ニールの明日

第二十話

自分の想いに浸っていた刹那に、モレノが、
「きかんのか?」
と尋ねてきた。
物思いから覚めた刹那は、
「何を?」
ときき返す。
「ロックオンの居場所さ」
「……彼はどこにいるんだ?」
心配していなかった訳じゃない。ただ、ニールが生きているという事実に全身が喜びで溢れ、居所をきくことを失念していたのた。
「グレンと一緒にどっかに行ったよ。ダシルがグレンと一緒いるから、あいつらに会ったら何かわかるかもな」
「ニール……いや、ロックオンは元気そうだったか?」
「ああ。右目は相変わらず見えていないようだったが」
「そうか、元気か……良かった」
刹那は安堵の吐息をもらした。そして話題を変える。
「グレンとかダシルというのは?」
「ここら辺りを根城にしているゲリラ兵だよ。ああ、でも悪い奴らじゃない。グレンというのがおまえにちょっと似てたかな……えいっ、このおんぼろめ!」
モレノがハンドルを殴る。クラクションの音がした。
「……悪かった、おまえはいい子だよ、さあ、もっと上手く動いてくれ」
モレノが車に話しかける。刹那は思わず笑ってしまった。
「やはり救急車でも買った方がいいかなぁ」
などと呟いている。
「しかし、ジョシュアとロックオンは会わせていいもんかね。因縁浅からぬ仲だからな、彼らは」
「ロックオンがまだどこにいるかもわからないのにそんな心配をするのか?」
「そうだな」
モレノは言った。それからもう一度、繰り返す。
「そうだな」
「まあ、ロックオンとジョシュアを会わせない方がいいというのには俺も賛成だ」
ジョシュア達とは、刹那がまだ、少なくない数の青少年と厳しい道のりを移動していた頃に知り合った。短い間でも仲間だった青少年達と別れた後も、ジョシュア達とは何となく一緒に過ごしていた。
そのジョシュアから、タクラマカン砂漠でガンダムデュナメスに撃墜された話を聞いていた。
「モレノは知ってるか?あの二人、敵同士だってことを」
「ああ、ジョシュアから聞いたよ」
モレノが返事をする。刹那がわかった、と言う風に軽く頷く。
しかし、刹那の正体を知りながらも受け入れてくれたジョシュアは案外懐が深いのではないかと思った。聖書のおかげでもあるのだろうか。この本は今までたくさんの人間を変えてきたようである。
「昔はこんなもの、馬鹿にしてたんだがな」
いつだったか、小さな聖書を振り回しながらジョシュアが言っていた。
ジョシュアを助けたのは、スティルとレイだという。しばらく行動を共にしていたが、ある日、ジョシュアはこの地で病を得た。
高熱で苦しんでいたところをモレノに助けてもらったらしい。
「信仰に目覚めたとか言っていたな。意外と簡単にロックオンのことも赦すかもな」
そうだったらいい、と刹那は思う。人を憎むのは辛過ぎる。己はまだ、アリーを赦すことができないにしても。
しかし、この旅で出会ったジョシュアは優しかった。人間の温かさに触れたからだろうか。
深い水底にいるような穏やかな時間。人ひとり変えてしまったとしても無理はない。ジョシュアは自分は昔はもっと冷たい男だったと述懐していた。今では刹那とすら仲良くなっている。
(赦すんだ、人を……)
私怨にこだわっていたら、正義の為の戦いなんてできやしない。刹那は自分に言い聞かせる。
「着いたぞ」
がちゃり、と扉の開く音がした。刹那は急いで降りる。
「モレノさん!」
モレノ達を追ってきたジョシュア達が手を振る。
「おお、来たか」
「しっかしほんとにぼろいっすね、モレノさんの車」
「やかまし」
スティルの言葉にモレノは機嫌を損ねたようである。
まだ年若い少年が走ってきた。
「待っていました。モレノ様。来てください」
「患者はどこだ?」
「少し行ったところの天幕の中です。……その方達は?」
「助手だよ」
その言葉にレイは唇を突き出し、ジョシュアは苦笑する。
刹那は、
「俺にできることはないか?」
ときいた。
「医者は手遅れという容態の患者がいますが」
「それなら、私よりジョシュアの方が適任だろう」
「えっ?!」
モレノからお鉢が回ってきたので、ジョシュアは驚いて自分を指差す。
「しかし……俺はクリスチャンで……この地の宗教とはその……」
「死んでいく奴にキリスト教もイスラムも関係があるかね。どら、私も行ってくる」
ダシルの後をモレノ達がついていった。
「ここです」
天幕の中には、全身に火傷を負った男がひとり。
「こりゃ、助からないな」
モレノが呟くのを、刹那は聞き逃さなかった。
「モレノさん、俺達は祈りに来たんだ」
ジョシュアは男の手を取って短い祈りをする。
「父と子と聖霊の御名において、アーメン」
『アーメン』と皆が唱和した時、男が息を引き取った。安らかな顔だった。
荘厳な沈黙が辺りを包んだ。
「ダシル、ダシルはいるか?」
その声で空気は変わった。
「グレン様」
グレン、という男が扉をはぐった。
「手が足りない。こっちを手伝ってくれ」
「わかりました」
「俺も行こう。人数は多い方がいいだろう?」
刹那の申し出に、
「頼む」
とグレンが短く言った。
外に出る。夜気が冷たい。
昼は暑くて夜は寒い。こんな過酷な地で彼らはずっと生きてきたのだ。
ある気配を感じて、刹那は振り向く。いや、実際には、振り向こうとしたのだ。
この感じ……まさか!

→次へ

目次/HOME