ニールの明日

第三百二十二話

「こんにちは、長老」
「こんにちは」
 グレンと留美、そしてダシルが長老の天幕に入って来た。
「おお、グレン、ダシル――留美。留美はお手柄だったな」
「おかげで、元気な男の子が産まれましたわ。名前はシャールとしたいのですが……グレンは長老に訊いてみないと、て言うのですよ。それから、レダも」
「シャールか。良い名だ。その名で良いのではないかの?」
 長老は機嫌良く言った。留美が「ほうらね」と、豊かな胸を反らせた。
「名前は、両親が愛情を込めてつけたのが一番じゃ」
「けれど、俺の名前は長老が――」
 グレンが口を出す。
「グレンは孤児だったからの。誰かが名前をつけてあげなければならなかったんじゃ。僭越ながらわしがつけさせてもらったんじゃが……気に入らなかったかの?」
「いいえ。そんな……ただ、長老は俺の親代わりだったから……」
「グレンはかっこいい名前ですわ」
 留美は本気でそう思っている。――グレン。この名前以外の名前は考えられない程、とても似合った名前だと思う。グレンには、長老がいて良かった。留美は長老に心の中で礼を言った。
(今まで、グレンの世話をしてくださって、ありがとうございます)
 ダシルも、同じ気持ちだったらしく、留美と視線が合うと、照れ臭そうに笑った。留美は、グレンやダシルの心が少し、わかるようになった。
「さてと――わしもシャールの顔を見に行きたいのう。お前達の天幕に行っていいかね?」
 留美は母親としての誇りで胸がはちきれそうになった。グレンは嬉しそうな声で、
「はい、はい!」
 ――と、答えた。

 天幕は赤ん坊の匂いがした。とても心地良い匂いだ。少なくとも、留美はそう思う。
「今、灯りをつけますからね」
 留美は灯りを点した。油の芯に火をつけるのだ。
「邪魔するよ。――おお、綺麗な赤ん坊じゃ」
 そう言って、長老はシャールを抱き上げた。シャールも大人しくしていた。
「シャールも長老が好きみたいですわね」
「ああ。皆、長老が好きだからな」
 留美の言葉に、グレンは自慢げに言う。ダシルが振り向いて微笑んだ。この光景を端末に取っておきたいと、留美は思った。
 ――いや、それよりも、兄の紅龍に連絡をしたい。この子の名前が決まったことも。紅龍の他の血縁の子供であるのだから。シャールは紅龍の甥に当たる。まさか、自分が子供を産むことになるなんて、留美は今まで信じられなかった。
 ずっと、CBの当主として、レールの上に縛り付けられるのかと思っていたが――。
 そこから自由にしてくれたのは、グレンと……それから紅龍っであった。
 それは、とても良かったことだと、留美は二人に感謝した。そして、グレンはシャールと言う子供を授けてくれた。産んだのは留美だが。
(この幸せがずっと続くといい――)
 それには、早く、この世の中が幸せになることだと、留美は思った。
(マリナ……私はようやく、貴女がわかった気がします)
 そして、紅龍がマリナに惹かれた訳も――。
 マリナは歌で、平和をこの世界にもたらそうとしている。ガンダムマイスターは、紅龍の元で世界の平和の為に戦っている。グレンもだ。リムおばさんはグレンに戦いをやめて欲しいようだけど。
 留美には、リムおばさんの気持ちが少し、わかる。
 愛しい人には、戦争なんかで傷ついたり、亡くなったりして欲しくない。
 けれども、戦争が必要悪なんだと主張する者がいるならば、それは、かつての自分を見ているようだ。
 それに、その意見には若干頷けるところもある。
 戦争をなくす為の戦争。それを始めたのは自分でもある。
 ニールや刹那が無事かどうか、留美は心に引っかかってもいた。
 神はいない。少年の頃の刹那はそう言っていたらしい。それはわかる。けれど今は――シャールを見て、神の手を感じずにはいられない。
(刹那。私も息子も、元気よ)
「長老。俺にもシャールを抱かせてください」
「それは勿論。シャールはお前の息子じゃからな」
 グレンがシャールを抱っこすると、シャールは途端に泣き出した。
「おう、いい子だいい子だ。泣くな泣くな」
 グレンは些か慌てたように、息子に対して話しかけた。
 けれど、シャールの泣き声はまるで天使のようだと、留美は、親馬鹿だと知りつつもそう感じた。
「あはは。グレン様は滅多に赤ん坊を抱っこすることないから――」
 ダシルが笑った。
「笑うなよ、ダシル……」
 グレンが恨めしそうにダシルを睨んだ。
「まぁまぁ、貸してくださいませ。グレン」
 王留美がグレンを優しく、産婆のレダが教えてくれたように抱くと、シャールは泣くのをやめた。
「おやおや。やはりお母さんが一番なんですね。シャールも」
 ダシルが言うが、グレンは、ふん、と少しご機嫌斜めのようであった。
「コツがあるんですのよ。産婆さんから教わりました。あらあら。シャールはおねむのようですわね。長老。シャールを寝つかせていいでしょうか」
「ああ、いいとも」
 長老が笑顔で優しく留美に答えた。シャールはすーっと眠ってしまった。
「流石は留美だな」
 グレンは恥ずかしそうに留美に言った。けれど、このぐらい、グレンにもすぐ出来ることだ。今はまだ、慣れていないから上手に抱いたり出来ないだけで。けれど、グレンはすっかり父親の顔になっていた。
「グレン。後で教えて差し上げましてよ」
「留美も眠そうじゃないか。大丈夫か?」
 グレンが気懸りそうに声をかける。
「少し休んでおけ。第一、留美は命を生み出すと言う大仕事をしたんだから……いいでしょう? 長老」
「ああ」
「――ありがとうございます」
 留美はグレンの傍で寝てしまった。幸せな夢を見た。
(――私達も、シャールを祝福しますから……)
 どこかで聞いたような声がした。留美は、誰だかわからないながらも、そう言ってくれた存在にありがとう……と、感謝の言葉を述べた。

 日が昇り、留美の目が覚めた。
「あ、グレン。シャールは……?」
「まだ寝てる。――おはよう、留美」
 グレンが優しい――とても優しい表情をしていた。こんな顔は、妻の留美でさえ初めて見るような顔だった。リムおばさんが留美達のテントに入ってきた。
「おはよう、グレン、留美。そして、ええと……」
「シャールよ」
「ああ、そうそう、シャールね。留美が赤ん坊を産んだニュースはもう村中に伝わってるよ」
「どうも……」
 留美がつい照れ笑いをした。
「それにしても、グレンが剣を捨てるなんてねぇ……私はそのことを聞いてから、神様に手を合わせたわよ。留美、そして、シャールの為に、グレンは争いはやめるって話だからねぇ……私があんなに口を酸っぱくして『戦争をやめろ』と言っても聞かなかったグレンがねぇ……」
「リムおばさん。この世には、神などいない」
 グレンが断言した。留美がくすっと笑った。
「ん? 何故笑った? 留美」
「いえ……刹那と同じことを言いますのね」
「そ、そうか……だが、俺は刹那に賛成だ。神などいない」
「あら。では、どうしてシャールは生まれたのかしら? それに、どうして貴方は私と巡り合えたのかしらねぇ……?」
「うう……」
「ほほほ、留美の勝ちね。じゃあ、今日はうちは鳥鍋ですからね。留美もグレンと一緒にどう?」
「ありがとうございます。リムおばさん。けれどシャールが……それに私も……」
「あら、私ったら……そうね。今日は皆が集まるから、シャールは来ない方がいいかもね。シャールはまだ生まれたての赤ちゃんだから、皆が構いたがって、刺激も強いでしょうしね」
「すみません……」
「いいのよ。留美はシャールと一緒ね。鳥鍋が余ったら私が持ってくるから」
「ありがとうございます」
「シャールは寝てるの? 寝顔を見て行っていいかしら?」
 リムおばさんは留美も世話になっている女性である。留美は、「喜んで!」と答えた。

2021.05.24


→次へ

目次/HOME