ニールの明日

第二百四十四話

「刹那……」
 ニールも呆然としている。まさかここで刹那が立ち上がるとは思ってもみなかったのだ。
(らしくねぇぞ。刹那)
 ニールは脳量子波で窘める。
(あ、ああ……済まない……)
 刹那も自分が勇み足だったことを認めた。
「済みません。失言でした――続けてください」
「わかりました。刹那・F・セイエイ――話を続けましょう。いいですね。ホーマー・カタギリ」
 リボンズ・アルマークが言った。
「ああ……」
「それよりも叔父様――ここで一旦休憩を挟みませんか?」
「ビリー……何を呑気な……」
「そうですか。僕はあの豊穣たるコーヒーの香りと味が懐かしくってつい……」
「お前はいつもコーヒーとドーナツを手放さないくせに何が懐かしい、だ。この会談を『会議は踊る』と言われたいのか?」
「ビリー・カタギリ。ホーマー・カタギリ。喧嘩はよそでしてください」
 ――カティ・マネキンがコホンと咳払いをした。くすくすとどこかから笑い声が聴こえる。
「ふふ……面白かったよ。ビリー。おかげで今までのギスギスした雰囲気がどこかへ飛んでいったよ――そうだね。ビリー・カタギリ。君の意見も取り入れたい。まずはリジェネにコーヒーでも淹れてもらおうか。僕は紅茶派なんだがねぇ……」
 リボンズの台詞に、刹那は何も言えなかった。先程の失言を今も恥じているのである。
「これは世間話ではないのだが――」
 厳格そうなホーマー・カタギリがぶつぶつと呟く。この男は禁欲的なようだ。
「私もコーヒーどころではないと思う。ことは戦争だ」
 カティも参戦する。こういうところは、血も繋がっていないくせに、彼女もホーマー・カタギリと似ているらしい。
「いいじゃありませんか。ねぇ、マネキン大佐。流石にお酒はまずいと思いますが」
「ビリー・カタギリ。あなた方はこの会議をちっとも大ごとだとは考えていないようですね――」
 カティははーっと溜息を吐いた。カティには悪いが、ニールはビリーの方に共感した。
「俺はビリー・カタギリに賛成だ。リラックスしないといいアイディアも思い浮かばない」
「ニール……」
「刹那。今回はお前に発言権はないぞ」
「う……」
 刹那は黙ってしまった。自分の失言で雰囲気を一気に盛り下げてしまったことを自覚しているからだ。だが、それを利用するニールも、我ながら意地が悪いと思う。刹那は彼より八つも年下なのだ。
「じゃ、コーヒーブレイクといきますか」
「む……勝手にしろ」
 ホーマー・カタギリも匙を投げた。
(ニール・ディランディ――)
 この声は……。
(ELSか――)
(我々もこの会議を傍聴していました。いけませんでしたでしょうか)
(別にいいんじゃないか? リボンズによれば、何百人と言うイノベイターがこの会議を見守っているようだからな)
(ありがとうございます。イノベイターと言えば、ただいま侃々諤々の議論を戦わせているようで――)
(さもありなん)
 ニールはそれが聴こえなくて良かったと思った。イノベイター達の声まで聴こえたら大変だ。――隣の刹那は消耗しているようだが。
(刹那……おい、刹那……)
(あ、ニール……)
(聴こえてるのか? イノベイター達の声が――)
(まぁな……)
(お前も大変だな)
(別にこのぐらい、大丈夫だ。お前は聴こえないのか? 彼らの声が)
(今はお前の他の声は聴こえない。限られた者以外の声はな――イノベイターにもいろいろいるようだな)
(それは良かった――)
 刹那は心底ほっとしているようだった。ニールや他の者を本気で気遣う、優しい青年なのだ。その優しさに、ニールも密かに感激していた。刹那はきっと、ニールより大変な思いをしているというのに――。イノベイター達の色々な声が聴こえてくるというのは疲れるだろう。
(刹那。お前はいいヤツだよ――な)
(そんなことはない。俺は両親を殺している)
(洗脳されていたからだろ? アリーのヤツに。……でも、本当のお前は優しい、勇敢な男だ)
(――揶揄うな)
 刹那は机に突っ伏した。揶揄ってなどいないのだが、その反応が面白くて、ニールはついにやにやした。
(揶揄ってる訳じゃないけどな――んー、刹那は可愛いぜ。キスしてやりたいくらいだな)
(ここではやめろ)
(じゃあ、ここでないところならいいんだな)
(…………)
 その時、バタンと扉が開いた。リジェネが人数分のコーヒーを持って来たのだ。
「コーヒーを淹れて来ました。皆様でどうぞ」
「ありがとう。リジェネ」
 リジェネ・レジェッタにリボンズが礼を言う。リジェネは優雅にお辞儀をしてその場を去る。美味しそうなコーヒーの匂い。だが、ニールは複雑な想いを抱いていた。リジェネを見る度に感じる複雑な想い。
 ――彼は、あまりにもティエリア・アーデに似過ぎていた。
(何でだろうな。刹那。リジェネがあんなにティエリアに似ているのは――お前は彼がティエリアと同じものから出来ていると思っていると言ってたな)
 ニールはコーヒーを啜った。温かい。
(ああ。だが撤回したくなって来た。ティエリアはこんな旨いコーヒー淹れられないだろ?)
 と、刹那も脳量子波で返した。
(おっと。お前さんも冗談言うようになったねぇ)
(別に冗談と言う訳では……他にもリジェネの淹れたコーヒーを飲みたいというヤツらがいるようだぞ)
(この会議を見守っているイノベイター達か?)
(――そうだ)
(ここの会議は秘密の会談とはいえ、本当はスケスケなんだな)
(――まぁな)
 刹那もコーヒーを味わう。――コーヒーとは異質な、甘い匂いが漂って来た。ホーマー・カタギリが叫んだ。
「ビリー!」
「え? ドーナツ駄目でした?」
「ドーナツどころではないだろう!」
「でも、僕はドーナツが切れると駄目なんですよ」
「……何がドーナツだ……コーヒーだの、ドーナツだの……本当にこれは世界を動かす会議なのか?」
 ホーマー・カタギリは頭を抱えた。ニールも気持ちはよくわかる。でも――
「ほんの少しぐらい休みを入れたって――ほら、お腹がすくと良い着想も得られませんし」
 ニールは言った。ビリーは目をうるうるさせた。
「ニール! やっぱり君とは意見が合いそうだよ!」
「まぁ……俺としちゃ、CBとアロウズが戦争を辞めてくれたらそれでいいんだけどな」
「おお! それも僕と同じ意見だよ! ねぇ、叔父様」
 ビリーがホーマー・カタギリに視線を遣った。何のかんのとはいえ、ホーマー・カタギリもコーヒーをちゃっかり頂いている。ホーマー・カタギリが言う。
「私も平和が来る為に停戦するのはやぶさかではない。けれど――リボンズ・アルマーク。君は本当にイノベイターなのか?」
「はい」
「――イノベイターを味方につける為の嘘ではあるまいな」
「まさか」
 リボンズが笑いながら肩を竦めて見せる。
「そうだな――確かにお前はイノベイターかもしれんな。お前と同じ若草色の髪の――少女がいたろう?」
「ヒリングですね」
「あの娘のことを、いつだったかお前は、『血が繋がっている訳ではない。だが、もっと強い絆で結ばれている』と言っていたが……彼女もイノベイターかい?」
「ご名答です」
 リボンズはコーヒーの香りを楽しんでいるらしい。ニールも刹那も何となくリボンズの方に視線を遣っている。何をしている訳ではないが、どうしても注目を集めてしまう。リボンズ・アルマークはそういう男なのかもしれない。
 ――今は事が事だけに、ますますそうなっているのだろう。
(リボンズ……聴こえるか?)
 ニールは脳量子波で語りかけてみた。おや、という風に、リボンズはニールに微笑んだ。ニールの脳量子波に気付いたらしい。

2018.06.25

→次へ

目次/HOME