ニールの明日

第二百四十三話

 アロウズの廊下に、高いヒールの音が響く。カティ・マネキン大佐。今日はとっておきの香水をつけてきた。
 眼鏡の奥は美しい彼女。しかし、それを知る者は限られている。
(CBの使者との会談か――)
 カティは心の中で溜息を吐いた。CBには借りがある。ルイス・ハレヴィを彼らに託したのだ。あの時はああするしかなかった――と彼女自身も思う。
 でも、アロウズはCBを敵視しているのではあるまいか。ホーマー・カタギリや、その裏に存在している黒幕の思惑がどうも読めない。
(もしかしたら、ただの茶番になるかもしれぬ――)
 カティは立ち止まった。――どどど、と駆けてくる足音がする。
「大佐ー」
 カティは一気に頭が痛くなった。何でこんな時、この男は現れてくるのだろう。
 パトリック・コーラサワー。カティに惚れている男である。
「あれ? 大佐。いつもよりいい匂いがしますね。――いつもいい匂いだけど」
 コーラサワーは鼻をくんくんさせる。
「えーい、お前は犬か!」
「大佐の犬だったら喜んでなりますとも!」
 カティはコーラサワーに持っていた書類をぶつけてやった。

「ベルちゃん……ベルちゃん……」
「そのこえは……しゃーろっとおねえちゃま?」
 ベルベット・アーデとシャーロット・ブラウンはすっかり仲が良くなっていた。今は脳量子波で会話を交わしている。
「しゃーろっとおねえちゃま、こえがげんきないの。どうしたの?」
「あたし、ふあんなの――わるいことがおこりそうで」
「そうなの……」
 ベルベットは言った。
「でも、とうさまがいってたの――いつだって、おはなしははっぴーえんどでおわるって」
「ハッピーエンド?」
「うん。みんなよくなるって」
「ほんと、そうあってほしいわね」
「うん」
 みんな、仲良くあって欲しい――シャーロットはそう願わずにはいられなかった。

 会場にはホーマー・カタギリ、リボンズ・アルマークの姿も既にあった。
「遅い!」
 ホーマー・カタギリが叫んだ。
「五分の遅刻だぞ。ビリー」
「済みません。叔父さん」
「謝れば済むというものでもない」
「――僕が悪かったです」
 ニールが席の向こうに目を遣る。
(ミスター・ブシドー……こいつもいたのか)
 ミスター・ブシドー。本名グラハム・エーカー。腕を組んだまま座っている。今回は刹那にも関心を示さないようだった。示したら示したで困ったことが起きそうだが――。
「私は書記を務めさせていただくカティ・マネキンだ。宜しく」
 軍服姿の女が言った。なかなかの美人だ――とニールは思った。禁欲的なところもいい。
(あ、浮気する訳じゃないからな、刹那――)
 ニールは脳量子波で言い訳をした。アロウズは美人ばかりで目のやり場に困る。尤も、ニールにとっては刹那が一番だが。
(いちいち弁解しなくてもいい――)
 刹那の呆れる様が伝わって来るようだ。
(ニール……あの女は信用して大丈夫だ)
(カティ・マネキンが?)
(そうだ――)
(何でわかる?)
(――勘だ)
(わかった。お前の勘はあてになるからな――)
(皮肉はよせ)
(皮肉なんかじゃねぇって。ついでにからかっている訳でもない。仲間は多い方がいい)
(――同感だな)
 刹那の顔に笑みが浮かんだような気がした。

 話し合いは順調に進む。ホーマー・カタギリは停戦の意を示した。
 ――それを聞いたリボンズの唇が歪んだ。
「そうは言ってもですねぇ、カタギリ司令。元はといえば、CB――ではなかった。カタロンが売った喧嘩ですよ」
 あいつ、今、わざと言い間違えたな――。ニールは刹那の方を見遣った。刹那も頷く。
「カタロンは――CBの仲間か?」
「まぁ、そう考えても結構ですけど、カタロンとは同盟を結んでいるだけで、CBとは別の組織です」
 ホーマー・カタギリの言葉にニールが朗々と発言した。ホーマー・カタギリが続ける。
「それじゃあ、今度の戦争の責任はCBにはないと?」
「そうではありません。CBは確かに一時期カタロンに力を貸しました」
「――責任者は王留美か?」
「ええ」
 ニールは素直に認めた。隣の刹那がニールの袖を引っ張った。
「ニール……王留美を悪役に仕立て上げる気か?」
「お嬢様がカタロンに味方したのは確かだ。お嬢様がアロウズに殺されたら、後追い自殺でも何でもしましょう」
「簡単に死ぬな。若人よ」
 ミスター・ブシドーが口を開いた。
(え? グラハムが俺に味方している?)
 ――俺はアンタの恋敵なのに……こっちの方が圧倒的に有利だけれど……ニールが考えている最中、ミスター・ブシドーがまた喋った。
「ニール・ディランディ。お前が死んだらジョシュアが悲しむ」
(ああ、なるほど――)
 そういえば、キリスト教では、自殺は厳禁である。それに、ジョシュアはニール達の良き友だ。
「ジョシュアとは誰だ」
「私の元部下だ」
 と、ミスター・ブシドー。
「ミスター・ブシドー。正体を明かすような発言は控えていただきたい」
 カティの声はよく通る。
「大丈夫だ。ここにはミスター・ブシドーの正体を知らない者はいない」
 リボンズが穏やかにだが反駁した。
「この場には数人の人間しかいない。――だが、この話し合いを見つめている目が何百とある。まぁ、彼らにはミスター・ブシドーの正体など、些細なことでしかないだろうよ」
「イノベイターか……」
 ホーマー・カタギリは思案するかのように顎に手をやる。
「ふむ……」
「そして――私もイノベイターだ」
 リボンズが告白する。と言っても、周知の事実なのだが。
「この世には、イノベイターを敵視する集団がある。その集団と、我々は戦っていかなければならないのだ」
「ちょっと待て、話が脱線しているようだが――」
 ホーマー・カタギリが横合いから意見する。
「黙っていてください。――ホーマー・カタギリ」
 リボンズが指導者のオーラを纏い、そう言った。カティがペンを走らせている。
「これは、秘密の会談ではないのか? 何故、書記がいるんだい?」
 ビリーがリボンズに疑問を呈する。
「ここで話し合いが行われた。この事実だけで充分なのさ。――さてと、僕は無用な戦いは避けたいが、そうもいかないらしい。僕達の敵はイノベイターを迫害する人間どもだ。我々は如何にイノベイターが迫害されて来たかをつぶさに見て来た。そこで――」
 リボンズの話は中断された。刹那が叫んだのだ。――「リボンズ! お前は間違っている!」と。

2018.06.15

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