ニールの明日

第二百三十四話

 刹那が花札を知らないことは、ニールにも納得出来た。刹那がおいちょかぶやこいこいなどに興じている姿はちょっと想像出来ない。
 ここは煙草臭い。刹那が眉を微かに顰めているようだった。イアンも双子の弟のライルも煙草を吸うが、ここには彼らを上回る愛煙家が揃っている。もうもうと白い煙が立ち上る。
「じゃあ、トランプは出来るか? 刹那」
「ポーカーとかなら……」
「なら、やろうぜ。ポーカー」
「悪いが別の時にしてくれ。俺には他に、刹那に案内してやりたいところがある」
 ニールがさり気なく刹那の肩を抱いた。
「何だよ、ニール。その子どこ連れてく気よ。――酒場か?」
「――地球の間だよ」
「……そっか。地球の間か。それじゃ仕様がねぇ。――刹那、いつか一緒にポーカーしような」
「悪いな。せっかく誘ってくれたのに――ありがとう」
 刹那が小さく笑う。ニールが目を瞠った。刹那ってこんなに性格良かったっけ? こんな時に笑うヤツだったっけ? そりゃ、人間、嬉しいければ笑うけれども――。
「おう、刹那っていいヤツだな」
「ニールはすげぇ果報者だぜ」
「――どうも」
 何となく複雑な気持ちでニールは悪友どもに答えた。そして、刹那を引っ張って行った。
「まだ来たばかりじゃないか。ニール」
「ああ。もう少しいるつもりだった。でも、地球の間のことを思い出したら、早く見せてやりたくってさ」
「ここからでも地球は見えるんだな」
「そういう訳じゃないが――まぁ、見ればわかる」
 廊下の少し広まったところで二人は足を止めた。
 そこには青い地球のタペストリがかけられていた。いつ見ても綺麗だ。そう、ニールは思った。刹那も息を飲んだようだ。
「素晴らしいな……」
「だろう? 誰が作ったか知らないが、いいもの残してくれたもんだぜ」
 地球の間は、ここの荒くれ男達の間でも、一種神聖視されていた。彼らは遠い故郷を想って、ここに来るのだろう。ニールはこの地球の間で泣いている少年を見たことがある。
「地球が懐かしくなって来たな……」
「どうせ、もう少しすりゃ行けるぜ」
「ああ――だが、このタペストリは……実物より綺麗だ」
「軌道エレベーターはないけどな」
「……ありがとう。ニール。ここに連れてきてくれて――」
 青い、青い地球。水の星。ニールもあの世界に生まれて来たことを感謝した。
 刹那の目から涙がこぼれた。
「ど、どうした刹那……」
 ニールが慌てる。刹那が目元を拭う。
「済まない、ニール。……お前の心の中を勝手に読んだ。お前の心は澄んでいて――素晴らしい地球の映像を見た」
「それで泣いたのか? ――脅かすなよ。俺の心の中は自由に見ていいんだぜ。お前は」
「ああ。でも、お前の見た地球は、本当に素晴らしかった。あれこそ、俺の理想としている地球だ。また見せてくれないか? 地球のビジョンを――」
「わかった」
 ニールは真顔で頷いた。刹那は手を差し出す。
「握ってくれ。――手を」
 ニールと刹那は微笑み合いながら手を握る。動物の進化の行程が流れ込んできた。
 シダ植物。恐竜達。ネアンデルタール人、クロマニョン人――。
 そして海。地球の全ての生物の故郷となった、母なる海――。
「お前の心の中は、懐かしいな――きっと、生まれる前に会っているんだ。俺達は。ニール……俺のお前を想う心は海に対して抱く心に似ている」
「――刹那。いい口説き文句じゃねぇか。どこで覚えて来たんだ?」
「お前と会って、初めてわかった。運命というものを――」
 刹那はニールと目を合わせた。
「お前が死んだかと思った時、俺は生きた心地がしなかったよ――」
「刹那……」
 ニールは刹那を抱き締めた。
「もう離れない。お前のそばから離れない。お前と一緒でなければどこにも行かない。――刹那・F・セイエイ」
「いい……それこそ、願ったりだ。ニール・ディランディ」
 それは、誓いの言葉に似ていた。例え、どちらかが泉下に入っても――自分達はひとつだと、ニールも刹那も思った。生命に終わりはあっても、この命の営みには終わりはない。
 地球外生命体には――例えばELSがいる。
 ニール達も、人間からイノベイターに変化しようとしている。人類という種もまた、進化の時を迎えているのかもしれない。今はまだ揺籃期だけれど――。
 ガンダムも進化する。ダブルオーライザーも――。
(俺は、こんな世界は嫌だと思った。ずっと地球が嫌いだった。争いばかりやっている地球が――)
 ニールは思った。そして、回想に浸る。
(よう、お前ら。満足か? こんな世界で――俺は、嫌だね)
 そう言って、銃の形に指を構えたことを、ニールは忘れていない。青い地球を射抜きたかった。人間が好き勝手しているのに、何もしない母なる地球を――。
 だが、今は守りたい。世界を。――地球を。
(俺達を、手伝ってくれるよな、ELS――)
 ELSの承諾の想いが流れ込んで来るようだった。
「ニール、俺達はずっと一緒だ――」
「俺もそのことを考えていた」
 ――ニールと刹那は見つめ合い、唇を近づけようとした。その時、バタバタと足音がした。
「――あ、ごめんなさい」
 少年だった。少年の言葉に、二人は、ぱっと離れた。
「……いいんだ。ここに来るのに許可なんていらないんだから――」
「でも――僕、邪魔しちゃって……」
 そうだな。少し残念か。
 ニールが少々ほろ苦い気持ちで思った。刹那も同じような想いをしたらしい。
(全く、地球ってのは、俺達を盛らせるなぁ)
(それはお前だけだ。ニール……)
(あれ? 刹那はその気にならなかったか?)
(ならなかったと言えば嘘になるが――)
「お兄さん達も『地球』を見ていたのですね!」
 少年は勢い込んで言う。
「ああ。君もここが好きなのか?」
「はい。この地球は全てを包み込んでくれます」
 少年は目を輝かせる。それが、ニールには眩しかった。刹那が困ったような顔をした。刹那にとっても、この少年は眩しかったらしい。
「早く地球に帰れるといいな――」
「お前さんは、地球から来たのかい?」
「はい。それからいろいろたらい回しにされて――それから、このコロニーにやって来たんです。ここも楽しいですけれど、やっぱり地球が一番です! 僕、絶対に地球に帰ります!」
 戦争ばっかりしている地球でもか――?
 ニールは訊いてみたかったが、この純真な少年にそんな冷酷な質問をするのは憚られた。刹那が口を開く。
「――ガンダムは知っているか?」
「はい! 世界の為に戦っていますよね! とてもかっこいいと思います!」
「ガンダムを操縦している人間はわかるか? ガンダムマイスターと呼ばれているのだが」
「は、はい! 憧れの存在です!」
 少年が興奮しながら拳を握る。ニールが引き継いだ。
「実は、俺達はガンダムマイスターなんだ」
「ええっ?!」
 少年は驚きの声を上げた。そして――神でも見るようにニール達を見た。ニールが苦笑する。
「そんな目で見ないでくれ。――俺達も他の人間とそう変わらん」
(特に、刹那とやっていることはそう変わりはしないさ、なぁ、刹那――)
 この部分は、今は自分達を崇拝の目で見ている少年には聞かせられない。
(馬鹿――)
 刹那は言ったが、どうやら満更でもないらしい。浅黒い色の肌に赤みが混じっているような気さえする。少年はアドニスと名乗った。ニールも自己紹介をした。
「俺はニール・ディランディだ。隣にいるのが刹那・F・セイエイ。俺の――戦友だ」

2018.03.17

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