ニールの明日

第三百二話

 王留美が鳥を包丁で捌いている――。
「おやおや。だいぶ上手くなったじゃないかい。今度は鳥の羽根を毟っておくれ」
「はい、リムおばさん」
 こんな貧しいところで、鳥を捌いたり、羽根を毟ったり――CB時代の彼女では考えられなかったことだ。
 王留美は建前上、CBの女当主として大事にされつけて来た。けど、今の方が――楽しい。
 グレンを追ってここまで来たのだが、愛によって生きていくことがこんなに楽しいだなんて思いも寄らなかった。CBは紅龍に任せてあるし、CBもまずは安泰と言うところであろう。
 王留美は、ずっとこんな生活がしたかった。砂漠の匂いすら、懐かしい気がする。
 ――生まれてからずっと、ここにいたような気がする。昔は自然主義者と馬鹿にしていたが。
 文明から切り離された生活というのも、悪くないような気がする。
 それに、王留美には愛する男がいる。
 グレン。姓はない。故郷のクルジスを取り戻す為に戦っている。
(刹那の故郷もクルジスでしたわね――)
 刹那・F・セイエイ。本名、ソラン・イブラヒム。刹那には姓名があるが、グレンとはまた違う人種なのだろう。グレンはダシルと馬を駆って登場する。
 リムおばさんが眉を顰める。
「グレン。ここは狭いんだから、馬で暴れちゃダメだよ」
「ああ、すみません。リムおばさん」
 グレンはリムおばさんにはどうも頭が上がらないようだ。何だか可愛らしい。留美はくすっと笑った。
 それにしても、この砂漠の生活での豊かさはどうであろう。いや、不便もある。食料だっていつも手に入るかわからない。なのに――留美にはここの生活が凄く豊かに感じられる。
(グレンのいるおかげでしょうか――)
 留美は馬上のグレンに目を遣った。グレンは真っ直ぐに留美を見ている。
 レンズ豆をぐつぐつ似ている匂いがここまで漂って来る。間が持たなくなったらしく、グレンは言った。
「乗るか? 留美」
「いいの?」
「ああ。何たって、お前は俺の妻だからな――」
 どうしよう。今すぐにでもイエスと答えたい。だけど、今は――。
「あのね、グレン。近頃胸がむかついて来るの――」
「え? 何かの病気か? こんな仕事やってて大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。今はね――」
「しかし――何があったんだ? 留美。とかげの塩焼きにでも当たったか?」
「馬鹿だねぇ、この子は」
 リムおばさんがぴしゃりと決めつけた。
「……留美、それはもしかしたら悪阻かもしれないよ。モレノさんのところへ行っておいで」
「……え?」
 グレンが固まった。留美はそうではないかと思っていた。だから、グレンが帰って来たら相談しようと思っていたところだったのだ。
「ちょうどモレノさんがこの村に滞在していることだし――留美、アンタ、運が良かったよ」
「――はい」
 留美は恥ずかしくなって下を向いた。心当たりがない訳ではないし、子供が出来ていたら、グレンだって喜んでくれるだろう。一人前の戦士に育て上げてくれるかもしれない。
「私、ちょっと行って来ます」
 モレノの診断では、王留美は――おめでたであった。

「おめでとうございます! グレン様、留美様!」
「俺もこれで父親になるのか――父親って、どんなことするのか具体的にはわからんけどな。俺達のことは長老が面倒見てくれたから……」
「私も、立派な母親になれるよう、頑張りますわ」
「頑張らなくても、お前は立派な母親だよ。留美。もう、母親としての心構えが出来ている」
「まぁ……グレンったら……」
 けれど、留美も満更でもなかった。
 ワリス曰く、
「あんだけ毎日やってりゃ子供もすぐに出来るだろうよ」
 ――とのことだったが……。

 留美は端末でもニール達に報告した。
『すげぇな! おめでとう! お嬢様!』
「もう……ニールったら、お嬢様はやめてくださいな。私は留美。ただの女ですわ」
『でも、好きな男の子供を孕むことが出来る』
 刹那が無表情のままに答えた。彼は今、ニールの隣にいる。
『何だよ。刹那――孕みたいのか?』
 ニールが刹那の方を向いてにやっと笑った。いや、そう見えた。
『別に孕みたい訳ではない。俺はティエリアじゃない。けれど、もし俺が女だったら、考えも違って来たろうな……』
 ニールは刹那のあっちこっちに跳ねた黒髪を優しく撫でた。因みにニール・ディランディとその双子の弟ライルは茶色の波打つ髪を適当に伸ばしている。ディランディ兄弟もとても綺麗な髪の持ち主なので、留美も気に入っている。
「ティエリアにはベルベットちゃんがいるでしょう?」
『――ああ、贅沢な悩みだ』
『俺も刹那との子供は欲しいな。何べんも言ってるけどな。24世紀の今でも、抱かれただけでは男は妊娠しないがな』
『まぁ……そうだな』
 刹那がぽつりと呟く。ニール達は養子をもらうことも考えているらしい。
 だが、彼らはガンダムマイスターで明日をも知れない身だ。養子をもらっても上手く育てあげることが出来るかどうか……。養子をもらうには責任が伴う。
 もし、アレルヤとティエリアがベルベットを養子にもらいたいと言えば――。
(血を見ることになるかもしれませんわね)
 平行世界にいる、アレルヤとティエリア――ベルベットの本当の両親――との間に激しい争いが起こるかもしれない。世界の情勢がまだまだ不安定な今、それだけは避けたかった。
 そういえば、ベルベットは今、どうしているだろうか。
「ベルベットちゃんは元気にしてますの?」
『それはあいつらに訊くといい――アレルヤとティエリアに。それからベルベット本人に』
「――そうですわね」
 お腹の中にグレンとの愛の結晶が存在している。そう思うだけで、留美は何でも出来そうな気がした。
 ティエリアはどうであろう。アレルヤは? ――そして、お腹の子供の実の父親のグレンは?
「病院に、行った方がいいと言われましたの。Dr.モレノが、『知人に腕のいい産婦人科医がいるから』って」
『――良かったな。なぁ、お嬢様』
「……何かしら? ニール」
『アンタ、変わったよ。もうすっかり……母親の顔になってる』
「ありがとう。グレンや我が子のおかげよ」
『CBから離れて、正解だったようだな』
 そうね――留美は心の中で繰り返す。そうよね――。
 グレンは父親である前に戦士である。いつ戦いで命を落とすかわからない。その時、自分は生きていけるだろうか――。
 ――生きて行ける。
 子供さえいれば、留美は生きて行ける。でも、子供の為には留美は命を賭けることだって辞さないだろう。アレルヤとティエリアだって、多分そうだ。彼らは、娘を比較的安全な世界へと送ったのだ。
 今は、リボンズ・アルマークもいないのだから――。イノベイターの失踪事件は気になるところだけれど。イノベイターでも人間でも、何でもいい。取り敢えず無事で元気で生まれて欲しい。グレンの子供なら、男の子に生まれたらきっとやんちゃ坊主になるだろう。
『アレルヤ達は取り込み中だ。終わったら報告しよう』
 刹那が生真面目な顔で喋った。刹那の説明で何となく事情は察することが出来て。
(全く――何をやっているのかしら。ティエリアにアレルヤってば……)
 だが、それは他人のことは言えないので、留美は思わず笑いだしそうになった。ポーカーフェイスを保てたのは、きっと育ちのせい。
 グレンと留美もワリス達に同じように思われているであろうから――。皆、何も言わないけれど。
 女の子でも、強い女に育って欲しい。例えば、自分のように――。
 留美は、女梟雄と呼ばれていたことが少し自慢なのだ。――自分の身は自分で守れるように、銃と拳法は習わせよう。
 ――グレンと言う、本物の戦士の血を引く存在を生み出せるのが嬉しい。愛する夫の子供を産めるのが嬉しい。――女に生まれて良かった、と思う。
 留美は、愛する子供を生み出せない刹那やティエリアに少し同情した。同情したからって、どうなるものでもないが。
 お腹を撫でる。新しい命がこの中に息づいている。
 アレルヤとティエリアが端末の画面に顔を出した。――刹那がさっき急にいなくなったので、彼がアレルヤ達を呼んだのだろう。
『おめでとうございます。王留美』
『――子供が成長したら、家庭教師は任せておけ』
「それはお返事しかねますわ。私達の子供が貴方のようになったら困りましてよ」
 それを聞いたティエリアは苦笑いをしている。だが、怒った様子は見当たらない。ガチガチの石頭だったティエリアも随分ユーモアを解するようになった。王留美はそう思った。

2020.04.26

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