ニールの明日

第三百十八話

「そらんちゃま~」
 ベルベット・アーデの声に、ソランは「えう~」と答える。
 ベルベットとソラン・ディランディ(ソランの姓を決めるニールと刹那の対決はニールが勝った)はもう仲良くなったようだ。
「そらんちゃま。べるはそらんちゃまのおねえちゃまなの。べるおねえちゃまとよばなきゃいけないの」
「えう~」
「もうしょうがないこ。『ベルはベルだろ』なんて」
「ベル、お前、ソランの言ってることわかるんだなぁ……」
 ニールが微笑む。そうすると、目じりに皺が寄る。ニールはソランの父親である。いや、ソランの平行世界の父親と言うべきか。――ソランにとても甘い。母親である刹那・F・セイエイは、ソランに対してもクールであるが。
 ――けれど、時々親馬鹿発言もする。
 ソランがトレミーに来て一ヵ月が経った。
 皆、ベルベットで慣れているので、ソランが来た時にも普通に祝賀ムードであった。ベルベットは新しい友達が出来て嬉しそうだ。
(ベルと俺、どっちが好きか訊いてみっかな)
 ニールはそうも考えるが、もしベルベットの方が好きと言われたら立ち直れないかもしれない。戦上では勇猛果敢なくせに、こう言う人間関係においては繊細なニールである。
 トントントン。ノックの音がした。
「はーい、なの~」
 ベルベットがニール達の部屋の扉を開ける。現れたのはアレルヤ・ハプティズムとその嫁的存在のティエリア・アーデである。因みに、ベルベットは母親の姓を名乗っている。
 ――平行世界のアレルヤが、ベルベットが三歳になるまで行方不明だったからである。けれどアレルヤは、ベルベット・アーデと言う名前の響きも気に入っているので特に文句はないらしい。
「とうさま、かあさま」
「いい子にしてたか? ベルベット」
 女性的な見た目とは対照的に低い声でティエリアが言った。
「いいこなの~。ソランちゃまもいいこなの~」
 ベルベットが嬉しそうに答えた。
「そうか。流石は母さんの娘だ」
 ティエリアは笑顔でベルベットの菫色の頭を撫でた。ティエリアはもうすっかり母親の顔である。
「えへへ……」
 ベルベットは照れている。ソランがベルベットの方へ行こうとする。
「あ、そらんちゃまもなでてほしいって」
「そうか、では……」
 ティエリアが白い手をソランの方に伸ばす。ソランは嬉しそうにきゃっきゃっと笑っている。
「ふむ、ソランもなかなか可愛い子ではないか。――ベルベットには敵わないがな」
 ティエリアの台詞にニールがかちんと来た。
「おうおう、ソランは可愛いじゃねぇか……この世界の誰よりも」
「……わかったわかった。済まなかった」
 ティエリアはこれ以上この話題を引っ張る気はなさそうだった。確かに、あまり揉めても――と言う気はニールにもある。対立が長引けば、アレルヤが参戦することもありそうだった。アレルヤは怒ると怖い。普段は優しいおっとりした青年なのだが。
 ティエリアもアレルヤをあまり刺激はしたくないようだ。
 ――そのアレルヤが言った。
「バケット焼いて来たんだけど、お昼に皆で食べないかい?」
「焼きたてのパンのいい匂いがすると思ったらそれか」
 ニールは感覚が鋭い。また、そうでなければガンダム・マイスターにはなれっこない。食い意地が張っているだけかもしれないが。
 因みにバケットの種類には、いわゆるフランスパンも入っている。
「おいしそうなの~」
「あう~」
「ソランにはミルクのほうがいいかな」
「みうく~」
 ソランが破顔一笑した。
「片言だけは喋れるんだな。ソランも。……なぁ、ソラン。お前は脳量子波でぱっぱとお話出来ないかい?」
「うー、うー」
「そらんちゃまもにーるおにいちゃまとおはなししたいけど、なにをはなせばいいかわからないって」
「そうか。俺もこの頃忙しくて相手してやれてなかったもんな。でも、ベルとは話してるよな」
「べるはそらんちゃまのともだちだもの」

 昼ご飯を食べたベルベットとソランは眠ってしまった。子供達をあやし寝付かせていた刹那も眠ってしまっていた。――子育てはハードなのだ。
「ううむ……特訓で鍛えた刹那をダウンさせるとは……ガキ達恐るべし!」
「ニール、ニール」
 アレルヤがちょんちょんとニールをつついた。見ると、彼は端末を構えている。
「おお、記念動画か。俺も撮ろうっと。それにしても、お前さんはいつも端末を持ち歩いてんのか? アレルヤ。――俺も負けてらんねぇな」
 ニールも端末を構える。ティエリアは、はーっと溜息を吐いた。
「……ベルベットがここに来るまで、アレルヤが記録魔だとは思いもしなかったよ」
「だって、ベルは可愛いじゃないか。君に似て」
「馬鹿者。ベルベットは君に似たのだ」
 ――今度はニールが溜息を吐く番だった。二人とも、仲が良くて結構なことで。そう言いたかったが、言えなかった。何故なら、自分も彼らの同類であることをニールにはわかっていたからだ。
 親馬鹿で、我が子が一番。
 ソランもニール達が直接生殖に関わった訳ではないが、ニールはもうすっかりこの幼児に夢中になっていた。
(俺もいくらデータスティック使ったんだって話だよな……)
 そう言いながらも、ニールもアレルヤと一緒に端末を操る。
「仕方ないなぁ、君達は。――気持ちはわかるけどな」
(おお、そかそか。ティエリアも俺達の気持ちがわかるのか)
 ニールは改めてティエリアに親近感を持った。ガンダムマイスターとしては嫌いな方ではなかったが。むしろ、昔はティエリアの方がニールを嫌っていたと思っていたのだが。ティエリアも随分丸くなった。
「アレルヤ、データスティックに情報を落とし込んだらコピー作っておけ」
「OK」
 アレルヤがOKサインを作った。ティエリアがふ、と笑った。アレルヤもニールも、満足行くまで端末で愛する者達を撮影していた。やがて、心ゆくまで映像を撮ったニールとアレルヤは端末を仕舞った。
「いい記念になるな。――幸い、今は戦争もないし」
「そうだね……」
 アレルヤの顔が一気に憂いを帯びる。リボンズ・アルマークからはあれから何の攻撃もない。不気味さを孕んだ平和であった。ティエリアもアレルヤの不安を感じ取ったのだろう。少し眉を顰める。
「ティエリア、クリス達のところへバケットの残りを運んで行ってくれ。リヒターも食べたいと思う」
「――わかった」
 これが、アレルヤ流の席の外させ方だと、ニールにはわかっていた。ティエリアもわかっているはずだが、承知せざるを得なかったのだろう。アレルヤとニールは二人きりになった。
「……ニール、皆戦争には反対だよ」
「――ああ」
「でも、まだリボンズがいる」
「刹那は……リボンズ・アルマークを救いたい、と言っていた」
 ニールはふと、随分前のそんな刹那の言葉を思い出していた。無理だとわかっているのに――と、当時のニールは考えていた。だが、それが出来なければ真の平和はやって来ない。
(アリーがいれば……)
 ニールは初めて、アリー・アル・サーシェスを頼りたいと願った。――あの稀代の悪党に。けれど、悪に強い者は善にも強いのだ。リボンズ・アルマークとアリーは、似ていないようで、似ている。
 ニールは何も出来ない自分が悔しくて歯痒くて、つい爪を噛んでいた。
「ニール……爪がギザギザになって汚くなるよ」
 アレルヤが注意する。ニールはどうでもいい、と感じた。
 ――愛する者が出来たら、人は変わる。
 例えば、アリーとニキータ。アレルヤとティエリア。グレンと王留美。グレンも王留美も共に平和を望んでいると、ELSから聞いたことがある。
 そして、自分と刹那・F・セイエイ。
 リボンズには誰かいないのだろうか。リボンズが愛するに足る娘が――。いや、娘とは限らないかもしれないが。刹那もリボンズが気懸りだったようだ。以前はあまり面白くなかったが、今なら、刹那の気持ちが少しはわかる。
「リボンズを救いたい、か。刹那らしいね。あの子は優しいから……」
 と、アレルヤが独り言つように言葉を紡ぐ。
「そうだろう。そうだぜ――いや、『助けたい』だったかな」
「言葉の問題なんて些末なものじゃないですか。僕が言いたかったのは、刹那は僕らが思っているよりずっと大人のようだってこと」
「ああ。俺もそう思う。……ちっ。アリーの協力も得られればな――」
 アレルヤはそれを聞いて目を剥いた。
「本気かい? ニール。あの人はかつてのニールの恋敵だったんじゃ……」
「でも、ヤツのことを思い出しちまったんだから仕様がない」
 その時、ベルベットが片目を開けた。タイムリミットだ、ニール――アレルヤはニールに脳量子波でそう伝えた。

2021.03.21


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