ニールの明日

第三百二十四話

 王留美は、兄の紅龍との話題を切り上げた。――兄の幸せを願いながら。

 留美は神様を信じてはいない。だったら――シャールの命はどこから来たのだろうか。
 世界は広い。果てしなく広いそれに、人類は宇宙にまで進出している。
 けれど、留美が選んだのは、人工授精ではなく、自然分娩で。それはやはり、愛する男と子供を作りたいから。
 二十四世紀になって、科学が進んでも、自然分娩を選ぶ女性は多数いる。それは、自然と言う物のなせる業か。
(シャール……)
 留美はシャールの頭を撫でた。和毛が柔らかい。乳の匂いがする。シャールは微笑んでいた。留美は、シャールが父親のグレンみたいに男らしい男に育つことを望んだ。
 もしかしたら、何千年も前から、赤子には逞しく生きていて欲しい、と、世の母親は思っただろうが……。
(私の産んだ、命――)
 留美は、グレンとの息子、シャールをぎゅっと抱き締めた。シャールは泣き出した。
「あら、ごめんなさい。私ったら、シャールが嫌がることを」
 留美はシャールに謝って拘束を解いた。もう留美はシャールにお乳をやり終えていた。
 ――もしかしたら、人間以上の存在は本当にいて、それは運命と呼ぶべきものかもしれない。留美は、グレンと出会わせ、シャールと言う子供を授けてくれた運命と言う名の摂理だったら信じられそうな気がした。
 留美はシャールを寝床に寝かせてやる。泣き止んだシャールはすやすやと眠り始めた。留美はまた端末を手にした。あの男はいるだろうか――。
(ニール……)
 恋人ではないが、ニール・ディランディは留美にとって特別な存在だった。ニールがガンダムマイスターの最年長の存在っであったからかもしれない。
 ニールには刹那・F・セイエイがいる。ソランもだ。――ソランは人外の存在であるらしかったが。
 ソランはソレスタルキャットとであると言う、母親の血を引き継いでいるらしい。――その母親が、刹那・F・セイエイだと言うのだ。
 ……やはり、平行世界から来た存在であるらしい。ソラン・ディランディは。ベルベット・アーデと同じく。
 留美は、自分はグレンと結婚したが、男同士や女同士で結婚するのも有りだと思っている。同性同士でも子供が授かるよう、祈っている。彼らだって、愛する者との子供を産みたいと言う願いは、留美と変わりないのだから――。
「留美様」
「ダシル……どこに行ってたんですの?」
「畑に水をやりに。――というか、言ってませんでしたっけ」
「忘れてたわ」
「そろそろグレン様を迎えに行って来ます」
 グレンは、近所の子供に護身術を教えていたのだ。護身術は役に立つ。ここではまだ、戦争は終わっていないのだから。グレンがどんなに尽力しても。
 今は、ゲリラ兵の間ではワリスがリーダー的存在だ。グレンはそろそろ戦いから身を引こうと思っているらしい。
 ――例え、グレンの方が人望はあっても。
 留美は、グレンが帰って来る前にニールと話をしたかった。
 ニールはすぐに出て来た。
『よっ、お嬢様』
「ニール……私はもうお嬢様でないって何度も……」
『そうだったな。もう母親になったんだって? 紅龍からメッセージが来てた。おめでとう』
「ありがとう」
 ニールは甘いマスクの持ち主だが、留美にとってはグレンの方がいい男だ。それに、ニールは他人のものだ。――刹那のものだ。
「貴方からも動画のメッセージ、頂きましたわね」
『ああ。――俺達は元気だ。刹那も、ソランも、トレミーの連中も』
「そうみたいですわね……良かったですわ。ベルベットちゃんは?」
『あの娘も元気だ。アレルヤが発育が良いって、得意になってた。……ちょっとおませだけどな。それがまた可愛いんだ』
「シャールとも友達になって頂けるかしら」
『それは問題ない。ベルはどんな人間とでも友達になれる』
「そう言うところはアレルヤに似たんですわね。ティエリアは気難しそうですけど……」
 留美はそう言ってくすくす笑った。
『今ではソランともすっかり友達だ。それに、ティエリアだって良いヤツだよ。ベルのおかげで人間丸くなったみたいだ』
「こちらも……グレンがすっかり優しくなって……」
『へぇ……』
 ニールがモニターの向こうで目を丸くした。
「どうしましたの?」
『いやぁ……俺、グレンに銃を向けられたことがあるから……』
「――考えられませんわ」
『そりゃあ、お嬢様にとってはそうだろうよ』
 だから、お嬢様ではないと……と、留美は訂正したかったが、いちいち言うのも疲れるし辞めた。それに、ニールにとっては留美は今でもCBのお嬢様なのだろう。例え、留美が母親になって、この先、家族と一緒に年を取っていっても――。
 それは、グレンも留美もまだ若いのだから、まだまだこの先失敗することもあるかもしれないけれど……それは仕方のないことだ。
 留美の目の前には希望が広がっていた。
 まぁ、でも――。
「宅の主人が貴方に銃を向けてすみません。夫に変わって謝りますわ」
『いや、お嬢様に謝られてもなぁ……』
 ニールが、ぽり、と頬を掻いた。
『あ、もうお嬢様ではなかったんだっけ?』
「いえ……好きなように呼んでくださいませ」
『俺にとっては、お嬢様はお嬢様なんだよな。例え、母親になったとしても』
「それはどうも。――グレンは平和の為だったら剣を捨てると言ってますわよ」
『あのゲリラ兵がね……』
 ニールにとっては意外なようだった。それはわかる気がする。留美にとっても、グレンは生まれながらの戦士だと思っていたから――。リムおばさんが何度諫めても、戦場に出ることをやめなかったと聞く。
 浅黒い肌。輝く瞳。美形な上に戦闘の技術はピカ一だったグレン。留美は戦場にはあまり出ないから、グレンの戦うところはあまり見たことがなかったが。雰囲気で、有能な戦士とわかる。
 シャールは、将来どんな男に育つのだろう。
 確かにグレンに似ていたが、自分にもどこか似ているような気がする。
(将来が楽しみですわね――)
『お嬢様。アンタ、美人になったな。母親になると美しくなるって本当だな』
「あら。ニールは私を口説いてらっしゃるの?」
『馬鹿なことを――俺には刹那がいる』
「冗談ですわ」
『ま、お嬢様は男に口説かれ慣れてるかもしれないいけど』
「私にはグレンがいますわ」
『わかってるって』
 ニールの目が優しくなった。留美は少し、刹那が羨ましくなった。
 もしかしたら、一歩間違えば、自分はニールに恋していたかもしれない。だから、こんな風に端末で喋っているのかもしれない。
 けれど、留美が選んだのはグレンで――。
 ニールは、自分がお婆さんになっても、お嬢様と呼んでくれるだろうか――と考える。別段呼ばれなくたっていいけれど。
 留美は、昔は年を取るのが怖かった。白髪になって顔が皺だらけになって……。
 でも、それは、家族に尽くした証である。そう考えれば、年を取るのに恐怖は感じなくなる。そう――自分は、グレンやシャールに尽くすのだ。それは女としての歓びであって負担ではない。
 ダシルだって、男だから女にしかわからない気持ちや心構えがあるだろう。男と女は違うのだ。例え、ダシルがどんなに優しい青年であったとしても。
(昔は私もむさくるしいところで働いてましたからね――)
 CBには未だに男が多い。女も一定数いるが。男勝りの女性だって少なくない。
 グレンだって、男ばかりのところで戦っている。子供だって男の子だ。自分はグレンにとっての潤いになれないだろうか。
 シャールがグレンと留美に似たなら、美形だけど、かなりクセの強い少年に育つような気がする。
(まぁ、いいけど――)
 それはそれで楽しいだろう。留美は、自分が何でも面白がっている性格になっているのに驚いた。ヒトの母親になるというのは、そう言うことなのだろうか。だとしたら、母は強し――である。
 ニールは何かを考えているらしい。それで、間が空いたのだ。だから、留美も考え事が出来た。
「私、この村が好きですわ」
『そりゃあ良かったな』
 ニールは相変わらず柔らかい表情をしている。まるで、妹を見つめるように。
 どんなに偉くても、以前はCBの当主だったとしても、留美はニールより年下なのだ。
 それで、尊敬を勝ち得た時期があったとしても。美貌をほめそやされたことがあったとしても。
 そんなことは本物の人生と関係がない、と留美は思った。愛する者が出来れば、そんなことは塵みたいなものだと。
「ニール……私、幸せですわ」
『そっか……変わったな、お嬢様』
「そうですわね。赤ちゃんも産んだし、もうお嬢様ではないかもしれないけど」
『俺にとってはアンタはずっとお嬢様だぜ。――王留美』

2021.06.18


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