ニールの明日

第二百三十六話

「じゃあ、私はこれで。そうだ。ニール」
「何だ? ダニィ――」
「二人部屋で良かったよな?」
「は……」
 刹那が何か言おうとしたが、思わず絶句してしまったらしい。
「ああ、構わねぇぜ」
 そう言って、ニールは刹那に対してウィンクをした。刹那はそっぽを向いた。それが照れ隠しだとは、ニールにもわかっている。
「ダニィも相変わらずだな――」
「ニール……ダニエルとかいう男はいつもあんな感じなのか? 真面目そうに見えたのだが」
「基本的には真面目さ。ただ――時々ああいう冗談も言う」
「類は友を呼ぶだな」
「どういう意味だ、こら」
 そう言いながらも、ニールは笑っている。ニールは刹那の首に腕を巻き付ける。なるべく余分な力を入れないように――刹那も笑っている。
(やっぱり可愛いな、刹那は)
 そう思ってニールは脂下がる。
「なぁ、刹那――これから酒場へ行かないか?」
「そんな余裕があるか」
「まぁまぁ。ミルクおごってやるから――」
「…………」
 刹那は黙ってしまった。だが、結局、ニールと共に酒場へ行く気になったらしい。ニールと並んで刹那は歩く。歩きながら、ニールはずっと刹那を見つめていた。刹那がニールの顔を見る。
「どうした? ニール」
「いや……刹那といられて幸せだなぁ、と――」
「……俺もだ。ニール。お前といられて良かった」
「少し前までは離れ離れだったのにな」
「そうだな。――でも、もう離れたくない」
「俺もさ。刹那」
 ニールの言葉に刹那の花のかんばせが綻ぶ。ニールはまた思わず見入ってしまった。どんなに見ても見飽きない、刹那の顔。
「なぁ、刹那。ミルクを飲んだら――俺といいことしねぇ?」
「お前はまた――」
 刹那はほんの少し眉を顰める。そして溜息を吐いた。
「お前は本当にいい男だと思うが、そういうところがなければなぁ――」
「でも、この性格のおかげで、ここのコロニーの皆とも仲良くなれなかったんだぜ。それに――お前が俺のことをいい男だと思っていてくれて嬉しいぜ」
「お前がここの皆と仲良くなれたのは、底抜けのポジティブな性格のおかげでもあると思うぞ」
 ニールはふっと笑うと、刹那の肩を抱いた。

『バー・三月兔』という店に、二人は入って行った。
「いらっしゃい!」
 マスターが大声で二人を迎える。ニールと刹那はカウンター席に座った。隣では男達が騒いでいる。彼らは一瞬、こちらを見たような気がした。だが、また自分達の会話に戻る。酒の匂いがぷんぷんする。だが、彼らにはニール達を邪魔する気はなさそうだった。
「マスター、ミルクを一杯」
「ミルクを――ですか?」
 マスターが訝し気に訊く。
「この子――刹那におごるんだよ。それから、俺にラム酒を一杯」
「わかりました」
 マスターは何を思ったか、笑顔に戻った。
「ミルクだけでいいよな。刹那」
「ああ。懐かしいな。ニール――お前にミルクをおごってもらった日。あの頃は、まだ俺も子供だった」
「そうそう。こんな美青年に育つとは思わなかったぜ。見事に育ったよなぁ、刹那。――ま、尤も、あの頃から美少年というか……可愛かったけれどな。俺、あの頃からお前が好きだったぜ」
「……マスターが聞いてるだろ」
 刹那は面映ゆそうに言った。
「大丈夫。ここのマスターはそんなことは気にしない」
「お待たせしました」
 マスターがミルクとラム酒を置いて、「ごゆっくり」と小声で呟いた。刹那はミルクを一気に飲んだ。
「おいおい。勿体ない飲み方すんなぁ……」
「放っておいてくれ……」
「――じゃあ、今度はこのラム酒、飲んでみるか?」
「――お前のだろ」
「舐めるだけでもさ。――またひとつ大人の階段を昇れるぜ」
 刹那はニールから渡されたグラスでラム酒を一口、口に含んだ。そして、複雑そうな顔をする。
「不味いとは思わないけど、なんだかな――」
「じゃあ、返してくれ」
 ニールはゆっくりラム酒を味わった。本当にラム酒は旨い。ニールがそう思うだけかもしれないが。やはり、この豊かな風味がいい。ニールは、海賊となって、ラム酒をがぶ飲みしている自分を思って、その想像に酔った。隣には勿論刹那がいる。
「じゃ、ご馳走様っと。ところで、俺達の部屋はどこかな――」
「そう言えば聞いてなかったな」
 ニールと刹那は顔を見合わせて笑った。
「俺達、どっか抜けてんだよなぁ……」
「まぁ、それについては否定は出来ないな」
「それにしても、一番抜けてるのはダニィだぜ」
「誰が抜けてるって?」
 彼らの後ろには、ダニエル・ムーンが立っていた。
「探したぞ。ニールに刹那。酒場に行ったと人に聞いたんで来てみたら俺の悪口か? 部屋へ案内しようと思ったが、やめにしようか――」
「ああ、すまん。ダニィ――俺達はどこの部屋に行けばいいんだ?」
「案内する。ついて来い」
 ダニエルの背後で、ニールがまた吹き出した。ダニエルは今度は聞こえなかったのか、振り返りもしなかった。相手にするのを止めたのかもしれない。
「ニール、お勘定――」
「そういや、ニール。金は持ってたか?」
「馬鹿にすんじゃねぇぜ。刹那。この店でもカードは使える」
 一応、現金も少しは持ってきてはいるが――。ニールはミルクとラム酒の代金を支払おうとした。マスターは冗談だ、と言った。ニール達から金を取る気はなかったらしい。ここでは立派な客人――ダニエルの言ったことは本当だったようだ。
「来い、ニール、刹那――」
 少し業を煮やしたらしいダニエルがついに口を開いた。ダニエルは気が短いのだ。ダニエルが長い裾を翻す。
「あいつ、怖くないですか?」
 マスターがひそひそ声で囁く。
「ダニィのこと? うんにゃ。別に――」
 立ち居振る舞いには少々偉そうなところがあるが――長老の孫だから仕方ないとニールは思っている。刹那がダニエルのところへ駆けていく。ニールもついていく。
「以前、お前はここにどのぐらいいたんだ?」
 刹那が訊く。ニールが答えた。
「そうだな――最初にジョーとボブに拾われた時は、十日間ぐらいか」
「短いな。そんな短期間で、お前はここに慣れたのか」
「短期間て――刹那と会えなかったから、一日千秋の思いだったぜ」
「そうだな。俺も――」
 ダニエルが、二人の前で足を止める。
「この部屋だ。もしかしたら、誰かが乱入してくるかもしれないから、鍵はちゃんとかけておくように」
「わかってるさ。なぁ、刹那」
「ん――」
「それに、誰が来ようが、俺は平気だぜ。……一応施錠はするけどな」
「じゃあ、俺は行く。おやすみ、ニール、刹那――」
 ダニエルが微笑んだ。ダニエルの微笑みは魅力的で、もっと笑えば、皆、彼のいいところに気付けるのになぁ、と、ニールは思った。少なくとも、怖いとは言われずに済むだろう。
「ここの奴らは……皆いい奴らだな」
「そうだな」
 二―ルと刹那はベッドで睦み合った。ニールはもっと刹那を抱きたかったが、刹那が失神してしまったから仕方がない。それに、明日はアロウズと会談がある。ニールも寝ることにした。
 気が付くと、青い空が広がっていた。とても澄んだ空。もう地球に着いたのかとニールは錯覚した。刹那もいる。――刹那は難しい顔をしていた。

2018.04.06

→次へ

目次/HOME