ニールの明日

第三百二十六話

「ただいま」
「ただいま、ぱっぱ~」
 刹那とソランが散歩から帰って来た。刹那はソランを抱えている。
「おう、お帰り、刹那、ソラン」
 嬉しくなったニールが、刹那達に笑顔を向ける。グラハムが少々複雑な顔をする。刹那を密かに――と言うか、大っぴらに想っているのだから当然と言えば当然だろうか。
「グラハム、アンタも来てたのか」
「うむ……」
 刹那の言葉にグラハムが頷いた。
「……ブドウの匂いがする」
「グラハムが持ってきた赤ワインだ。刹那、お前も飲むか?」
「――いい」
「少しは酒に慣れておくものだぞ。少年。私がせっかく持って来たのに――」
 グラハムがほんの少し哀しそうに眉尻を下げる。
「俺達にはソランがいることを忘れたか」
「いや……そう言う訳ではないのだが……」
「刹那、グラハムをあんまりいじめるな。ソランはミルクの方がいいんだよな~」
 ニールはソランの小さな手にタッチをした。
「みるく~」
「おい、刹那、ソランの発音、しっかりして来たんじゃねぇか?」
 ニールが訊く。
「ニール……赤ん坊は日々成長して行くもんだぞ。……気づかなかったのか?」
「うん。今まで気づかなかった。それにしても、ソランはいい子だな~」
 ニールは、刹那に抱かれているソランの頭を撫でた。グラハムが溜息を吐いた。
「羨ましいぞ。ニール・ディランディ……少年とこんな可愛い息子がいるのだからな……私にも平行世界のお相手の刹那・F・セイエイがいるといいのだが」
「ま、いるかもしれねぇな。でも、この刹那は俺のものだ。ソランもな」
「ぱっぱ~」
 ソランに構っているニールを尻目に、グラハムはワイングラスを傾ける。グラハムとワイン。一見素敵な構図だが、鼻に詰めたティッシュで台無しだ。
「グラハム、鼻はどうした?」
「ああ、あの鼻に詰まったティッシュか。こいつは、グラハムがエロい想像した時にだな……」
 ニールが詳しく説明しようとする。
「ニール、エロい想像とは何だ。君こそ、少年と羨ましいことをいつもしているくせに」
「……刹那、グラハムには気をつけろよ」
「わかってる。けれど――今はソランがいる。あまり変な話をされたくはないのだが……ニールや俺は汚れているかもしれないが、ソランは純粋だ。まだ赤子だからな――」
「俺は汚れているかもしれないが、ソランもお前も純粋だ。刹那……」
「ニール……」
 二人の世界を作っているニールと刹那を、刹那に抱えられているソランは目を丸くして見つめている。グラハムは、「あー、ごほん」と咳払いして邪魔をした。――刹那とニールは同時にグラハムを見つめた。
「少年。私が君に懸想しているのはわかるな」
「――不埒な想像をしているの間違いじゃないのか?」
 ニールが軽口を叩く。刹那は、あまりぴんと来ないのか、ソランと一緒に首を傾げた。
 ――刹那は、ソランにミルクを与えた。
「なぁ、刹那。ソラン、美味しそうに牛乳飲んでんな」
「そういえば……少年。ソランはいくつになったんだ?」
 グラハムの質問に、刹那はこう答える。
「ビリーによれば……少なくとも一歳半はとうに過ぎているだろうと……俺にはよくわからないんだが……」
 赤ん坊は成長が早い。ニールにとっては時の経つのも早い。
「そうか。もうそんなになるか……」
 ニールは丸々としたソランを愛しく想い、優しい気持ちで眺めていた。「ぱっぱ~、まんま~」と、ソランはニールと刹那の二人を呼んでいた。小さな、もみじのような手を開きながら。
「ソラン、私のことは覚えているかね? 何度も会っただろう?」
「ぐら!」
「そう、私はグラハムだ。君が猫にならなければ、是非ともお近づきになりたいものだな」
「――だとさ。ソラン。変なおじちゃんが近づかないように、俺がキスしてやろうか~」
「うわぁ! やめてくれ!」
 二十四世紀になっても、猫アレルギーの特効薬は出来ていないらしい。ソランはキスをすると猫になる。
「おじちゃんね……」
 グラハムは独り言つ。
「お兄さんと呼んでくれ。これでも私はまだ若い。ニール・ディランディは酷い男だ。私から少年を奪うし、私が少年に『私のミルクを飲ませてあげたい』と言ったらわざわざ強引に話の流れを変えようとするし――」
「……昔、ニールも似たような冗談を言ってたぞ。別のミルクがどうたらこうたらと――」
 ソランが「あう~」と呻いた。刹那が続けた。
「ニール、グラハム。お前らもっと仲良くしろ。似た者同士なんだから」
「似てねぇ!」
「似てなんかいない!」
 ニールとグラハムは同時叫んだ。こう言うところが刹那に「似ている」と言われる所以なのだろうか。
「わかったわかった。ほら、ソランがこちらを見てる」
 ソランは澄んだ瞳をしていた。
「う……こんな瞳で見られちゃ、何も言えないな……」
「赤子の力は凄い……自分も汚れているように思えて来たよ……」
 ニールもグラハムも、赤ん坊には弱いようである。
「良かったな。ソラン。君のおかげで変態二人が更生したぞ」
「だから、俺は変態じゃねぇって――グラハムは変態かもしれんがな」
「私だって変態ではない。ただちょっと少年……君への想いが行き過ぎているだけだ」
 もしかしたら、刹那が魅力的過ぎるのが問題なのかもな――と、ニールは考える。魅力的なだけじゃない。刹那は戦闘力もずば抜けている。アリーに戦闘術を教わってきたからかもしれない。
 ニールはほんの少し嫉妬したが、今はアリーは、天国で家族と一緒に幸せに暮らしている。
 ……或いはニールも、そうであって欲しいと思っているだけかもしれないが。だけど、ELSも保証してくれた。
(アリー・アル・サーシェスなら、心配はいりません)
 ――と。
 それよりも。
「刹那、話がある。――言っていいな。グラハム」
「何をだね?」
「イノベイターと人間との共存のことさ」
「おお、忘れるとこだったぞ、ニール・ディランディ。私はその話をしたくて来たんだ。リボンズ・アルマークもまだ見つかってないしな。――私はリボンズが鍵だと思っている」
「リボンズか……」
 彼にも協力してもらえたらどんなにいいだろう、とニールは思う。リボンズは梟雄だが、悪に強い者は善にも強いのだ。
 ――そのリボンズはまだ見つかっていないのだが。
「どうだ? 刹那。お前も人間とイノベイターが平和に共存出来れば嬉しいだろう?」
「ああ」
 刹那の口の端に微笑みが宿った。
「ソランの為にもな」
「うー」
「そっか。ソランも賛成か」
「うー」
「ニール。ソランはソレスタル・キャットだ。この子はどうしたらいいだろう」
「まぁ、皆で仲良く暮らすさ」
 ニールはのほほんとする。
「どんな人種でも手に手を取って仲良く暮らす世界。それが私の望む真の平和だ。――例え、ソランが猫であってもだ。そのうち、猫アレルギーの治療法も見つかるだろう。これからも宜しく頼む、ソラン」
 グラハムが言った。ニールはますますグラハムを見直した。伊達に平和の為に戦って来た訳ではない。
「いいこと言うな。グラハム」
「ありがとう、少年!」
 刹那もグラハムの意見に賛成であることを知って、ニールは快く思った。平和はいい。誰も戦闘で死なない世界が一番だ。それは多分、天国みたいな環境で――それを地球上や宇宙でも実現出来るかどうかわからないが。
 それでも、グラハムや、リボンズを救いたいと言う刹那の言葉には、喜んで従おう、とニールは誓う。
 ――トントントンと、普通の人間の耳では聴こえるか聴こえないかくらいの音がした。

2021.07.15


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