ニールの明日

第二百四十五話

 ニールは何食わぬ顔で本格的に淹れられた温かいコーヒーを啜る。――お代わりが欲しくなるような、いい香りである。
(リボンズ……聴こえたな)
(ああ、ニール・ディランディ)
 リボンズも余裕のある様子で応えた。
(ニール……そういや君もイノベイターだったな)
(正しくは、イノベイターにさせられたというべきか。――いつの間にかこうなってた。俺もやっぱり……イノベイターなんだな……)
(君のデータを是非取りたいもんだ。ビリーはあてにならん。あんな甘ちゃんではな。イノベイターでもないし)
 リボンズはビリーを切って捨てた。ニールが言った。
(まぁ、そう言うな。あれでも結構いい男なんだぜ)
(科学者として一流なのは認めるが――おや?)
(ニール、リボンズ)
(その声は――刹那・F・セイエイか?)
(ああ――お前達の話を邪魔して悪かった)
(別に悪いこたないが――世間話をしていただけだし)
(ニール、刹那。後は会議で自分の意見を言ってくれないか? その為の今回の会議なんだからね)
(わかった。リボンズ)
(俺もそれに異存はない)
 ――長くて短いコーヒーブレイクは終わった。カティ・マネキン大佐のコーヒーだけ、手つかずに置いてある。あのコーヒーが飲みたいな、と、ニールの口の中に唾が湧いた。
 だが、カティに、
「いらないんなら、そのコーヒーくれませんか?」
 と、言うことも出来ない。
(構わないから言えばいいじゃないか)
 リボンズの声がした。
(リボンズ――脳量子波でなく、意見は直接口にしなければならないんじゃなかったのか?)
(ああ、済まない。つい、いつもの癖でね――。脳量子波の方が便利ではあるからね。――カティにコーヒー頂いてもらっていいか訊いてみようか)
(ちょっと待て、リボンズ――)
「カティ・マネキン大佐。ニールが君のコーヒーを飲みたそうにしている。もらっていいか?」
 カティは眉を顰めた。だが、
「――どうぞ」
 と、一応承諾してくれた。
「悪い。マネキン大佐」
 ニールが謝る。カティは溜息を吐いた。――リボンズが続けた。
「レディ。貴女はコーヒーがお嫌いなんですか?」
「そうではない。だが、こんな時にコーヒーだのドーナツだの言っている輩が好きでないだけだ」
 ――何とも直截に物事を言う女性である。だが、そう言うところが、ニールは嫌いではなかった。――本当は情の深いところもあるようだし。彼女は自分の責務を誰にも邪魔されずに全うしたいのかもしれない。
 カティはコーヒーカップとソーサーを運んできた。
「――はい」
「ありがとう。大佐」
「……どういたしまして」
 カティは自分の席に戻ろうとしている。いい体してんなぁ……ニールはつい見惚れてしまった。刹那がこっちを睨んでいる。
(あっ、刹那。浮気する訳じゃねぇからな。俺にはお前が一番なんだから)
 ――返事はなかった。
「さぁ、会議の続きをしよう」
「ちょっと待ってください。カタギリ司令。僕は刹那・F・セイエイに質問があるのですが」
「何だね?」
 リボンズ・アルマークに出端をくじかれて、ホーマー・カタギリはムッとしたようだった。
「先程の刹那・F・セイエイの発言――いや、失言と言うべきかな? あれはどういうことですか? ――刹那・F・セイエイ。答えてください」
「どういうことも何も――そのままの意味だが?」
「リボンズ。刹那はあれは失言だったと認めたじゃありませんか」
「貴方には聞いていません。ニール・ディランディ」
 ニールは皆に聞こえないように軽く舌打ちをした。――刹那が言った。
「人間がイノベイターの敵だというのは間違っている」
「今は、君もイノベイターなんだよ」
「何ですって?」
 カティが声を出した。
「マネキン大佐?」
「ああ、すみません。リボンズ・アルマーク。刹那・F・セイエイがイノベイターだと言うのが、意外な気がして――」
「何故かな?」
「いや……刹那・F・セイエイは貴方とは匂いが違うような気がしたので、つい……」
「マネキン大佐。貴女は聡明な方だ。確かに、刹那と僕とはイノベイターとしての種類は違う。――刹那・F・セイエイはこの間までただの人間だった」
「何だって――?!」
 今度はホーマー・カタギリが驚きの声を出す。リボンズがまた口を開く。
「だが、彼は――いや、彼とニール・ディランディは、イノベイター化している。あの、ダブルオーライザーによって」
「ダブルオーライザーにはそんな力があるのか……」
 ホーマー・カタギリが目を瞠る。
「刹那よ。君がイノベイターであることは構わない。必要とあらば、私が手を貸すのもやぶさかではない」
 ミスター・ブシドーが厳かに言った。
「――どうだ? 刹那。イノベイター達の反応は」
 ニールの質問に刹那は答えた。
「『まさか』という意見と『やはり』という意見が半々だな。ダブルオーライザーについては、まだ未知の部分もある」
「――そうだね」
 ビリー・カタギリが頷く。ビリーもやはり、ダブルオーライザーの特殊性には気づいていたらしい。
「――ダブルオーライザーには思考能力もある。俺は、ダブルオーライザーと話をした」
 と、刹那。
「へぇ……刹那はダブルオーライザーと会話をしたことがあるのか……俺はそんな体験はしたことなかったがね」
 つんぼ桟敷に置かれたような気持ちをちょっと感じたニールが面白くなさそうに口を出す。
「済まない。ニール。内緒にしていた訳じゃなかったんだ……」
「んで? ダブルオーライザーは何と言ってた?」
「いろいろあったが、あらかたは忘れてしまった。だが、この一言は覚えている。『刹那・F・セイエイにニール・ディランディ。お前達のおかげで、私は頑張れた――』と』
「ダブル、オーライザー……」
 ニールは鼻を擦った。
(俺も、あいつに乗れて良かった――)
 ニールは初めて、心の底からダブルオーライザーに感謝をした。
「このことが明らかになったら、ダブルオーライザーは今まで以上に狙われるかもしれない」
「僕達みたいな輩にね」
 ビリーは冗談のつもりで言ったらしい。だが、微妙な冗談ではあった。それが自分でもわかっているのか、ニールが見遣ると、ビリーが目を逸らした。
 リボンズも言った。
「僕も、ダブルオーライザーは喉から手が出る程欲しい。――くれるかい?」
「駄目だ」
 刹那が即答した。リボンズが笑った。
「でも、あれは僕の物なんだよ。刹那――君は覚えているかい? 僕に命を助けられた日のことを」
「え――?」
「その反応は……忘れてたね」
「不意を突かれて驚いただけだ。それに、お前に助けられた覚えはない。俺は、ガンダムに助けられたのだ」
「そのガンダムを操縦していたのは僕だよ。――そして、刹那。僕はそのことは今でも後悔はしていない。君がこんなに立派な青年になって、僕の前に現れたことを、僕は神とガンダムに感謝をしている」
「…………」
「複雑そうだね。君は」
「――人間は、イノベイターの敵ではない。お前だったらわかるだろう? リボンズ・アルマーク。俺を助けたお前にとっては。……お前はいつもアレハンドロ・コーナーといたではないか。あの男も――人間だ」
「あっははははは! あの道化か! 彼はいつも僕を利用することしか頭になかったよ!」
 リボンズの目に敵意が点った。

2018.07.05

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