ニールの明日

第三百三十二話

「りひちゃままってー!」
「あぶないよ、べるねえ」
「きゃっ」
 ベルベットは転んでしまった。リヒターが駆け寄る。
「もう、だから言ったのに……」
「はやくおみせやさんにいきたくて……」
「そうだぞ。ベルベット。君は落ち着きが無さ過ぎる」
「んもう、かあさままで……」
『かあさま』であるティエリア・アーデにまで叱られて、ベルベットはしょもんとした。ティエリアは低い声でベルベットを諭す。ティエリアは男だと言うことになっているが、それでもベルベットの『かあさま』なのだ。
「まぁまぁ、そのくらいにしておき給え。ティエ、ベル」
 そう言ったのはベルベットの『とうさま』であるアレルヤ。アレルヤとティエリアは、長い間恋人同士だったのだ。だけど、子供は出来ないと、全面的に諦めかけていた。
 そこへ来たのがベルベット・アーデ。アレルヤのオッドアイとティエリアのヴァイオレットの髪を持つ幼女。ベルベットは二人の天使となった。
 だが、アレルヤとティエリアでは、ベルベットへのアプローチの仕方が違う。
 ティエリアは頭ごなしにガミガミ怒る。ベルベットが泣いて謝ると、問題解決の為、話し合いをするが。
 アレルヤは静かに怒る。ベルベットにとっては、ティエリアよりもアレルヤの怒った時の方が怖いのだ。
 けれども、二人とも基本的には優しいので、ベルベットはそんな二人が大好きなのだ。いまや肉親の情も湧いてくる。もう一組の『とうさま』と『かあさま』だ。
 ベルベットを産んだアレルヤとティエリアは、平行世界のどこかにいる。
 けれど、ベルベットにわかるのは、両親からもらったペンダントさえあれば、彼らとお話出来ることだけ。何世紀もの前のファンタジーの世界が、今や現実になったのだ。
 それはともかく。アレルヤは、ぱたぱたとベルベットの一張羅についた土埃を払ってやった。
「行こう、ティエ。怒ってばかりいないで」
「怒ってるんじゃない。ただ心配なだけだ」
「困ったもんだね。うちのクイーンは」
「こまったものなのー!」
「アレルヤ……ベルベットまで尻馬に乗るんじゃない。が、今は楽しいはずの外出だ。多めに見よう」
「そんなこと言って……ティエだって結構楽しんでいるくせに」
「悪いか。家族や友達と出歩くのは楽しいことだと、データにはあったぞ」
「じゃあ、そのデータを一旦捨てて……ティエリアはこの散歩――ウィンドウショッピングが楽しいのかい? 楽しくないのかい?」
「――楽しくないと言ったら?」
「仕方ないね。ベルをリヒティとクリスに預けて、僕は君と共に基地に帰るよ」
「た……楽しくないこともない……」
「かあさまはたのしくないの?」
 ベルベットは純粋に疑問として訊いてみた。
「た……楽しいさ。楽しいとも……ただ、こういうのは慣れていないものでな……」
「わーい、かあさまもたのしいんだー!」
 ベルベットは踊り出した。リヒターもつられて踊り出す。
「リヒター、ベルちゃーん。アレルヤとティエリアも待ってよー」
 後からクリスティナ・シエラとリヒテンダール・ツェーリ――愛称リヒティがやって来た。リヒターの両親である。
「うちの子供達は買い物が好きだなぁ」
「そらんちゃまもくるとよかったのに」
「仕方ないさ。ソランは『今日は家でのんび過ごしたい、とソランが言ってる』――と、刹那に言われちゃさぁ……けれど、ソランの言うことどうしてわかるんだろう。ソランはまだ片言しか喋れないのに……」
「う……」
 リヒティが不思議がっているところで、ベルベットは言葉に詰まった。
(そらんちゃまがぺらぺらしゃべれることはりひちゃまのとうさまにはひみつなの――)
 それは、ベルベットにもわかっていた。
「べるねえ、こっち」
 リヒターにエスコートされて、ベルベットは連れて行かれた。
「りひちゃまもおようふくすきなのよね。そらんちゃまはげんきにしてるかしら」
「うん。だいじょうぶ。げんきにしてる」
「どうしてわかるんだい? リヒターにベル」
 リヒティの質問に、リヒターとベルベットはくすくす笑った。
「お、何だぁ? 二人ともいっちょ前に秘密かぁ?」
「そうなんだよ」
「ひみつなのー」
「何だよ、子供のくせして」
「もう、パパったらばかにして!」
 リヒターはふくれっ面になった。困った顔のクリスがブティックを指差した。
「ほら、リヒターもベルちゃんもあのお店に入りましょ?」
「わー、かわいいおようふく」
 ベルベットは嬉しそうに言う。これからこの服が自分のものになるのかと思うと――。
「んー、あれはベルちゃんにはちょっと大きいわねぇ。もっと可愛いサイズの服もあると思うからこの店に入りましょ?」
「……高そうな店だな」
「何よぉ、あなた。昔の貧乏症がまだ治らないの? 私達にはいくらでもお金があるのよ」
「……そうだ。そうだったな……」
 リヒティがぽりぽりと頭を掻く。
「いや、子供の頃から贅沢を教えちゃいかん」
 ティエリアが珍しくリヒティの肩を持った。
「でも……今のうちにぱーっと使ってしまいましょうよ。せっかくお給料もらってるんだから……」
「そんなこと言ってると、肝心な時に金がなくなるぞ」
「まぁまぁ、ティエ……」
 アレルヤがどうどうとなだめた。
「紅龍は戦争で金は使いたくないんだと」
 アレルヤの言葉に、ティエリアが声のトーンを上げた。
「だがな……僕も最初は嬉しかったが、ここまで買い物に依存すると言うのも……大体、戦争は金食い虫と相場が決まっているだろうが。僕達は何の為に生きている? 僕達はガンダムマイスターだぞ!」
「ティエリア……」
「かあさま……せんそう……? せんそうがおこるの?」
 ベルベットが訊く。アレルヤがベルベットの頭を撫でる。
「ああ、ベル……今は戦争が起こってないから大丈夫だよ~。平和の為に僕達も紅龍も頑張っているんだからね~」
「紅龍はともかく、僕達は買い物を楽しんでいるだけにしか思えんがな……」
 ティエリアがぶつぶつと呟く。
「それでも、この店で買い物出来る金ぐらいはあるだろう? ティエ。機嫌直して買い物を楽しもう」
「……アレルヤって紳士ねぇ……」
 クリスは何か言いたげにリヒティの方に視線を遣る。
「う……僕に何か言いたそうだね……」
「そうよ! あなたはもっといい男になりなさい! アレルヤやティエリアも敵わないような!」
「やれやれ……」
 リヒティは溜息を吐いた。クリスは時々我儘だ。結婚しても、子供が出来ても……ベルベットはじっと見ていた。
「まぁ、今だって充分いい男なんだけど……」
 クリスがフォローの為か、小さく呟いた。
「クリス……」
「あなた……」
 リヒティとクリスは見つめ合う。ごほんと、ティエリアが咳払いをした。
「公衆の面前でいちゃつくな!」
「何だい、ティエリア……僕達も真似しようかな、と考えていたところなのに……」
「何不埒なこと考えているんだ! アレルヤ・ハプティズム。万死に値する」
「ばんし、ばんしー」
 ベルベットが手を叩いて喜ぶ。意味はわからぬながら、そう言う時のティエリアは何だか格好いいのだ。
「おー、ばんしがまたでたー」
 リヒターも喜ぶ。ベルベットが喜んでいるからだし、何より面白いからだ。
「もう、二人とも行くわよ!」
 ――最後は笑いながらのクリスが締めた。流石主婦である。ベルベットは、クリスのことも頼もしく思い、これから見習おうと思った。

2021.10.14


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