ニールの明日

第二百四十二話

「ほうほう、遊びに来た訳ではないと――それより眼鏡眼鏡……僕は強度の近視でね」
 ニールは落ちていた眼鏡を拾った。
「はい、ビリー」
「ありがと、ニール……やぁ、僕があげた伊達眼帯、してくれてたんだね。ありがとう」
「――どういたしまして」
「遊びに来た訳でないなら――アロウズ関係かい?」
「呼び出されてしまってね」
「じゃあ、連れて行ってあげよう――実は僕もアロウズに用があるんだ。――乗って」
 ビリーは後部座席のドアを開けた。フローラルな香りがする。彼も自動車の匂いにこだわっているらしい。けれど、フローラルな香りも自動車独特の匂いと混ざると――。
(悪酔いしそうな匂いだな――)
 刹那の思念が届く。
(そういうもんじゃねぇよ。刹那)
 ニールは刹那の頭をこっそり小突いた。
「ありがとう、ビリー」
「うんうん。僕は叔父に呼ばれたからね。――後十分で着く。燃料が切れたんで買いに行っていたんだ」
「燃料?」
「僕の燃料さ。ドーナツ」
(おい、ニール、お前の友達はどうなっているんだ!)
(さてね――俺にもよくは知らないな)
 ニールは苦笑しながら刹那に彼と同じく脳量子波で答える。ビリーは変わってはいるが、いい人間なのには間違いはない。――そのうち慣れるさ。ニールは他人事のように思っていた。
 けれど、ELSがポカをするとは思わなかった。
(済みません――)
(いいってことよ。それより、ELSも失敗するんだと思ったことで、親近感を持ったぜ、俺は)
(ニール……ありがとう)
 ELSは澄み切った声で礼を言った。ニールも悪い気はしない。
(俺も、ニールと同じ意見だ。――幸い、ビリーに会えたしな)
(ありがとうございます。刹那。……今からでもアロウズに運んであげましょうか?)
(いや、ビリーに怪しまれたら困る。気持ちだけ受け取っとく)
「刹那・F・セイエイ。――よく見たらなかなか男前じゃないか」
「――どうも」
「ニールのコレだろう? ははは……」
 ――刹那は否定しなかった。
「まぁ、グラハムも君にお熱だしさ――僕は同性愛に偏見を持っちゃいないよ」
「ふん……」
 刹那が鼻を鳴らした。そして続けた。
「ビリー……スメラギの件については、悪かった」
「え? ああ、君がソレスタル・ビーイングの使者として僕の家に来た時のことか……随分前のような気がするね。リーサ・クジョウは、スメラギ・李・ノリエガとしてしか生きられなかったんだよ。だから……仕方なかったんだ」
 ニールには、ビリーの声音に切なさが混じっているような気がした。
「ビリー……今でも彼女を……」
「黙っててくれないかな。刹那。運転に集中できない」
 この男の心には今もミス・スメラギが住んでいる――。
 ニールは思った。刹那も心なしかしょげているようだった。ビリーの心の傷に触れたような気がしたのだろう。ニールは黙って刹那の肩を抱いた。
(心配するな。刹那。ビリーは強い男だ。したたかな男だ――自分の傷はちゃんと乗り越える……お前みたいにな)
(ニール……)
 刹那はニールの肩に頭を持たせかけた。ニールは正直どきんとしたが、表には出さなかった。その代わり、刹那の黒い髪を梳く。
 ――ビリーが微笑んだような気がした。
 キィッ。ビリーが旧型の車を止める。
「――着いたよ」
 ビリーが運転席から降りる。ニールと刹那もそれに倣う。
(さぁてと――アウェイだぞ)
 ニールが密かにぎゅっと拳を握る。
(ニール……大丈夫だとは思うが、滅多なことは口にするなよ)
 刹那に釘を刺された。
(心配いらないって――多分)
(多分か!)
 刹那にツッコまれる。ああ、こういう軽口すら、叩けるようになるのは有り難い! ――だが、今は会談に集中しないと。
「リボンズはもう来てると思う。時間にうるさい男だからね」
 刹那が神妙な顔をして頷いた。ニールも我知らず、緊張する。
「ビリーも話し合いに来たんだろう?」
「え? ああ、うん……堅苦しいのは苦手なんだけどね――叔父さんに呼ばれちゃ仕方ないよ」
「それだけビリーのことを買ってるってことだろ?」
「いやぁ、嬉しいことを言ってくれるね、ニールは――僕なんかただのごくつぶしなのに」
「ごくつぶしね……」
 本当にごくつぶしと思われてたら、こんな話し合いの席に呼ばれないだろう。
「君達は――何を言いに来たんだい? 叔父さんやリボンズに」
「――戦争をやめないかと言いに来た」
 と、刹那。
「来たるべき対話――か」
 ビリーが口にした。
「あ、でも、イオリア・シュヘンベルグの言う来たるべき対話とは違うかもしれないけれど――」
 ビリーがぺらぺらと喋る。お喋りな男だな、とニールは思う。そのくせ、自分達の不利になるようなことは言わない。実に賢い男なのだ。
(ニール、刹那――)
 ELSの声がする。
(ダブルオーライザーが、貴方がたに会いたがっています)
(ほう……)
 ニールはそれを、ELSの言う比喩だと思っていた。だが――。
(比喩ではありません。ダブルオーライザーは、本当に貴方がたに会いたがっているのです。――まぁ、ニール、貴方にはダブルオーライザーの声は聞こえないかもしれませんが――刹那ならわかるでしょう?)
(ああ。ダブルオーライザーは意思を持っている。やはりガンダムは素晴らしい)
(ガンダムオタクだな。刹那、お前も……まぁ、いいんだけどさ――ダブルオーライザーにはしばらく待機してもらおう)
 ニールが脳量子波で喋る。
(そうですね。――ダブルオーライザーの秘密が知られたら、どんなことが起こるかわからないし……)
「ニール……?」
 ビリーの声がする。
「先行くよ」
「あ、待ってくれ」
 ニールは急いでビリーと刹那の後を追った。

 ――受付嬢が言った。
「ニール・ディランディさんに刹那・F・セイエイさんですね。そして、ビリー・カタギリさん」
「どうも」
「こちらへどうぞ」
 受付嬢が案内をする。ニールはついにやけてしまう。ニールは脳量子波で呟く。
(美人だな――さすがアロウズ)
(ふん、下らない)
 刹那の態度には嫉妬の感情が混ざっているようだった。
(おうおう。やきもちかい? あのお嬢さんに。嬉しいねぇ。刹那が妬いてくれるなんて。でも、よく言うだろ? 『女房が妬くほど亭主もてもせず』ってね。俺もそんなにモテないから気にすんな)
(誰が女房だ、誰が)
(俺とお前は結婚しただろ?)
(あれは予行演習だ)
(わかってる。いつか本物の式を挙げようぜ。俺の――刹那)

2018.06.05

→次へ

目次/HOME