がいい)
 だが、そのリボンズを、刹那は救うと言っていた。リボンズにはリボンズなりのネットワークがあるのだ。
 平行世界での刹那は、彼と同じ世界に住むリボンズを倒したようだが――。
(まだ終わりではない。僕はまだ、生きている)
「別の音楽がいい」
 リジェネが言った。リジェネは気まぐれで我儘な男なのだ。いや、そう育てたのはリボンズだが――。
(僕達は、子育てが下手だね、アレハンドロ――)
 だが、リジェネは、心のどこかでは争いを嫌っている節がある。ヴェーダとリンクすることが出来れば、リジェネは満足なのだ。
(このままじゃ、いつまで経ってもヴェーダにもリンク出来ない)
 リジェネはいつもそう文句を言っていた。さっきもそう言っていた。確かに、今のリボンズ達は宛なき宇宙の漂流者だ。
(アニューも愛とやらを見つけたらしいしな)
 自分の同族であったアニュー・リターナーと、ニールの双子の弟、ライル・ディランディの恋。平凡な男女の愛に見えるが、それは確かに宇宙を変えたのだ。
 王留美もグレンと言う男の妻になった。
(グレンがいなければ、僕の妾としてやっても良かったんだがな……。グレンなんて一山なんぼの男だ。顔はいいかもしれないが。留美はどこが良くてあんな男に乗り換えたのだろう)
 リボンズは、王留美を操ってやりたかった。留美の野心を利用して。
 だが、グレンと結ばれた王留美は、野望を捨てて、女の幸せを選んだ。
(これだから女は――)
 別段女を馬鹿にしている訳ではないが、自分の男への愛に走るエゴイストさを見ると、全く理解出来ない種族なのだ、と言う気にさせられる。
 女が男を理解できないのと同じく――。
(リジェネではないが、僕はいつまで待っていればいいのだろう。――まぁいい。時間はたっぷりある。イノベイドの僕達には)
 ふと、イノベイター狩りをしている人間どもが気の毒になった。
(別に狩らなくとも、イノベイターは増えて行く。僕にはわかるんだ)
 イノベイターが支配する世界。それはどんな世界なのだろう。リボンズにも想像はつかない。現実にそうなってみないと、わからないことだってあるのだ。リボンズはたまに、イノベイターの支配する世界を脳内でシミュレーションしてみることがあるが――。
 それは、リボンズにとってはなかなか悪くない世界だった。
 清潔な世界。争いのない世界。何より、醜く卑劣な人間がいないと言うのが気に入っている。
 ――アレハンドロのような、汚い大人が住む余地がないところが気に入っている。
 リボンズは、アレハンドロに嫌悪を抱いている。アレハンドロが亡くなって、しばらく経った今でも……。
「お代わり、どう?」
 リジェネの涼やかな声で、リボンズは物思いから覚めた。リジェネはリジェネなりに、リボンズのことを気にかけているのだ。リボンズに出会わなかったら、優しいイノベイドに育っていたかもしれないのだ。
 ――リボンズは、リジェネの好意を無駄にすることはないと思った。リボンズは二杯目の紅茶を頂くことにした。
(人類は気に食わんが、紅茶だけはなかなかの発明だな)
 それにしても、刹那・F・セイエイか――自分の気まぐれで助けた子供が、今や自分を救おうとしている。
(刹那は敵だが、あいつの手にかかって死ねるなら、後悔はないだろう)
 刹那はどうやらガンダムを神と崇めているらしい。それには、リボンズも一役買っている。それでもう、充分だ。――あの日、刹那を助けて良かったと、リボンズは思った。

2021.12.24


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