ニールの明日

第二百四話

「あーっ!!」
 アレルヤとティエリアの部屋に悲鳴が響いた。彼らの(ただし平行世界の)娘、ベルベットが上げた悲鳴だった。
「どうしたんだい? ベル」
「ぺんだんとがなくなっちゃったの」
 アレルヤに慰められながらベルベットが答えた。
「よしよし。それじゃ、父様達が探すの手伝ってあげるからね」
「ほんと? ほんと? とうさま――」
「ああ。じゃ、心当たりのところ探そうか」
「はあい」
 ――その様子を見ていたティエリアが、ベッドに近付いてごそごそやっている。
「? どうしたの? かあさま」
「ベルベット……君の大切なペンダントはこれではないのかい?」
「そ……そうなの! ありがとう! かあさま!」
「マットとベッドの柵の間に落ちていたぞ。ベルベットも案外ドジだな」
「ごめんなさいなの」
 ベルベットがしょもんとなった。
「まぁ、アレルヤと僕の娘だからな。アレルヤのおっちょこちょいなところが似たんだろう」
「それはないよ、ティエ……」
 だが、アレルヤも見つけられなかった責任は感じていたようであった。
「かあさま、すごいの」
「ベルベットもすごいぞ。僕とアレルヤの娘だからな」
「うん!」
「ティエリア……」
 アレルヤは『僕とアレルヤの娘』というフレーズに感激していたようであった。
「さぁ、食堂に行こう。ああ、そうだ」
 ティエリアはタンスに向かって自分のスペースを物色していた。取り出したのは、箱型のオルゴールだった。ベルベットが目を丸くした。
「かあさま、これ……」
「いつぞやアレルヤが僕の為に買って来たものだ。ベル、これにペンダントを入れておけ」
「いいの? かあさま」
「いいよな、アレルヤ」
 ティエリアがアレルヤに向かって許可を得ようとする。アレルヤがにこっと笑う。
「ああ。ベルベットの役に立てるなら本望だよ」
「わあい、わあい」
 ベルベットが白い箱のオルゴールの蓋を開ける。音楽が流れて来た。
「このおと、なあに?」
「ベートーベンの『エリーゼのために』だ。この音楽は好きか?」
「すきー」
 ベルベットが両手を上げて万歳した。
「大切にするんだぞ」
「うん。たいせつにするー」
 アレルヤが慈しむような優しい目でこちらを見つめている。ティエリアがそれに気付いた。
「どうした? アレルヤ」
 ティエリアが訊くと、アレルヤがこう言った。
「いや――ティエリアとベルベットが本物の親子のようで嬉しくってついね……」
「アレルヤ――ベルベットは僕達の娘でもあるんだぞ。それは……僕がお腹を痛めて産んだ訳ではないが」
「ここのとうさまとかあさまもほんもののとうさまとかあさまなのー」
「おや? 僕達を『本当の父様と母様じゃない』と言って出て行ったのはどこの誰だったかな?」
 アレルヤが心安立てにベルベットのぷにぷにしたほっぺをつつく。
「むー。とうさまいじわるなのー」
「冗談だよ。さぁ、食堂で朝ごはんを食べようね」
「はあいなのー。とうさまー」

 食堂には既に沢山の人が集まっていた。
「ベルちゃーん、こっち来てー」
「おはよう、ベルちゃん」
 ラグランジュ3のスタッフ達が菫色の髪の幼子を呼んでいるのをニール・ディランディは心和やかに眺めていた。
「おはよう。ニールに刹那。――ベルベットちゃんは人気者ね」
 フェルトが言った。
「よぉ、フェルト。全くその通りだな」
「私、あっちでクリス達と食べているから」
「行ってらっしゃい」
 ベルベットは子供好きの大人達に囲まれてきゃっきゃっと笑っていた。物怖じしないところや人懐こいところがベルベットの長所だとニールは思った。アレルヤやティエリアも喜んで応対している。
「兄さん」
 ニールの双子の弟、ライルがやって来て声をかけた。
「――ゆうべはお楽しみだったかい? 兄さんに刹那」
「俺は寝てた」
 刹那は簡潔に答えた。
「俺は楽しんだぜ」
 ニールは自分の頬がにやけるのを覚えた。――まぁ、挿れはしなかったが。刹那が後で怒ると困るし。今はニールはあまり刹那の嫌がることはしたくなかった。
「――ふん」
 ニールの隣に座っていた刹那がそっぽを向いた。ニールのさっきの言葉がお気に召さなかったらしい。
「おや、王子様はおかんむりのようだぞ」
「ライル――頼むからどっか行ってくれ」
 ニールが手をひらひらと振った。
「いいですとも。ゆうべはソーマの薬を作る為にアニューが働いていたから、俺らは全然いいことなかったってのに――」
 ライルはぶつくさ言いながら離れていく。そんな台詞を聞かされても、ニールだって刹那に『挿れるな』と言われて、刹那の中に入ることが出来なかったのだ。
 結局、こんなところでも似た者兄弟か。ニールはくすっと笑う。刹那がニールを見た。
「ニール……朝飯の時からこんな話はしたくない」
「そうだな。悪かった。お前を怒らすつもりはない。お前の機嫌を損ねて捨てられでもしたら困る。――刹那はモテるからな」
 冗談ぽく言ったが、半ば本気だった。自分はアリーとは違う……はず。刹那はぴんと来ないらしく首を傾げた。――全く、罪な奴だぜ、刹那。その罪な男、刹那が言った。
「――俺はモテないぞ」
「だって、あのアザディスタンの姫様だって――」
「――マリナは他に好きな人が出来たみたいだが」
「えー? 誰?」
「――教えん」
「好奇心に火をつけてそんな殺生な。イノベイターの能力を使って知ったんだろ?」
 ニールは本当にマリナの好きな人を探したかった。マリナはいい女だ。刹那がいなければ惚れてたかもしれぬ。ニールは、マリナにも幸せになって欲しいと思う。
「俺はまだイノベイターとしては半人前だからな。教えてくれよ――」
「仕様がない。――耳貸せ。と、そんな必要はなかったんだな」
(マリナの好きな男は王紅龍だ)
 刹那の声が意識に流れ込んだ時、ニールは意外さに「えっ?!」と大きな声を出した。
「しっ、静かにしろ。少し黙れ」
「――それにしても紅龍とはね……結構いい男だとは思ってたけど……案外お似合いかもな」
「黙れと言っているだろう」
「ニールくん、刹那くん、おはよう。いい朝だな」
 セルゲイ・スミルノフがやって来た料理を載せたトレイを持ってやって来た。
「いい朝……本当にそう思っているんですかぁ?」
 ニールが思いっきり表情を歪めて見せる。ここは宇宙。ラグランジュ3の人達は地球時間で動いてはいるが、本当は朝も夜もない。
「気分だけでも……」
 そう言ってセルゲイは苦み走った笑みを浮かべた。この男は案外洒落のわかるナイスミドルかもしれない。ニールも顔を綻ばせた。

2017.5.18

→次へ

目次/HOME