ニールの明日

第三百一話

 ベルベットがリングガールを務めた沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィの結婚式は無事終わった――。

「るいすおねえちゃま、きれいだったの~」
「ウェディングドレスと言ったらやっぱり乙女の憧れですぅ」
 ベルベット・アーデとミレイナ・ヴァスティが端末を覗き込みながら溜息を吐いている。これから何度もリピートするのであろう。――ベルベットと同じ菫色の髪を持つティエリア・アーデがくすっと笑った。
 ベルベット。平行世界から来たのであるが、この世界のティエリアにとっても何よりの宝物。菫の花を思わせる匂いまで、何だかティエリアと似ている。
(後で、ベルベットの本当の両親にも報告してやろう)
 そう、ティエリアは考える。二人の乙女を眺めながら。――この部屋には他に茶色の巻き毛のクリスティナ・シエラもいる。
「くりすおねえちゃま、べるもあんなどれすがきたいの」
「わかったわ。ベルちゃんの結婚式には凄い豪華なドレスを作ってあげるわね」
「やー! これがいいのー!」
 ベルベットが駄々をこねた。ティエリアが男の声で言った。
「我慢しなさい、ベルベット! 聞き分け良くするんだ!」
「やー!」
「ベルちゃん……結婚式は一生に一度の晴れの舞台なのよ。お下がりのドレスなんて、嫌でしょ?」
 クリスが優しく窘める。けれど、ベルベットは一歩も引かない。
「べるはこのどれすがいいのー!」
「どうしたんだい? ベルベット。うちのお姫様がまたなんか我儘でも言ったのかい?」
 ティエリアのパートナーでアレルヤの出現に、ティエリアはほんの少し眉を顰めた。
「どうやら、ドレスのことでおかんむりらしい。――僕にはわからないよ。ウェディングドレスは新しい方がいいと思うんだが……」
「べる、るいすおねえちゃまといっしょのどれすきるの~」
「はいはい。……ねぇ、ティエリア。ベルはルイスがとても美しい花嫁姿だったことに感動したってことを一生懸命伝えたかっただけだと思うよ。ただ、ベルにはそれを表現する言葉が見つからなかっただけなんだと思うよ」
「そ……そうか……それでわかった。ベルベットの気持ちが。アレルヤ・ハプティズム。君は天才だ」
「……ありがとう」
 アレルヤは照れ臭そうに緑がかった黒髪を掻き上げる。
「るいすおねえちゃまとってもきれいだったのー。べるもあんなおよめさんになりたいのー」
 自分の気持ちが伝わった喜びで、ベルベットの涙は吹き飛んだようだった。
「おやおや。今泣いた烏がもう笑うだな」
 穏やかにティエリアが評する。そして、小さなベルベットの頭を撫でてやった。ベルベットがきゃふきゃふ言う。
「クリスに頼んで、ベルの花嫁衣装も今から作ってもらうか?」
「駄目だ。結婚式の前にウェディングドレスを着たら、婚期が遅れる」
 ティエリアは大真面目にアレルヤに答える。
「じゃあ、何か花柄のドレスでも作ってあげましょうね。ベルちゃんが好きそうな」
 クリスの言葉に、ベルベットが、
「わーい」
 と両手を上げてはしゃぐ。扉の開く音がした。
「ママ……」
「帰って来たのね。リヒター……どうしたの?」
「べるねえ」
「りひちゃま」
「ぼくもあんなきれいなおよめさんがほしいの……」
「まっ、もう結婚の話? リヒターったらおませさん」
 クリスは心安立てにリヒターの額をつんとつついた。リヒターは体をもじもじさせた。
「べるねえだったらきっときれいなおよめさんになるとおもう……」
「あら、もうプロポーズ?」
 クリスもこれには些か驚いたようだ。
「うん。おとなになったらけっこんしようね。やくそく」
 ベルベットとリヒターは指切りげんまんをした。「結婚の約束が指切りげんまんねぇ……」と、クリスは呆れながらも微笑ましそうに眺めていた。ミレイナも微笑んでいる。
「ベルベットちゃんとリヒターちゃん、とっても可愛いですぅ」
 ミレイナが嬉しそうにはしゃぐ。
 リヒターの姓はツェーリ。父親から譲り受けたものである。――クリスは、リヒテンダール・ツェーリと結婚した後も、クリスティナ・シエラと名乗って来た。
 ベルベットもリヒターと結婚すれば、ベルベット・ツェーリになるのであろうか。
 けれど、ティエリアはクリス達と少し離れたところでこう思っていた。
(あの二人は――ないな)
 ティエリアには予知能力みたいなものもも少しはある。その未来の中に、ベルベットとリヒターが一緒になる将来はなかった。
(ベルベットには、もっといい男が現れて来るようだ――)
 自分は占い師になれるかもしれない、とティエリアは考えていた。いつぞやのように女装でもして出れば、美人占い師として人気を博したかもしれない。
(――まぁ、関係ないけどね。僕には。ただ、ベルベットを不幸にする連中は許さんからな……!)
 とん、と肩に手が置かれた。アレルヤの大きな手だ。
「大丈夫、ティエリア……」
 ――安心させるようにアレルヤが言った。
「あの二人はそれぞれ自分の幸せを見つけるよ」
「……そうだな……」
 ベルベットのことは少しはわかる気がする。だけど、リヒターとなると……ちょっとわからない部分もある。リヒターは天才だとベルベットは言っていたれど、ティエリアには普通の幼児にしか見えない。
 まぁ、この年にしてみれば少しはませているかもしれないが……ティエリアは思案顔をしているだろうことは自分でもわかる。
「そんな怖い顔しないで」
「この顔は元からだ」
 だが、胡麻化してみても、自分が険しい顔をしていたのは明らかだったようだ。
「どうかなさいましたか? アーデさん」
 ミレイナが可愛い顔をしてティエリアの顔を覗き込む。ティエリアはふっと微笑んだ。
「何でもないよ。ミレイナ――」
「ちょっと心配事がありそうですぅ。……ココアでも淹れてきますか?」
「ああ、お願い」
 自分の懸念が溶けていくのがわかる。ミレイナはそこにいるだけで皆を癒やしてくれる。慰めてくれる。
「はーい、ですぅ」
「あ、べるもてつだうー」
「いいけど、ちゃんといい子にしてるんですよぉ、ベルベットちゃん」
「はーい」
「……ココアなら、この部屋にもあるわよ」
「はいですぅ、クリスさん。――実はチェック済みなのですぅ」
「まぁ……」
 クリスがくすっと笑った。ミレイナもなかなか抜け目がない。けれど、それを皆に知らせる程、愚かでもない。
(ミレイナの将来の相手も知りたくなって来たよ……)
 残念ながら、ティエリアの能力では未来全部は見通せない。だからこそ、ティエリアにはヴェーダが必要だった。けれど、ティエリア自身は人間になりたかった。人間として、アレルヤと生きたかった。
 例え、アレルヤも超兵という存在で、もう厳密な意味では人間ではなかったたしてもだ。
(僕がもっと有能だったら――戦争を地上から一掃する。イノベイター狩りなんて、魔女狩りみたいな無意味な風習も、終わらせる)
 ティエリアは密かにきゅっと拳を握る。アレルヤは穏やかに、そして少し困ったようにティエリアを見つめている。また自分の世界に入ってしまったと思われているのであろうか。だったら、それでも構わない。
(もっとリラックスしてごらん。ティエリア……)
 アレルヤの声が頭のをこだましたような覚えがある。
(僕も、イノベイター狩りは嫌いだよ。……近々、ベルベットの元いた故郷へ行こうと思うんだが、君も来ないかい)
(何、だって――?)
 ティエリアの目が大きく見開かれた。
「あそんでよ、おにい」
 リヒターがアレルヤに近づいて行く。リヒターはどちらかといえば、ティエリアよりアレルヤの方が身近に感じられるようだった。
「それはいいけど、ココアを飲んでからだね。ミレイナちゃんが作るココアはどんな味がするのか、楽しみだね」
「うんっ!」
 リヒターは勢い良く頷いた。やがて、部屋中に甘い匂いが漂って来た。
「美味しそうね――」
 ふうふう言いながら、ティエリアもココアを啜る。五臓六腑に染み渡る味だ。ミレイナを嫁にする男は、何と言う幸せ者だろうとティエリアは想像する。――だが、ティエリアにはもう、アレルヤがいる。ベルベットに近い存在も二人の間にもしかしたら生まれて来るかもしれない。
 いつか――僕達が人間になった時に、僕にも子供を生む機会を授けてくれますか――? ティエリアはどこかにいる何者かに祈る。ティエリアには、愛情が生命を作る力だとわかっている。どんな存在にも愛情を注げばそこには生命が生まれるのだと。だが、ティエリアはとにかく自分が腹を痛めて産んだ子を育ててみたかった。

2020.04.11

→次へ

目次/HOME