ニールの明日

第六十九話

「ミス・スメラギ……」
ニールは半ば呆然としながら大荷物を携えた女性を眺めていた。
はっ、と気がついて刹那を見た。彼は無表情だ。
(賭けはおまえの勝ちだな、刹那)
「ビリーに追い出されちゃった」
スメラギは舌を出した。
「タクシーで途中まで来たのよ。けど、ちょっと歩こうと思って」
「俺達もだ。もうバイクは置いてきたからな」
どうせもうすぐ空港だった。
「それからこれ」
スメラギはくしゃくしゃになった紙切れを取り出した。
「ビリーが捨てたのを私が拾ったの。……CB独特の隠語で書いたのは正解ね」
知らない人が見たらただのなんてことはない文章の書かれた紙である。
「ま、尤も、彼が気がつかなかったとも思えないけれど……解読はすぐにはできないでしょうね。する気もなさそうだったし」
「待て。ビリー・カタギリはアレルヤのことを何と言っていた?」
ニールがきいた。
「上に報告する気はないと……『このことは僕のところで握り潰す』と言っていたわ」
「信用ならねぇな」
「彼はしないと言ったらしない人だわ。たとえどんなに私に怒っていてもね。彼は彼なりに最近のアロウズの動きをきな臭く思ってたみたい。アロウズを反対に利用してやろうという甘っちょろい考えを持ったこともあったみたいだけどね……諦めたようよ。ホーマー・カタギリもいるし。何より、ビリーは人を陥れたり、組織を手玉に取ったり……なんてことは苦手なのよ。根っからの研究家だから。取り敢えず、ビリーは信頼に足る人だわ」
「俺も、そう思う」
刹那もスメラギに賛成した。
「あの男はそう悪い奴には見えなかった」
「敵の中の味方か……」
皮肉げに呟きながらニールは苦笑した。
「そうとも言い切れないけどね」
スメラギは肩を竦めた。
「そうだな……スメラギのことは怒っているだろうし」
「私、本当はビリーが報復に出ないかどうか、ちょっと自信のないところがあるのよ。なまじ親しいからかえって行動が読めないの」
「だろうな」
「つまり、敵になるかもしれないんだな」
「まあ……そうね」
「俺の責任だな」
刹那が言った。ニールが彼をぐいっと引き寄せた。
「『俺達』の責任だろ?刹那。何でも一人でしょい込むな」
「ニール……」
刹那とニール、二人は互いの顔を見つめ合う。スメラギが咳ばらいをした。
「……あなた達、そういうことは私のいないところでやりなさい」
「……っと、わり」
「私は恋人失っているからねぇ……」
「済まない。スメラギ」刹那も謝った。
「ビリーは恋人でないのか?」
「違うわ」
スメラギはニールが思わず吹き出してしまったぐらい断固として答えた。
「だいたい私、彼に体を許したことないもの」
ニールは……今度は本気でビリーに同情した。豊満な胸の美女と何もせずに一緒に同居。ビリーはずっと、それこそ蛇の生殺しの感情を押し殺していたに違いない。
俺だったら……とニールは考える。俺だったら耐えられない。今だっていっぱいいっぱいなのに。……まあ、相手は刹那に限るが。刹那と一緒に何もせず……これからもずっとそうではこっちが発狂してしまう。
(済まない、ビリー……アンタっていい男だったんだな……)
そして、スメラギの悪女ぶりに戦慄した。彼女は自覚していないようだが。
報復されても文句は言えないぜ、スメラギ、とニールはひっそり考える。おまえさんだって満更男の怖さ、知らない訳でもなかろうに。
「ねぇ、ロックオン」
スメラギがニールの名を呼ぶ。
「な、なんだ……?」
スメラギとビリーの関係に対して多少突っ込んだ事情を考察していたニールはびっくりして声が裏返った。
「あなた、本当にロックオンなのね?」
「ああ……証拠を見せてやる」
ニールは右目の眼帯をずらした。傷口がはっきり見える。
スメラギは安堵の微笑みを見せた。
「……本当に、本当にロックオンなのね?」
スメラギは涙を流しながら、くしゃくしゃに笑った。ニールは不意にスメラギが愛おしくなった。それは、刹那に対する激しい恋情とは違い、むしろ友愛に近かったが、愛情ではある。ニールは年上のスメラギの頭を撫でながら優しく言った。
「ただいま」

2013.6.25


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