ニールの明日

第三百十三話

 取り敢えず、店の喧騒の中、席に着いた三人。グレンにダシルに王留美――。
 肉のじゅうじゅう焼ける音が聞こえる。美味しそうな匂いもする。留美の口の中に唾が湧いた。食欲も鋭く兆して来た。
(お腹の赤ちゃんの為にも――充分栄養を取らなくてはなりませんわね……)
「留美。何か食べたいものはないか?」
 グレンが訊く。
「お酒以外だったら何でも――食欲が出て来たみたいですから」
「肉は食べられそうか?」
「ええ。さっきから美味しそうな匂いがしますもの」
「よし、決まりだ。酒と肉の焼いたの。肉は三人分。――いや、五人分」
「あいよ」
 店の人が答える。注文を取りに来た男はそのまま厨房へ引っ込んでしまった。――こんな店では厨房など、ないに等しかったが。酔客がわいわいと騒いでいる。自分は場違いなのではないだろうかと、留美は思った。
 それにしても、五人分って――子持ちの腹は三段腹とは言うけれど……。
「私、そんなに食べれませんわ」
「俺が食うんだよ」
(そう言えば、グレンの胃袋は底なしでしたわね)
 留美がふふっ、と笑った。ダシルが言った。
「留美様も食べたいだけ食べていいんですよ」
「そう、ありがとう――ちょうどお腹が空いて来たな、と思ったところなんですよ」
「それは良かったです」
 ダシルは本当に嬉しそうに笑った。ダシルは、グレンと留美が幸せならそれでいいのだ。留美も、グレンとダシルにはすっかり心を開いている。――後、村の人々にも。
 やがて、グレンの酒が運ばれて来た。
「ダシルは飲まないのか?」
「俺は、今はいいです――もうこの雰囲気にすっかり酔ってますから」
「そうか」
 グレンは短く言い、容器に入った酒に舌鼓を打つ。
「うーん。旨い。この店は当たりだったな」
「グレンはこのお店知らなかったんですの?」
 ――夫のグレンはオアシスのことについては何だってよくわかっていると思っていたのに……留美が少し驚いて目を瞠る。
「この店は初めてだ。知らなかったのが残念だよ。――あ、肉が来たな。よーしよし」
 グレンは焼いた肉を前に舌なめずりをした。グレンは結構動くので、ブクブクに太るということはないであろう。それに、大食いの男の方が頼もしく見える――と、留美は今はそう思う。
「美味いな。留美も食べるといい。さぁ」
 グレンが勧めるのへ、
「では有り難くいただきます」
 ――と、手を合わせてナイフとフォークで食べ始めた。
「あら、本当に美味しいわね」
「そうですね。留美様」
 留美とダシルが穏やかに談笑する。きっと、お腹の子供も喜んでいることだろう。
「店長はいるか?」
 グレンが言った。
「私が店長ですが」
 この店はそんなに大きくはない。けれど、店長自らが料理をしているとは思わなかった。グレンが続ける。
「アンタか。この店作ったの」
「左様でございます」
「いつ出来た?」
「ほんの一週間……いえ、二週間ばかり前でございます」
「そうか。ここは旨い店だ。また寄らせてもらう」
「左様で。ありがとうございます」
 ふくよかな店長はにこにこと笑っていた。留美も自分が笑顔になっているだろうことを感じた。グレンと店長はいろいろと話をしている。店員も楽し気に働いている。いい店だ。
「実は、隣にいるのは俺の妻で、今、妊娠している」
「ええ、そうですの」
「それはおめでとうございます。だったら、いっぱい食べて精をつけなければいけませんね。それとも、悪阻とかは大丈夫ですか?」
「ええ、何とか……」
「山羊の乳でもどうでしょう。私のおごりです。――お口に合えばいいんですが」
「大好物ですわ。山羊の乳は」
「だったら、今、持って来させますね。――おい、こっちのお客さんに山羊の乳だ」
 店長が声を張った。――店員の一人が山羊の乳を運んで来てくれた。
「山羊の乳はお腹に優しいですからね。どうぞ」
「良かったなぁ、留美。店長が優しい人で」
 グレンが言った。このグレンの表情を見ていると、彼が『砂漠の悪魔』と恐れられている戦士だとは誰も思わないであろう。かといって、腑抜けた訳でもない。今のグレンは誰よりも男らしい顔立ちをしていると留美は思った。
 ――きっと、守るものが出来たからであろう。
 今までも、グレンはかっこよく、颯爽と戦っていたが、それにはどこか自棄があったように思っていた。今は、それがない。
 子供の存在というのは強いものだと、留美は思った。後は自分が流産しないように頑張って、グレンの胤を残せるといい。
 山羊の乳も美味しくいただいた。この子は生まれる前から皆に祝福されている、と留美は思った。何と運の強い子だろう。運の強さにかけては、グレンの右に出る者はいなかったはずなのだが。
 ――いや、そんな悪運の強い男達が四人はいた。
 刹那・F・セイエイ、アレルヤ・ハプティズム、ティエリア・アーデ、ライル・ディランディ――。
 そして、ニール・ディランディも加えると五人になる。
 ニールは宇宙を漂っているところをコロニーの人達に助けてもらった。よくぞ、生還したものと思われる。
 そして、その他のCBのメンバー達。――ここの店長の口調は、CBに所属しているコック長を思わせた。かなり学のある男に違いない。
「店長さんはどうしてここにお店を開きましたの?」
 留美が尋ねた。
「私はすっかりここが気に入ってしまいましてね――元は植物学者です」
 異色のタイプだと、留美は思った。
「それにしてもあなたは……CBの当主、王留美さんに似てますね」
「似てるも何も本人だよ」
「えっ?!」
 グレンの言葉に店長は飛び上がった。
「いやぁ、留美、と呼ばれていたのでもしかしたら――と思ったんですが……世の中のことはとんと疎くてねぇ……いやぁしかし、こりゃあたまげた……」
「何?! あの王留美がいるだって?!」
 隣のスペースから声がかかった。
「じゃあ、そっちは噂のグレンだな。……俺にとっては必ずしも歓迎したい客とは言えねぇがなぁ……」
「まぁまぁ、お客さん」
 店長は客の男を宥めた。
「せっかくだから、仲良くしましょうよ、ね」
「だって店長。こいつは戦争屋だぜ。どんな部下も役に立たなくなったら首を切るに違いないんだ」
「偏見ですねぇ……」
 ダシルがこっそり嘆息した。
「確かに俺は戦うしか能がなかった」
 グレンが立ち上がる。
「だが、俺には妻も子もいる。――戦うのが正しいのかどうか、本当にわからなくなった。妻の留美も戦争に携わっていた」
 そこまで聞いた時、留美はぎくっとした。
(グレン……)
「俺も妻も、戦いで平和を勝ち取ろうとした。妻のいたCBの理念は、武力による戦争根絶だ。――そうだよな、留美」
「ええ……」
「けれど、俺は、子供が出来たことで考えが変わりつつある。もしかしたら、戦争は戦争を呼ぶだけではあるまいか、と」
「――だって、戦うことが男の生き甲斐だろう?」
 すぐ傍でこんな声が飛んできた。
「……俺はクルジス兵だ。今でもそうだ。だが、迷いが生まれて来つつある。このまま戦って良いのかと――。無論、妻や子に仇なすものは俺は死んでも許さない。絶対に殺してやろうとすると思う。だが、今は――」
 グレンは一拍置いた。
「平和の為なら、剣を捨てても構わない」
 そこで、皆、しんとなった。――ダシルが、パチパチパチと手を叩いた。それが伝播したかのように、店中の人間が拍手をした。

2020.12.04

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