ニールの明日

第三百二十八話

(ニール、ニール……)
 幽けき声がする。世にも妙なる美しい声。もう、馴染みになった声。ELSだった。今は脳量子波を使っているらしい。
(ELSか……)
(我々のことで気に障ったら申し訳ありません)
(いいさ。俺が勝手に拗ねてるだけだったんだから――)
(そのことですが……私もニールと刹那の手伝いをしたいのです。イノベイターやソレスタルキャット、脳量子波については、多少はわかるつもりですから――)
(多少ね……)
 お前さん方の多少の知識は、俺の一生分の知識に勝ってんだよ――ニールはそう思ったが、あまりにも子供っぽく思われたので、言うのはやめた。それに、ELSが協力してくれると言うのなら、こんなに心強いことはない。
 それに、脳量子波の知識ならニールも少しは持っている。
(それと――謝らなければならないのですが、またリボンズ・アルマークに逃げられました)
(お前ら、リボンズのこと、追ってんのかよ)
(その通りです。なかなか尻尾を掴ませませんがね)
(どうでもいいけどさ、お前ら、もっとフランクに話せねぇの?)
(フランクに――ですか)
 ELSは黙ってしまった。彼らなりに考え込んでもいるのだろうか。
(ああ――もういい、もういいよ、言葉遣いなんて)
(すみません……)
(謝るこた、ねぇさ)
(それで、話はリボンズのことに戻りますが――リボンズはヒリング・ケアとリヴァイヴ・リバイバル、リジェネ・レジェッタ、他数人と行動を共にしています。座標を突き止めて、捕えようとしたら――姿をくらましてしまいました)
 それだけ向こうも必死なのだろう。リボンズには野望がある。刹那はリボンズを救いたいと言っていたが、ニールにとってはそれどころではない。リボンズが目の前に現れたら問答無用で撃ち殺すだろう。
 ――銃でニール達に狙いをつけただけのグレンはまだまだ甘い、と言えるかもしれなかった。敵は一撃必殺で殺さないと駄目なのだ。
 そう教えられて来たし、事実、ニールもそうやって来た。
 けれど、何故だろう――刹那は殺せなかった。
 いや……アリー・アル・サーシェスの下にいたソラン・イブラヒムは死んだ。あの、懐かしい、熱気に満ちた南の島で。
 ソラン・イブラヒムは死に、新生刹那・F・セイエイとして生まれ変わった。
 刹那は瞬きもせずに、
「俺がガンダムだ」
 と、言い放った。変わったやつだと思ったと同時に、ニールはますます刹那に好意を持った。
(惚れ直したって言うのかなぁ、あれは)
(……刹那・F・セイエイのことを考えてましたね。……ニール・ディランディ)
(悪いか?)
(いいえ。――我々は二人の仲を祝福します。我々は、我々の持てる全てであなた方を応援します)
(どうも)
(いえ……リボンズに逃げられたのは、本当に悔しいですね)
(――まぁな)
 けれど、ニールがリボンズに出会ったら、ニールは真っ先に相手を殺すだろう。そうしたら、刹那は……リボンズの墓に花でも添えるかもしれない。アリー・アル・サーシェスにやったように。
 ――ニールが死んだと思っていた時の、ニールの双子の弟、ライル・ディランディのように。
 そもそも、リボンズは死ぬのだろうか……。イノベイターは、寿命を迎えるのだろうか。
(イノベイターにも寿命はありますよ。人間よりかなり長生きですがね)
(……イノベイターの存在が明らかになれば、人間は嫉妬するな)
(その通りです。だからこそ、イノベイター狩りが始まったのです。この世界でも既に起こりかけています)
(……マジかよ)
(はい)
(だったら急がなくてはなんないな。リボンズを探し出して、イノベイターの作り方を、吐かせる)
(乱暴は刹那が許しませんよ。それに……私達はリボンズは偽物ではないかと薄々疑っています)
 イノベイターに本物も偽物もあるのか――ニールは変なところで感心していた。
(本当のイノベイター、いえ、純粋種のイノベイドは、刹那・F・セイエイだと我々は睨んでいます)
(刹那が? あいつはガンダムだぜ)
 俺がガンダムだ――あの南の島で刹那が言った言葉。あの言葉がまた、ニールの脳裏によみがえった。
 でも、ベッドを共にしている時など、あんな感度のいいガンダムがいるか、と、ニールは不思議に思う。刹那は、体は人間に近いのだ。
(そして、ニール・ディランディ。貴方も。薄々自分が変わって来ているのを勘づいてはいますよね)
(ああ、おかげさんでな)
 ニールは幾分しょっぱい思いをした。刹那と共白髪でも良かったんだけどな――と。刹那は刹那でまた違う考えを持っているのだろうが。刹那の方が、ニールがもたもたしているうちに、イノベイターとしての自分に適応してしまうかもしれない。
 後でティエリアに、イノベイターのことを詳しく訊かなくては、とニールは考える。ELSからも情報を得たい。
(……なぁ、ELSさんよ。リボンズ・アルマークと言う存在は他にいねぇのか?)
(いますよ。沢山)
 ニールはずっこけそうになった。
(だったら、あのリボンズにこだわらなくても――もっと弱っちぃヤツを連れて来て吐かせれば――)
(刹那が許さないでしょう)
(そうだな。ああ、くそ……!)
 ELSは何かと言うと刹那の名前を出す。ニールがそれに逆らえないことを知っていて――。いや、ニールはELSが本当のことを言っていることがわかる。刹那は正義感が強くて真っ直ぐなのだ。それだから、厄介だ。
 でも、そんな刹那にニールは惹かれた。だが、今は――。
(刹那の真っ直ぐさも不安材料にしかならねぇな。ああ、畜生!)
(貴方は刹那心の底から愛しているのですね。ニール)
(ああ。あいつに怪我ひとつでもさせるぐらいなら、俺が殺された方がマシだ)
(…………。貴方も充分真っ直ぐですよ。ニール)
(褒めているようには聞こえんな)
(ええ。褒めてないですから)
(…………)
 ニールはひとつ、溜息を吐いた。ここらで一段落しようと考えたのである。
(俺のことも不安材料か? ELS)
(ええ。でも、貴方は刹那よりかなり理性的ですから)
(これは、褒めてくれていると思っていいんだな)
(一日の長だと思っています)
(お前らね……俺は年寄りかってんだ)
(イノベイターは年を取るのが遅いみたいですよ。良かったですね。ニール)
 こんな地球外生命体と軽口を叩ける日が来るなんて。ELSは思ったよりユーモアを解するらしい。そして、思っていたより人間的でもある。しかし、ニールはまた、さっきのしょっぱい思いをよみがえらせていた。
(俺は……俺は、人間のままでありたかったよ……)
 人間。
 大した力もないくせに、狡くて、虚勢を張って、時には弱い存在を虐げ、反省し、いざと言う時には崇高になって――そんな、人間が愛おしくて……。
 こう思うことこそ、ニールも人間でなくなりつつある証拠かもしれない。
 けれど、ニールは人間を、抱き締めたい程愛している。
(抱き締めたいな、ガンダム!)
 グラハム・エーカーの台詞が思い出された。彼は人間に辟易していたのかもしれないが。
 それから、刹那・F・セイエイ。
 彼は何だってガンダムに固執するのだろう。ガンダムには人間の心はわからない。刹那の幼少時代は話を聞いて知っているが。いくら、ガンダムに命を助られても、ガンダムになる、と普通は言えるものではない。
 ニールは、人間の刹那が好きなのに……。
 泥臭い努力をして汗水流して頑張っている、人間が好きなのに――。
(ニール、僕は人間が好きになったよ)
 僚友、ティエリア・アーデの言葉だ。アレルヤとの愛を知って、またガンダムマイスターを取り巻く人間関係から少しずつそうなっていったのだろう。だから、今のティエリアは少し可哀想だ。
 ベルベットはいい子だ。そして、トレミーのクルー達に守られている。――今はまだ。だが、いつまでもこのままではいけない。お前は少し心配性だと、刹那なら言うであろう。
(ニール、お前は優し過ぎる)
 ぽんぽんと、脳裏の画面が変わっていく。これはそう、いつぞや二人きりで話した時に刹那が言った言葉だ。
(それに、共感能力があり過ぎる。――この世の中を生きていくには、辛いだろう。ガンダムマイスターとして、敵を殺すのは辛いだろう)
(何言ってんだ。刹那。俺は成層圏の向こう側まで狙い撃つ男だぜ)
(――そうだったな。ニール、いつか、成層圏の向こう側まで連れて行ってくれ)
(おいおい。俺は狙い撃つだけだ。成層圏の向こう側なんて本当はあまり興味がないんだ。刹那、お前が一緒に行ってくれると言うんじゃなければな)
(……ニール、静かにしてくれ。少し、眠い……)
 刹那はニールの体に寄りかかった。あの時、ニールは幸せだった。いや、今だってリヒターやベルベット、ソランが加わって、ますます賑やかに、ますます幸せになっていった。
 ――刹那、これなのか? お前がリボンズを救いたいと言うのは。この幸福をリボンズに伝えたいと言うことなのか? リボンズだけでなくヒリングやリジェネと言った連中とも、幸福を分かち合いたいと言うことなのか……?

2021.08.07


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