ニールの明日

第三百三十一話

 ベルベット・アーデが泣きながら暗闇を歩いていると淡い若草色の髪の少年が立っていた。その少年の周りだけ、ぼうっと光っている。
「あ――リボンズおにいちゃま……」
 ベルベットは焦りながら涙を拭こうとする。
「いや、いいんだよ。そのままで……でも、もし気になるんだったら……ほら」
 リボンズがいい匂いのするハンカチでベルベットの顔を拭いてくれた。リボンズ・アルマーク。いつぞやベルベットの夢の中にも出て来た美少年である。
「あ、ありがとうなの……リボンズおにいちゃま……」
「うん」
 リボンズの瞳は不思議な色をしている。世界から綺麗なものばかり集めたらこんな色が出てきそうな――虹色。
「リボンズおにいちゃまのおめめ、きれい……」
 ベルベットはうっとりと言った。
「ベルベット、君はもうちょっと他人を警戒することを覚えないとね。――ティエリアあたりから何か聞かされてないかい?」
「……かあさまもおなじこといってた。『けいかい』ってなぁに?」
「うーん、ベルベットの年齢じゃ無理かねぇ……ベルベット、僕はELSに追われている。早く去らないと行けないんだ」
「ELS?」
「……それは聞かなかったことにしてくれ」
「はあい」
 ベルベットの返事にリボンズが苦笑した。
「僕にもこういう時期が……あったのかなぁ。物心ついた時既に拾われてたからな……」
「ひろわれた?」
「ああ、変態どもにね。――中でも一番の変態はあいつだったな……」
「へんたい?」
 ベルベットは首を傾げた。
「……独り言だ。気にするな」
「かあさまもよくそういうこというのー」
「ふん、あいつは僕とよく似ているところがあるからな……」
 リボンズが溜息と共に呟く。ベルベットにはどういうことかわからない。
「リボンズおにいちゃまはかあさまとちがうの。……かあさまはときどきこわいの。リボンズおにいちゃまはやさしいの」
「――やさしくても、それがくせものということもあるんだよ」
 リボンズがにやりと笑った。ベルベットは「ひっ」と悲鳴を上げた。
「まぁ、僕に逆らわないうちは優しいからね、僕は」
「う……うん……」
「わかったね。じゃあ、僕はここで一旦消えよう。君のことも見ているからね、ベルベット――」
 そして、リボンズがいなくなると、世界に光がよみがえった。
(りぼんずおにいちゃま……なんだろう。……ふしぎなひと……)
 ベルベットは、リボンズ・アルマークと言う少年に純粋な興味を覚えた。

「――ベルベット、起き給え」
 ティエリア・アーデの低い声と一緒に――。
 ピピピピ、ピピピピ……と言う目覚まし時計の音がした。可愛いからと言って、両親であるアレルヤとティエリアにねだった物だった。
「……リボンズおにいちゃま……」
 ベルベットの寝起きの言葉。ティエリアはベルベットを揺さぶった。
「ベルベット! 今、リボンズと言ったな。どこで会った! 言え!」
 ベルベットはふいっとティエリアから顔を背けた。
「言え!」
 ベルベットの声が大きくなる。
「――ひみつなの。おこってるかあさまなんかきらい! リボンズおにいちゃまのほうがやさしいの!」
「あいつの優しさなんておためごかしだ!」
「でも、わるいひとにはみえなかったの! たとえわるいひとでも、かあさまよりリボンズおにいちゃまのほうがずーっとずーっとだいすきなの!」
「ベルベット……! そうか、ベルベットはまだ子供だったからな……」
 ティエリアが自分に言い聞かせるように言う。
「……おはよう、ティエリア……言い争いの声がこっちまで聞こえてきたよ……」
 アレルヤ・ハプティズムが寝ぐせのついた髪を掻き揚げながらあくびをした。まるで近所のおじさんみたいである。ティエリアが、身支度をちゃんとしろ、ベルベットに対して示しがつかないじゃないか――と言った。
「そうだね。ごめんね」
「うわーん、とうさま~。かあさまがこわいの~」
 小さなベルベットはアレルヤの脚にしがみついた。
「うん聞こえてたからね」
「聞いてたのか! 盗み聞きなんて君も人が悪い……!」
「うーん、盗み聞き、と言うか、勝手に聞こえちゃったんだけどね……」
「それは……朝っぱらから悪かった……」
「ティエリア、素直だね。……君も大人になったんだね」
 そう言って、アレルヤはティエリアにキスをした。カーテンから白い光が漏れる。ここは地上なのだった。
「とうさま、かあさま、ベルも、ベルも~」
「見ろ! アレルヤ! 君のせいでベルベットまでませた子に育ったぞ?」
 ティエリアがベルベットを勢いよく指差す。
「別段普通だと思うけどねぇ……」
 アレルヤはのほほんと答えた。
「ねぇ、とうさま。うささんのおりょうりつくってあげて?」
 うささんとは、情操教育にいいからとティエリアが買ってきたうさぎのぬいぐるみである。ティエリアに非はないが、ティエリアの行動は全て計算づくのところがある。それをベルベットは何となく感じていた。
 ――ベルベットもそのことは、ソラン・ディランディとも話し合っていた。
 今日もまた、経済特区・日本でお買い物である。ベルベットは既に買い物の楽しさに目覚めていた。ウィンドーショッピングもそれはそれで楽しい。
 CBはガンダムマイスターが一生かかっても使いきれない程の給料を彼らに与えていた。王紅龍は、
(どうせ戦いになったら無用の金だ。平和なうちにぱーっと使ってしまえ!)
 ――と言う信念の持ち主らしい。ティエリアは、意外と大胆な男だと評していた。ベルベットには意味がわからなかった。そこで、お買い物攻勢である。クリスティナ・シエラとスメラギ・李・ノリエガとフェルト・グレイスは毎日のように出歩いていた。
 けれど、三人とも根が堅実なので、金はやはり使い切ることが出来なかった。
「それにしても、どういうつもりなんだろうな。――紅龍さん。勿論、彼のことは理解しているつもりだし、僕も彼に賛成なんだけど――」
 ティエリアが言った。アレルヤが続けた。
「無駄遣いが多いって、上層部でも問題になってるらしいよ」
「……仇花か……」
 ベルベットはアレルヤとティエリア、二人から双方に手を引いてもらって歩いている。
(なんだろう、とうさまもかあさまもこわいおかお――)
(べる、べる――)
 ベルベットは脳量子波を受け取った。――ソランからだった。
(なぁに? ソランちゃま――)
(おとなにはおとなのじじょうがあるんだよ。ぼくたちがどうにかしようとしてもしかたのないことさ)
(くーるをきどるのね。ソランちゃまは)
(まぁね。ぼくおとなだもん)
(ベルだっておとなだもん!)
(そういうところがこどもだってのさ――ぼくたちがなにかしようとしたら、ぼくのぱっぱとまんまも、べるのぱっぱとまんまもきっとかなしむことになるとおもう……)
(ソランちゃま……)
 だけど、おむつも取れないようなこの年齢で身の周りに気を遣うソランに、ベルベットも感心していた。
(やっぱりソランちゃまはいいこね)
(うん。もうすぐおむつもとれるもん)
 それに、ソランは天才児のIQを叩き出しているらしい。ソランはそのことについては黙っていたが、ベルベットはそれとなく感じていた。――ソランも天才児なのだと。
 イノベイターは天才児が多いのだろうか……ベルベットは、アレルヤやティエリアに訊いてみたかったが、二人ともそれどころではないようだった。
(ソランちゃま、りひちゃま……ベルがまもってあげるから……)
 ソランやリヒターが密かな悩みを抱えているのは知っていた。ベルベットは刹那・F・セイエイにいろいろと訊いてみたかった。――刹那がティエリアを除けばガンダムマイスターの中で一番頭が良かったからだ。天才児の嗅覚でそれがわかるのだ。
(ソランちゃまのかあさまも、ベルたちとおなじ……だからベルはこのせかいにきたの――)
「どうした? ベルベット。浮かない顔をして――」
「そうだよ。ベル。君の為にお出かけすることにしたんじゃないか。楽しくなかったら、基地に戻ってもいいんだよ」
 ベルベットはゴシゴシと顔をこすって、にっこりと笑った。父のアレルヤと母のティエリアが「可愛い」と相好を崩すような。

2021.09.23


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