ニールの明日

第三百五十二話

「リボンズ……」
 刹那の口内は緊張でからからに乾いていた。モニターの向こうでリボンズがアルカイックスマイルを浮かべた。
『僕を説得しようと思っているのなら無駄だぞ』
 刹那は一瞬驚いて目を瞠った。が――。
(同じイノベイター同士だものな)
 と、すぐ納得した。
『君は僕を救いたいと思っているようだが、それは烏滸がましい。間違っている。刹那・F・セイエイ。今日の君を作ったのはこの僕だ』
「ああ――」
 仲間も、夢も、仕事も、リボンズのお膳立ての上に用意されていた。
 だからこそ、今のリボンズのことは間違いから救いたい。
 ――ニールから連絡が入った。
『単刀直入に言え、刹那。イノベイターを返さないならただでは済まないと』
「ニール……」
『迷うな。お前さんにはクアンタがいる。クアンタは――お前の味方だ。お前と同じ、ガンダムだ』
 ニールは通信を接続したままそう言った。
(そうだ。俺は、ガンダムだ――)
 けれど、いつぞや自分のことを嗤ったニールが自分をガンダムだと認めてくれたのは嬉しかった。
 刹那はふと、あの南の島でのことを思い出していた。ニールは自分を殺そうとした。今となっては信じられないことだが――。
 けれど、「俺がガンダムだ」と言い切った刹那に対して、ニールは嗤った。でも、今ではニールももう嗤わない。それどころか、刹那をガンダムとして遇している。――刹那・F・セイエイはガンダムだ、と。
(ありがとう、ニール……)
 恋人が自分のことを認めてくれた。それだけで元気が出る。
『でな――あのよう……俺とガンダム、どちらを信じられる?』
 少し照れたようにニールが茶色の巻き毛を掻き上げる。
「勿論、ガンダムだ……!」
 刹那は答えた。ニールのことも愛してはいるが、ガンダムとはまた違った次元での話だ。それに――ニールはやっぱりまだどこか得体が知れない。信じるとしたらガンダムの方だ。
(ガンダムは俺の神だ――)
 刹那は思った。両親を殺した自分。テロ組織に入っていた自分。沢山の人間を戦争で殺した自分。
 そんな自分をガンダムは優しく受け入れてくれた。コックピットは母の胎内だ。
 不意に――ソラン・イブラヒムだった頃の両親の記憶を思い返した。
 両親は優しかった。善人だった。だが、自分は悪に惹かれ、染まった。
 それを救ったのがガンダム及び、ガンダムマイスターだ。アレルヤ・ハプティズムも、ティエリア・アーデも訳ありなのだけれど――いや訳ありだからこそ、自分の仲間だ。
 そして、ニール・ディランディは、人間の中では最も、誰よりも愛しい――。
 会わせてくれたのはリボンズだ。
『忘れたのかい? 君を助けたのは、この僕だ――』
「ああ」
 刹那は簡潔に答えた。自分の為にリボンズが暗躍していたのは知っている。例えリボンズ・アルマーク自身の勝手な都合ででもだ。
 自分はリボンズの玩具だったのかもしれない。そしたら、それで構わない。リボンズは恩人なのだから。
 今から自分がしようとすることは、余計なお世話かもしれない。恩を仇で返すことになるかもしれない。
 それでも、リボンズのことは放ってはおけない。今のリボンズはおかしいと、刹那は感じている。ニールの声が飛んで来た。
『刹那、リボンズに耳を貸すんじゃない。今のヤツはヤク中だ!』
『言わせておけば――』
 リボンズが奥歯を噛み締める。クアンタを通して、リボンズはニールと交信しているのだ。
『お前ら、黙れ、うるさい』
 妖精のティエリアがそう言う。確かにその通りだが、刹那には新しい突破口が開けそうな感じがした。
「リボンズ、お前は、昔で言う麻薬中毒なのか――?」
 それだったら、まだ救いはある。麻薬中毒は必ず治る。いや、治してみせる。――刹那がそう思った時だった。リボンズが答えた。
『――ある時、道化のアレハンドロが白い粉をくれた。媚薬だと言ってな』
「アレハンドロ・コーナーか!」
 刹那は叫んだ。だが、その男はもうこの世にはいない。
『愉快だったぞ。刹那。あいつが俺の上に乗っていた時、俺の意識は巫山の夢に遊んでいた。奴は懸命に腰を振っていた。そして、粗末なあれで僕を貫いた。薬で意識が朦朧となっていたこの僕を――』
「――やめろ」
 刹那は静かに言った。リボンズの台詞は聞くに耐えないものであった。
「リボンズ……やめろ……」
 リボンズがアレハンドロを愛していたとは思えない。だが、アレハンドロの死は、リボンズの心に爪跡を残した。それがリボンズの最大の弱点だ。
 刹那は、妙に悲しくなってその紅茶色の目に涙を滲ませた。他人事とは思えない。自分だって一歩間違えばリボンズのようになっていただろうから。
 ――リボンズは、出会った人間が悪かった。だが、まだ遅くはない。
「リボンズ。過去は捨てろ」
『もうとっくに捨てているさ』
「いや、お前も過去の亡霊にがんじがらめになっている」
『刹那、それ以上口を開いたらそれを合図に交戦の意志ありとみなす』
「…………」
 刹那は手の甲で涙で濡れた目元を拭った。何を言っても無駄か。そう思った時だった――。
『少年ー!』
 グラハムから通信が入った。
『逃げろ、少年!』
「出来ない……それは出来ない……」
『後は私に任せろ、少年。お前はニールと幸せになれ』
「グラハム!」
『そんな声を出すな。少年。どうせ、君は私には勿体ない。ニールと共に生きろ』
「グラハーム!」
『耐えろ刹那。今はあの男に任せろ! あの男は本物だ! 本物の男だ! 背中を預けるのは無理でも、お前を助けたいと思っている』
「ティエリア……」
 ホログラムの小さなティエリアが微笑んだ。
『泣くな、刹那……あの男はお前の為に死ねるのであれば本望だろう――』
『グラハムスペシャールっ!』
 画面の中でグラハムがリボーンズガンダムの間合いに入った。
『雑魚は……引っ込ん出ろ!』
 リボーンズガンダムがグラハムの乗っているガンダムエクシアに攻撃する。
「グラハム!」
『大丈夫だ、少年。この機は思ったより頑丈だ。――イアン・ヴァスティや沙慈・クロスロードが整備してくれたガンダムエクシアだ。そして、お前が前に乗っていたガンダムだ。今度はこっちから行くぞ!』
『グラハム、俺も手伝う!』
『ニール・ディランディ……少年と、仲良くし給えよ……少年は寂しがり屋だから、お前まで逝ったら、困るだろう……?』
 グラハムは応戦しながら喋る。
『逃げよう、刹那・F・セイエイ』
 コックピットの中のティエリアが促す。
『駄目だ。出来ない。ここでグラハムを見捨てたら、リボンズを救うことなんて出来やしない』
『やめておけ、どうせお前には出来ない。お前が出来ることと言ったら、生き延びて次世代のガンダムマイスターを育て上げることだ』
「ティエリア……でも、今はまだ無理だ」
『俺もいるだろ? 刹那にグラハム。それに兄さん。こんな面白そうな祭りに俺を呼ばないとは水臭い。オールスターゲームだ!』
「ライル……」
『刹那・F・セイエイ』
 画面にティエリアの端正な顔が映った。これは本物のティエリアだ。触ることも出来るし実体もあるだろう。
『僕も参加させてくれ』
『へーい、俺様も混ぜろよ』
 今度はアレルヤ――いや、ハレルヤ・ハプティズムだった。
『いっちょ暴れてやろうぜ! なぁ、アレルヤ!』
『仕方ない……』
 アレルヤが髪を上げる。彼はオッドアイを見せつけた。アレルヤは困ったもんだと思ったであろうが、ハレルヤは金目銀目のこのオッドアイが自慢らしい。
「……はっ!」
 刹那の口から思わず笑い声が漏れた。毒を食らわば皿まで。思い切り暴れまくって、死ぬんならそう――皆でだ。刹那は天国のアリーのことを思い出していた。刹那はまた泣きそうになった……今度は、嬉しくて。

2023.2.14


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