ニールの明日

第三百話

「さじおにいちゃまとるいすおねえちゃま、けっこんするの?」
 そう言って目を瞠らせたのは、アレルヤ・ハプティズムとティエリア・アーデの娘、ベルベット・アーデであった。ベルベット・アーデは平行世界から来たもう一組のアレルヤとティエリアの娘である。
 ティエリアに似たのだろうセミロングの菫色の髪に、オッドアイから受け継いだのであろうオッドアイ。
「そうだよ。ベルベットちゃん」
 沙慈・クロスロードが穏やかに言った。ルイス・ハレヴィは嬉しそうに笑っている。
「また結婚式、するの?」
「そうだね。明日にでも」
「るいすおねえちゃま、どれすきる?」
「着るわよ。とても素敵なドレスをクリスに作ってもらったからね――」
「わあい、見たい、見たい」
「それで――僕から頼みたいんだけど……ベルベットちゃんにはリングガールをしてもらいたいんだ」
「はあい」
 こっ、と足音が響いた。沙慈にとってはもうすっかりお馴染みになってしまった花の香りがする。
「ベルベット。こんなところにいたのか」
「かあさま~」
 ベルベットはティエリアの元へと駆けていく。ティエリアの眼鏡の奥の瞳が優しくなった。
「ティエリア、君にも相談に行こうかと思ってたんだけど――」
「何だい? ルイスと喧嘩でもしたのかい?」
「あらやだ。ティエリアさんたら――私達、ラブラブですよ。ねぇ、沙慈」
 ルイスが沙慈の顔を覗き込む。ルイスの髪がさらっと鳴った。沙慈は「可愛い」と思った。でも、今はそれどころじゃない。
「あの……僕達の結婚式にベルベットちゃんにリングガールを務めてもらおうかと――ベルベットちゃんは可愛いし、しっかりしてるから……」
「そうか」
 ティエリアは唇の端を上げた。ティエリアのようなクールビューティーな男でも、自分の娘を褒められるのは嬉しいようだ。――例え、平行世界から来た娘であっても。
 そして、ベルベットは生意気なところがあまりないので、トレミーのクルー全員に好かれていた。
「そうだな、どうする? ベルベット。――リングガールになれば、また可愛いドレスが着られるぞ」
「べる、りんぐがーるやりたい」
「だ、そうだ」
 ティエリアは今度ははっきりとした笑みを浮かべている。幸せなんだろうな――沙慈はそう思った。沙慈もルイスと、アレルヤやティエリア達のような幸せな家庭を築きたいと思った。
 そして――ベルベットのような可愛い子宝にも恵まれたいと思った。
(ルイスだったらきっと、可愛い子供を生んでくれる)
 実は、ルイスとはそんな話をしてたのだった。子供は男の子が一人で女の子が一人。時には喧嘩もするかもしれないけれど、きょうだいとして仲良くし合う二人――。
 ――ベルベット・アーデは、沙慈の理想の娘であった。
(こんな娘が生まれるといいわね――)
 ルイスの声が聞こえた。沙慈もルイスに向かって頷いた。
「べる、きれいなどれすきたるいすおねえちゃまがみてみたい」
「ありがとう。私も早く着て皆の前にお披露目したいわ。――そうだ。クリスのところへドレス見に行きましょうよ。一足先に。ベルちゃんも来るでしょう? 綺麗なドレス見せてあげるわ」
「ほんと? わーいわーい」
 ベルベットは小躍りしている。ティエリアはこほんと咳をした。
「本当に――クリスは尊敬に値するな。僕はそのう……針仕事が少々不得手だから……」
 はっきり言って針仕事に向いていないと言うことである。けれど、沙慈はそれには答えず、黙ってベルベットの頭を撫でた。ティエリアが不器用でも、彼にはアレルヤと言う手先が器用な恋人がいる。
「ティエリアさんも来ますか?」
 ルイスが誘うと、ティエリアは一瞬、また嬉しそうに微笑んだ。
 ティエリアは最近、笑うことが多くなって来た気がする。それがベルベット・アーデという存在の故なら、娘と言うのは強い。
(本当に、こんな娘に育てることが出来たなら――)
 ルイスも子供が好きだ。そして、子供達もルイスが好きだ。リヒテンダール・ツェーリとクリスティナ・シエラの息子、リヒターもルイスに懐いている。
 イアンとリンダのヴァスティ夫妻の年頃の娘、ミレイナ・ヴァスティもルイスに好感を抱いているらしい。
(ミレイナもハレヴィさんみたいな素敵な女性になるです~)
 そう言って笑っていた。沙慈にとって、トレミーの中には嫌だと思う人が一人もいない。どうしてこんないい人が武力による戦争根絶に携わっているのだろうと疑問に思うばかりだ。
 武力では戦争など解決しないのに――。
 武力は新たな戦争を生む。新たな戦争孤児達を生む。だから、沙慈は「歌で世界を救う」マリナ・イスマイールの方にどうしても共感を覚えるのだ。
「行こ、沙慈」
「いこいこー!」
 ルイスとベルベットの声で沙慈は我に返った。
(気にすることないわよ。沙慈。いずれは全部、なるようになって行くんだから――)
 そうだね。ルイス――沙慈はルイスの脳量子波に返事をした。
 何だろう。ルイスは強くなったような気がする。彼女の夫になる予定の自分は何も変わらないのに――。
「べる、るいすおねえちゃまとさじおにいちゃまとおててつなぐー」
 母親譲りの花の香りのするベルベットが嬉しそうに手を差し出す。そういえば、今日のベルベットのドレスは花柄だ。――沙慈も手を差し出した。
「行って来い。ベルベット」
 ティエリアが後押しをする。ベルベットはトレミーのクルーの誰かに教えてもらったらしい歌を歌いながら、上機嫌でルイスと沙慈と一緒にその場を後にした。
「その歌は?」
 ――ルイスがベルベットに訊く。
「まりなおねえちゃまのうただって。てれびでやってたんだって。おしえてもらったの~」
「へぇ……誰からだっけ?」
 沙慈はさっきベルベットから名前を聞いたと思ってたのだけど、つい失念してしまったのだ。ベルベットは笑顔で言った。
「ラッセさんだよ~」
「なるほど、あの人か……」
 筋肉を鍛えることしか頭になかったようなあの人だが、最近フェルトと恋仲になったようらしい。ラッセもマリナの歌が好きなのが少し意外でもあった。ラッセもベルベットを大事にしている。
 ベルベットはクルー皆の子供であり、アイドルであった。
(このトレミーに来てくれてありがとう。ベルベットちゃん)
 口で言うのは恥ずかしいので、沙慈はベルベットにそっと感謝する。――ベルベットが来てからトレミーも明るくなった。スメラギ・李・ノリエガの酒量も目に見えて少なくなって来た気がする。
「りひちゃま、くりすおねえちゃまといっしょにいるかな~」
 りひちゃまとはリヒターのことだな。リヒターはちゃんと名前で呼べ、とベルベットに怒っているようだが、ベルベットは気にしていない。
「いるかもしれないわね。リヒターくんはベルベットちゃんのお友達ね」
「うんっ!」
 ベルベットが笑顔で頷く。ベルベットもリヒターもクルー皆で可愛がっている。リヒターだってベルベットが好きだ。
「ノックするの~」
「……ベルベットちゃんのノック、聴こえるかしらね……」
 案ずるルイスをよそに、ベルベットは小さな手でドアをコンコンコンと叩く。扉が開いてクリスが現れた。
「こんにちは。ベルちゃん。沙慈にルイスも一緒ね。ちょっとルイスに来て欲しかったから、ちょうど良かった」
「何かしら?」
「完成したドレス、試着してくれないかしら。そりゃ、仮縫いの時にはぴったりだったけど」
「まぁ、私がこの短時間で太ったと言いたいの?」
 ルイスがくすくすと笑った。彼女の台詞は冗談だとわかっているから、沙慈にも笑える。それに、ルイスだったら太っても喜んで結婚してしまうだろうと、沙慈は思う。
「そうじゃないってば。結婚式に映えるかどうか、見ておきたかっただけ。美容院へも行くでしょ?」
「はい……」
「ベルちゃんもルイスお姉ちゃんがドレス着たところ、見たいでしょ?」
「見たいの~」
 ベルベットはもろ手を上げて喜んだ。クリスが言った。
「じゃあ、こっち来て――着付けするから……沙慈はまだ見ちゃダメよ」
「わかってるって……」
 地上で宛がわれたあまり広くない部屋だ。クリスはルイスを衝立の陰に引っ張った。――リヒターは寝ているらしい。寝顔が可愛い。
(やっぱり、男の子も欲しいよな……)
 男の子が生まれたら、一緒にキャッチボールをするようになるかな。沙慈は運動より本を読んでいる方が好きだった少年だが、運動もそれなりに出来るし、楽しんでもいた。
(どんな子が生まれるかな――ルイスに似たらきっと可愛くて活発だろうな……)
 沙慈は想像して脂下がる。彼も子育てというのがしてみたいのだ。
 しばらくしてからのこと――。
「出来たわよー。ほら、恥ずかしがってないで、ルイスも来て……」
「う……うん……」
 ルイスがはにかみながら衝立から出て来た。極上の花嫁だ。沙慈は息を飲んだ。ベルベットが「きゃ~、すてき~」と歓声を上げる。この娘が沙慈と結ばれるのだ。自分は何という幸運を手に入れたのだろうと、嬉し過ぎて泣きたくなった。

2020.03.28

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