ニールの明日

第二百三十三話

 リジェネ・レジェッタ――。
 ニールの背筋に悪寒が走る。ティエリアが叫んだ。
『そんな訳あるか! 僕に兄弟などいない!』
「けれど――お前とリジェネは同じもので出来てるんじゃないかと、俺は睨んでいる。イノベイター達の間でも似ていると評判だったからな」
 刹那が淡々と話す。それも、ティエリアの逆鱗に触れたらしい。
『不愉快だ。ベルベットのところに戻るぞ僕は。アレルヤ。君が刹那達の相手をし給え』
 ――ティエリアは本当にオペレーションルームを出て行ったらしい。アレルヤが済まなそうに頭を下げる。
『ごめん、刹那……』
「いいんだ。不用意に言った俺も悪かった」
 刹那が素直に非を認める。ELSが様子をみているのがわかる。――ELSの体から、ラム酒のようないい香りがして、ニールは、こんな時だが一杯やりたくなった。風味の強いダークラム酒の味は、ニールのお気に入りだ。ラム酒は昔、海賊が愛飲していたもので――だからかもしれない。自分はヴァイキングの血を引いていると、ニールは勝手に思っている。
 そして、ELS。冷たいのに温かい不思議な感触がニールの心と体を癒した。
 宇宙には死の匂いなんかない。あるのは甘い金属の香り。ラズベリーやラム酒の香りだ。ステーキの香りに例える人もいる。いずれにせよ、食欲を誘う香りだ。
(刹那……)
 ニールが物思いに耽っている間に、アレルヤと刹那はティエリアのことについて話し合っている。ニールは、心配いらないのに――と、思う。ティエリアはきっと、明日にでもなればいつもの彼に戻るに違いない。
(リジェネ――刹那は気になるようだな。まさかそいつも救いたいと言うんじゃないだろうな)
 刹那は優しい。優し過ぎて、いろいろなトラブルに巻き込まれる。だからこそ俺が守らなくちゃいけない。ニールは決意を新たにする。
 ――けれど、今は、それよりも気になることがあった。ニールは脳量子波で訊いた。
(ELSよ。何で俺達をこのスペースコロニーに連れて来た)
 ELSも脳量子波で返す。
(今のところ、ここが一番安全だと思ったからです。それに――)
(それに?)
(ジョー・ドナルドソンとボブ・プロウライトが貴方を呼んだのです)
(ジョーとボブが俺を?)
(ええ――)
 そうか。ジョーもボブも俺のことを忘れていなかったのだな。ニールの胸に熱いものが込み上げて来た。
(ここにたどり着けたのもジョーとボブのおかげか)
(ええ。そのまま地球にニールと刹那を送り届けても良かったんですが――)
(いいや。仕切り直しだ。これから刹那と楽しいデートだもんな♪)
(ニール・ディランディ。貴方が楽しそうで良かったです)
(いやいや。なになに。こちらこそありがとう)
 沈黙が下りる。ニールは喜びで胸がいっぱいになった。ニールはその感情をしばらく一人で味わっていた。――すると、突然、彗星の如く、光が現れた。ニールのインナースペースの中でだが。
(……おにい……ちゃま……にーる、おにいちゃま……)
 ベルベットの声だ。
(よぉ、ベル。とっくに寝ていたものかと思ってたよ)
(これはゆめ?)
(うーん、どうなんだろうなぁ……)
 この人生自体が夢である。そんなことを何度も考えたニールである。いろいろ経験も積んだ。沢山の人に出会った。きっと、この世は夢なのだろう。
(夢と言われればそうだろうし、そうでないと言えばそうであるかもしれねぇなぁ……)
 ニールも、自分では割り切れないことを考える。
(にーるおにいちゃまはなにをいっているの?)
(ん。――俺にもさっぱりだ。俺には難しいことはよくわからねぇ)
(その割には知能指数は高いように思えましたが)
 ELSが割って入る。
(うーん、そうだなぁ。でも、このところ不条理なことばかり起きているからなぁ……勿論、嫌な訳じゃないけどな。それどころか、楽しくて仕方がないぜ)
(アロウズと敵対してもですか?)
(まだそうなるとは限らないさ。確かに敵対はしたけれど――話し合いも済んでねぇしよ。ところでベル、今日も疲れたんじゃないのか?)
(うん……ねむいの……でも、かあさまがきてくれたの)
(ティエリアにうんと甘えな。ティエリアもそれが嬉しいんだから)
(うんっ!)
 ベルベットが明るい声音で答えた。ベルベットはいい女になるだろう。何と言っても、アレルヤとティエリアの娘なのだ。ある意味サラブレットじゃないか!
(じゃ、もう寝るんだぞ。――って、もう寝てんのか? ま、今から俺は刹那とデートだけどな。――刹那が俺のこと知りたいって言ったんだぞ。照れるけど嬉しいぜ。――あれ? そうは言ってなかったか?)
(うん。ばいばい。にーるおにいちゃま)
(はいはい。バイバイっと――)
 ベルベットの脳量子波が消えた。多分、本格的に眠りに落ちて行ったのだろう。
「刹那。俺はよくバーで飲んでたんだ」
「……やってることが今と変わらないじゃないか」
「メンバーは違うぜ」
「――当たり前だろう」
「来いよ。ミルクでもおごってやるぜ」
「ミルクね……」
 そう言いながらも、刹那は大人しくついてきた。刹那にこの基地を案内するはずだったジョー達は、急用が出来てそちらの方に行ってしまった。
「ニールじゃないか。ここじゃお前さんの噂でもちきりだぜ! よく来てくれたな! 歓迎するぜ!」
「連れの子は弟かい?」
「全然違うだろうに……」
 刹那が溜息を吐いた。髪も、肌も、目の色も何もかも。――それでも、二人はどこか似ているようだ。ボブの言う通り、においが同じなのかもしれない。どんなにおいなのかはさっぱりだが。ニールが答えた。
「同じような服着ているからかも知れないな。兄弟に見えんのは」
「あー、それはあるかもねぇ」
 刹那に向かってぴゅいっと口笛を吹く輩には、ニールは容赦なくガンを飛ばす。すると、相手は肩を竦めて逃げて行く。
「バーに行く前に。――ほら、ここが俺の寝起きしていた部屋だ。入ってみるか?」
「うん」
 刹那が頷いたので、ニールはコンコンコンとノックをする。
「入れよ。ニール」
 と、声がした。刹那は目を丸くした。
「何でお前だってわかったんだ? もしかしたら――」
 中にいるのはイノベイターなのか、それとも二人部屋なのか――多分そんなところだろう。刹那が続ける前に、ニールが遮った。
「ここでノックをしながら部屋に入るのは俺だけみたいなんだぜ。ノックして入るのは、俺の来た合図になってんのさ。俺は育ちがいいからな」
「どうせ俺は育ちは良くない」
「僻むなよ。おい、みんな!」
「ニール・ディランディ! もう来ないかと思ってたぜ!」
「相変わらず、元気でやってるかい?」
「特に変わりはないぜ。俺は」
(嘘をつけ)
 刹那が脳量子波を飛ばして来た。確かに、何もないと言えば嘘になる。ニールだってイノベイター化してしまったし。だけど――。
(こいつらにはこう言った方がいいのさ)
 ニールはぽんぽんと刹那の癖っ毛の頭を撫でる。
 昨日に続く今日。今日に続く明日。――そんな時の流れの中で彼らは暮らしている。彼らは思ってもみないだろう。自分達の友、ニールが化け物になってしまったことをー―。
(まぁ、化け物と言っちゃ失礼なんだけどな)
 イノベイターにはイノベイターなりの考えとネットワークを持っている。例えば、そんな世界を知って発狂するようなデリケートな者はここにはいないだろうが。
「ニール。お前はダークラムが好きだったな。一杯やろうぜ」
「悪いが、まだ飲む訳にはいかないんだ」
「そっちのちっこいのとデートかい? えらく別嬪な青年じゃねぇか。どんな手で誑かしたんだい? え?」
「ばーか。お前とは違うよ」
「ニール……育ちはいいはずではなかったのか。育ちの良さを自慢するなら、それ相応の言葉遣いを身につけろ」
「えー。いいじゃねぇかよ、刹那。仲間の前なら少しは羽目外しても。それに、俺はそういつもと変わんないだろ?」
「確かに」
「おい、ニール。花札やんねぇか?」
「花札?」
 刹那が訊く。そういえば、この子は中東育ちだったとニールは思い出していた。花札は日本のゲームだ。それに、刹那少年にはカードゲームに興じる余裕もなかったであろう。心も体も。死人に鞭打つような真似はしたくないが、この件についてはアリーに対する文句が沢山ある。
(ニール。アリーは娘と孫と幸せに暮らしていますよ)
 そんな脳量子波が届いた。誰だかわからないが、ニールは(情報サンキュ)と、心の中で言っておいた。

2018.03.07

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