ニールの明日

第三百七話

「べるねえ!」
「りひちゃま~!」
 二人は一緒になってじゃれ合った。刹那がそれを尻目に服を取りに行く。
「感謝する。クリスティナ・シエラ」
「いえいえ。ちゃんと保存しておいて良かったわ。刹那とニールのお役に立てて嬉しいわ。――随分いい匂いがするのね」
「いやぁ、今、ティーパーティーしてたから……む、アップルフルーツティーの匂いもするな。すげぇ旨かったよ。クリスにリヒター、お前らの分もアレルヤに用意してもらうよ」
 ニールはアレルヤの方を振り向いた。アレルヤが小さく、「了解」と答えた。
「え? アップルフルーツティー? アップルティーでなく?」
 クリスは首を傾げた。
「リンゴを乾燥させたハーブのお茶だよ。とっても美味しいんだよ」
「おいしいのー」
 アレルヤに続いて、ベルベットは諸手を挙げる。
「ずるいや、べるねえ」
「りひちゃまにだってとうさまがつくってくれるの」
「ベル――それに、皆。お代わりあげるよ」
「――アレルヤ。あまり茶を飲ませると小水が出やすくなるぞ。ベルがおねしょしたらどすうるんだ」
 と、ティエリア。
「いいよ、その時は僕がお布団洗ってあげるから。その時はベルも手伝ってくれるね?」
「べる、おねしょしないもん」
 些かレディーとしての尊厳を傷つけられたようなベルベットは、スカートを抑えながら叫ぶ。ニールはくすっと笑った。――刹那は服を取り出して広げる。ベルベットはもうおむつは卒業している。
 ソランは白猫になっている。彼のおむつはまだないからだ。
「わぁ、かわいいねこ!」
 リヒターが喜びの声を上げる。
「リヒターは猫が好きなのかい?」
 ニールがリヒターの頭を撫でる。リヒターの父親リヒティ譲りの焦げ茶色の髪をかき乱す。リヒターは「きゃーっ」と甲高い声を上げる。リヒターはニールが好きなのだ。多分、男ではリヒテンダール・ツエーリの次に。
 ニールは子供が好きなのだ。ライルはそうでもないらしい。同じ顔、同じ姿を持っていても、同じ性格とは限らない。
「にゃあ……」
 ソランはリヒターの頬を舐める。猫の舌はざらざらしている。
「きゃあっ!」
 リヒターはまた叫び声をはしゃいだ声を上げる。ニールがリヒターを抑え込む。
「こら、ソラン。おいたしちゃだめだろう?」
「おむつも用意しておいた方が良かったかしら……」
「そうだな。ソラン。おむつが届くまで、この姿だ。いいかい?」
「にゃあ」
「ベル、リヒター……ソランと遊んでてくれるかい?」
「はーい!」
「よろこんで!」
 ベルベットとリヒターがベッドの上でソランを追いかけ回している。と、思ったら、怒ったソランが二人に向かって毛を逆立てる。往年のギャグ映画を観ているような感じで、ニールには面白かった。
「お茶入ったよ~」
 アレルヤが間延びした声でのんびりと言う。
「おお、済まないな。アレルヤ」
「気を付けてね。熱いから――ティエリア」
 あ~あ、また二人きりの世界を作り上げてくれちゃって……。ニールはにやにやしてしまうのを抑えられなかった。ニールも、今夜は刹那と……などと子供には言えないことを考えているのだ。
「くりすおねえちゃまおそいの……」
「いま、おむつつくってるとこみたい」
 ベルベットとリヒターが互いに話し合う。イノベイター第二世代ってところかな、とニールは考える。ソランはどうなのだろうか。半人半猫のソランは。
(ソランだってきっと、ただ者ではないよな。だから、この世界に来ることが出来たんだ)
 ニールは幸福感でいっぱいになりながら、アレルヤの淹れてくれたハーブティーを飲んだ。
 あったかい……くつろげる味だとニールは思った。

「りひちゃま、あのね、そらんちゃまはほんとうはにんげんなの」
 刹那のベッドに沈んでいるベルベットが言った。アレルヤとティエリアが何事かを話し込んでいる。ベルベットは追いかけっこに飽きて疲れたのだろう。なかなか起き上がろうとしなかった。――リヒターが答える。
「うん。しってる。きすするとにんげんになるんだろ? べるねえ、なんできすしてやんないの? そらん、にんげんにもどりたがってるよ」
「そうなの。……そらんちゃま。こっちおいで」
 起き上がったベルベットがソランにキスをした。
 ぽむん☆
「ベル……!」
 ニールが止めようとする。だが、遅かった。そこにいるのは、黒髪の癖っ毛の赤ん坊だった。
「ソラン……」
「ぱっぱ~」
 ソランが小さな手を懸命に出そうとする。ニールに向かって。ニールがソランを抱き上げる。
「ん~、いい子だ、ソラン。瞳の色は俺に似たな」
「ぱっぱ~。まんま~」
「んー? 今はママはいないようだぞ~。どこに行ったのかな~」
 ニールは刹那を『ママ』と呼ぶ。幸せいっぱいの声で。
「うー、うー」
「そらんちゃまのかあさま、もうすぐもどってくるって」
 ベルベットが言った。
「そうかそうか。ソランはママの居場所わかるのか。流石だな」
「まんま~」
 ――やがて、刹那はクリスと一緒に帰って来た。沢山の布と共に。どうやらおむつらしい。刹那もクリスと、今度はソランのおむつを取りに行ったのだ。
「ほら。クリスお姉さん特製のおむつカバーよ~」
「ままはおばさんじゃないの?」
「失礼ねぇ、リヒター。……誰がそう言ったの?」
「エルゼとルキスだよ。ままはいいおんなだけどもうおばさんだって」
「そう……まぁ、いいわ。あの二人には私から話をつけに行くんだから。……リヒター、教えてくれてありがとうね……うふふふふふ」
 クリスのあまりの迫力にニール達は気圧された。ニールはつい、エルゼとルキスの二人の行く末を心配した。軽くて頭ボコボコにされるとか――。
「まま、おにみたい……」
 リヒターの言う通りだ。ニールにもクリスの頭に角が生えているような気がした。――何で、女の人って、おばさんと呼ばれることをあんなに嫌がるのだろう。ニールには不思議だった。
 ――おじさんと呼ばれても、自分だったら、ショックでも、あんなに怒らないだろうとニールは思っていた。
 そういえば、スメラギ・李・ノリエガもおばさんて呼ばれることを厭うていた。
 女性は、いつまで経っても『女性』と見られる存在でありたいのかもしれない。それだったら、ニールにもわかる。
 刹那がニールを恋人として見てくれなくなったとしたら――どんなに寂しいだろう。どんなに悲しいだろう。どんなに情けないだろう。
 ニールにとって、刹那は妻であり、恋人であり、友達なのだ。
(刹那――ソランの本当の親の俺達が見つかるまで、俺達の手でソランを育てような――)
 ニールはそう、刹那に伝える。刹那は脳量子波で、(わかった)の合図を送って寄越した。返事はぶっきらぼうだが、刹那も同じ想いでいることがわかった。猫だろうが人間だろうが、刹那も自分達の子供が欲しかったのだろう。
 ――ニール・ディランディとの子供が。息子でも、娘でも構わないから。
「おむつもよーく洗ってとっておいて良かったわ。おむつカバーの直せるところは直しておきましたからね~」
「この短時間でよくぞそこまで……」
 そして、ソランの為によくぞそこまで……。ニールは目頭が熱くなった。涙が溢れて目が痛い。ニールは目を擦った。
「ニール、泣くんならティッシュ使え。赤い目なんてお前には似合わないぞ」
 刹那はティッシュの箱を持って来た。これは、刹那のニールに対しての心遣いだろう。決して、暖かいとはいえないが、素っ気ない言動の裏に、刹那の優しさを見た。刹那の歓びも感じたように思えた。
 ああ、そうだ。自分と刹那にはソランがいる……。
「私、おむつ履かせるわね。……でも、刹那もニールもよっく見て自分で覚えなきゃダメよ」
 クリスはそう言って手際よくソランにおむつを履かせる。クリスがおむつを履かせ終わって整えた時に、ニールと刹那は顔を見合わせた。
「なぁ、ニール……これをやるのか……? 俺達が……?」
「ああ……なぁ、刹那。母親って偉大だな」
「何言ってんの。すぐに慣れるわよ」
 この肝の据わり方。見た目は少女さながらだが、女と言うより母親だと、ニールも思った。刹那も思ったらしい。刹那がニールに向かって拳を握って見せた。ニールは、刹那の心がわかって、拳を合わせた。ニールが言った。
「共にソランを育てよう。刹那」

2020.07.12

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