ニールの明日

第三百十七話

「――やめろ」
 刹那がニールの手をぺしっと叩く。ニールは刹那と睦み合おうとしていたのだ。
「……何だよ。ソランも寝ただろうが」
「けじめのない……」
「だけどよ……」
 ニールは後ろ髪惹かれる思いで、ごろんとベッドに寝そべった。――いい気持ちだな。ニールは思った。これで刹那を抱ければ最高なんだが。
 ニールは刹那の体を欲している。あの、南国の果実めいた刹那の体を。
(そう言えば、刹那とグレンと言うヤツは、体臭が似てたな)
 けれど、それを告白すれば意外と嫉妬深い刹那のこと。悋気を起こしてもう抱かせないと言わないとも限らない。それだけは避けたいニールであった。下半身の事情からしても。
(まぁいいさ。今の俺にはソランがいる)
 それに、かみさん的な存在もいる――。
 ボヘミアン的な性格のニール・ディランディにとって、相手は刹那・F・セイエイしか考えられない。
 吸えるならここで煙草でも一服、と言うところだが、ソランがいるし、大体ニールには喫煙の習慣がない。ライルはヘビー・スモーカーだが。
(似てるようで似てねぇよなぁ、俺達。……なぁ、ライル)
 ニールは、トレミーのどこかにいる双子の弟に語りかけた。ライルは今頃アニューのベッドの中にいるかもしれない。アニューが孕むのももうすぐかもしれない。
 いいんだ。俺達はこれで、幸せなのだから。
 ニールは、ソランにとてもとても感謝を覚えていた。欲情も治まった。
 ソランのおかげで、ニールと刹那の関係もますます良好になって行くだろう――。
(ご機嫌のようですね。ニール・ディランディ)
 ELSの声がした。音波と呼んだ方がいいのだろうか。
(ああ、おかげさんでな)
(ソランの存在も大きいでしょうが……やはり刹那は特別なんですね……)
(当たり前だろ? 俺の一生に一度、出会うか出会わないかの相手だ――。ソウルメイトだよ)
(…………)
 ELSは些か鼻白んだらしい。何となくそんな気がした。ELSに鼻があれば、だが。まぁ、物の例えではあるのだが。
(この宇宙に、俺達は寄り添っている)
 この平和が続くことをニールは願っていた。けれど、それが叶わないこともまた知ってはいた。
 人間は、戦いの末に大きくなっていく生き物である。その手段は何も戦争とは限らない。
 それに――愛の力の方が大きい。
 マリナ姫と子供達も、平和の歌を歌っている。あの王留美とグレンでさえ、剣を捨てたと聞いている。
 ほんとなのかな――。
 ニールは、王留美に連絡したくなったが、それは後にしようと決めた。傍では刹那とソランが寝息を立てている。
 幸せだ――ニールは再びそう思った。この幸せが続くといい……。
 けれど、リボンズ・アルマークが何を企んでいるのかわからない。それ以外では、ちっとも文句などないのだが。
 どこから来たのか知らないが、猫に変身できる、息子のソランだっているし――。ニールは猫が大好きなのだった。ネコキチと言える程。
(そういやぁ、グラハム・エーカーは、猫アレルギーだって、風の噂で聞いたことがあるな――ざまぁ見ろ。グラハム。お前にはソランの面倒は見れねぇぜ)
 グラハム・エーカーは、刹那を巡ってのニールの恋敵だった。でも、刹那が選んだのはニールだった。それは、強ちニールの自惚れでもないだろう。
(敢えて言おう! 少年刹那・F・セイエイ! この感情は愛であると――)
 ああ、嫌なことを思い出してしまった。ニールは深呼吸をした。窓からは地球と、軌道エレベーターが覗いていた。
 ニールはうとうとしていたようだった。
「ぱっぱ、ぱっぱ」
 ソランの幼い声がした。ソランはミルクの匂いがする。
「おー、ソラン。……今何時だ? 刹那」
「地球のグリニッジ時間で午前八時だ」
 刹那が答えた。ニールが伸びをする。
「もうそんな時間か。この宇宙では時間の感覚が狂うから嫌だぜ」
「もともと俺のことを狂わせている男の言う台詞ではないな」
「何だよ。……誘ってんのか?」
「いや……もういい」
「何だぁ? 言えよ。――俺に狂ってるって」
 ニールはめいっぱい甘い声で刹那の耳元に囁いた。刹那は耳をぴくっと動かす。ニールは吐息を刹那の耳の穴にかけた。そして、続けて言う。
「何だよ……あんな殺し文句吐いておきながら」
「――無意識のうちにだ」
「俺色に染まれよ。刹那……」
 そして、また刹那の耳朶にふうっと息をかけるニール。
「ぱっぱ~、まんま~」
「おっ、放りっぱなしで悪かったな。我が息子よ」
 ニールはソランを抱き上げる。重いけれど、幸せの重みだ。
「ぱっぱ~」
 ソランは嬉しそうにニールを呼ぶ。
「お前も大人になったな。どこからどう見てもいい親子だな」
「刹那だって!」
 ニールは、さぞかし自分はぱあっと顔を輝かせたであろう。そう思った。
「まんま~」
「ははっ、くすぐったいよソラン」
 ニールはソランを刹那に託そうとした。ソランがぷくぷくとした手を差し出す。
「――どれ、今度は俺が抱いてやろう」
 ニールはソランの体を刹那に渡す。刹那が珍しく脂下がった。端末に撮って残しておきたい笑顔だと、ニールは思った。なんせ、刹那はポーカーフェイスだから……。
 ポーカーフェイスな刹那も、それはそれで美しくて大好きなのだが。
 けれど、刹那は微笑んでいることも多くなったような気がする。俺のおかげだったら嬉しい――ニールはついそう考える。
「何だ? 締まりのない顔をして」
 ――ぎゃふん。
「いやぁ、絵になる光景だと思って」
「当然だ。俺とお前の息子だからな」
「……刹那、それ、惚気って言わねぇの? ……いや、刹那は言わねぇか……」
 刹那はキョトンとした。
「惚気というのか。これは……」
「ソランを連れて来たのはベルと言うことだからな。感謝してもし足りないぜ」
「そうだな……」
 刹那の表情がまた柔らかくなった。また惚れ直しそうだ。もう、ずっとずっとニールが惚れ抜いて来た相手だが。それでも、何度見たって、刹那はニールの目に快い。
 黒い巻き毛に紅茶色の瞳。クルジスの両親譲りの浅黒い肌。――母親になっても綺麗だ。刹那。
 ソランにもちょっと妬けてしまうニールであった。
 刹那はソランに対して歌ってやる。マリナ姫と、アザディスタンの孤児達の歌っていた歌だった。
「お前も覚えたか。その曲」
 マリナにも少し嫉妬しながら、ニールは訊いた。刹那は「ああ」と答えた。
「この歌は世界中で歌われている。ニール。お前は歌が上手だから、ソランの歌声はお前に似るといいな」
「刹那だって歌上手だろ。――ま、どっちに似たって音痴にはならんだろうさ」
「そう言ってくれると嬉しい」
 刹那が喜びを表したので、ニールはへへっ、と笑って鼻を擦った。刹那は、損得抜きの愛情に弱い。ニールにはそれがわかる。人間は皆、無償の愛に弱いのだ。ソランも例外ではないだろう。
 そして、ニールと刹那も、ソランから愛をもらっている。まだ片言しか喋らない赤ん坊だが。
「俺は、ガンダムに出会えて良かった。ニールに会えて良かった。――ソランに会えて良かった。トレミーに乗り組めて良かった。幸せはここにあった。そして――」
「お前はガンダムなんだろ? もう既に」
 刹那が言いたかったであろう言葉をニールが引き継ぐ。刹那は頷く。
「――俺はガンダムだ。今でも思いは変わっていない」
「なら……平和の為に戦うんだな。……汚れ仕事は俺達だけで沢山だ」
「ああ。――ソランには手を汚してもらいたくはないな」
 ソランは、同意するように「うー」と言った。
「なぁ、刹那。ソランは今の俺達の言葉の意味わかったようだぜ。天才かな」
「――親馬鹿だな」
 そう言いながらも、刹那は満更でもないようにほんのりと顔を赤らめる。確かに親馬鹿かもしれない。けれど、親にとっては自分の子供全てが天才なのだ。子供は可能性の象徴でもある。そこまで考えて、ニールはソランの和毛の生えた頭を撫でた。

2021.02.28

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