ニールの明日

第二百三十二話

「18時間じゃと?」
 ランスがとぼけた声を出す。だが、その響きには微かな焦りが混じっている。
「アロウズに18時間で――」
『ん……まぁ、正確には今から17時間だな』
 イアンがきまり悪そうに言う。ランスがぶつぶつ呟く。
「冗談じゃない……ここから地球までどのぐらいかかると思っとるんじゃ。こんなおんぼろ基地から――」
 ランスが振り向いた。
「そういや、このモニター、まだ使えたのが不思議だったんじゃが――誰かいじったのか?」
「俺が改良しました」
 ジョーが得意そうに答える。埃臭かったモニタールームも、誰かが清掃したのか、綺麗になっている。ニールはきょろきょろと辺りを見回す。ニールが言った。
「ここ、随分綺麗になってんな。ここもジョーが掃除したのか?」
「いや。ここはボブが――」
「それにしても、ニール。俺、ずっとアンタに会いたかったぜ」
 ボブがウィンクをする。
「アロウズは地球にあるから――ここから18時間……いや、17時間か? 厳しいな……というか、多分もともと無理じゃな……」
 ランスが顎に手をやりながら考えに耽る。
『たったの17時間でいいんですか?』
 ――ELSの声がする。綺麗な美しい音色だ。モニタールーム――ニール達の目の前――に金属片が現れる。――ELSだ。無機質ではあるが、金属独特のいい匂いがしていたのを覚えている。が、途端に隣のジョーが苦い顔をする。
「どうしたんだ? ジョー」
 ニールが訊く。場合によっては心の中を覗いてやろうと思ったが、かつての仲間にそんなことはあまりしたくなかった。ボブが吹き出した。――ジョーが覇気のない声で言う。
「何でもない……」
「いやぁ、ELSを初めて見た時のジョーの様子を見せてやりたかったねぇ……」
「――揶揄うんじゃねぇよ。ボブ」
「ELSに囲まれたガンダムを見て、この世のものとは思えない悲鳴を上げてたよな――」
「だから、もういいだろって――」
「んで、バスチアンに仕事を代わってもらったんだよな――あいつはそういうの平気だから……」
「うう……少し黙ってろよ……バスチアン達とはどうせ交代の時間だったんだぜ……」
『あの……』
 ELSが何か言いたそうな声音を出す。ニールが首を傾げた。刹那が、ニールも疑問に思っていることを言った。
「ELS……お前達は俺達を17時間でアロウズに送ってくれるとでもいうのか?」
『それどころか! 私達なら五分でアロウズに連れて行って差し上げますよ!』
「五分!」
 流石のランスも驚愕の声を出す。そういや、ここは地球から随分離れていたな――と、ニールが思った。ニールが地球に戻る時もかなりかかった。
「いや……お前さん方なら出来るかもしれんな。出来るじゃろう? ELS――」
『我々は出来ないことは言いません』
『じゃあ、そこにニール達を送ってもらって――』
 イアンが続きの言葉を紡ごうとした矢先――
「待ってくれ」
 ――刹那だ。
『何だい? 刹那』
 画面の向こうのイアンが質問する。
「俺は――この基地にいたい。時間まで。ここは――俺の知らないニールのいた場所だから」
『ほう。妻としては夫のことを全て知っておきたい――か』
「そ、そうじゃない……俺は……ニールの妻じゃない……」
『同じようなもんじゃねぇか。なぁ、ニール』
「へ? すまん。聞いてなかった――でも、刹那。お前が俺のことを知りたいと思っていたのは嬉しい。だって、いつも独り相撲かもとは思ってたもんな――」
「――馬鹿。人の気も知らないで……」
 ニールの心に刹那に対する愛しさが突き上げて来た。二人っきりだったら、思いっきり濃いディープキスをかましてやるところだ。実際にそうしても良かったし、先程ランスがいる前でも刹那は積極的にキスをしたのだが――。
(何か妙なこと考えてなかったか? ニール)
(別にぃ?)
 脳量子波で届いた刹那の質問に、ニールは嘯いて口笛を吹く。愛しの刹那はどうやら今はそんな気分ではないらしい。でも、恋人といられる、それだけで胸が弾む。
「ニール……嬉しそうだな」
 と、ジョー。ニールは、「まぁねぇ」と答える。
「やっぱり恋人といると違うか――」
 この台詞はボブのものだ。
「ああ。アンタ達のおかげで、刹那と再会出来たよ」
「……ニールが大変世話になった」
 刹那の言葉にジョーがげらげらと笑い出す。
「刹那……それは奥さんの言葉だぜ。良かったな、ニール。いい恋人と出会えてよぉ――」
「ああ。俺達、結婚式も挙げたんだぜ」
「なんと……! そいつはおめでとう!」
 ランスがニールの手を取った。ランスは既にモニターから体を退かしていた。
「あのニールがなぁ……俺もニールの幸せを願っていたぜ。ボブもな」
 ジョーが鼻を啜った。
「よし、わかった。時間まで刹那にこの基地を案内してやる」
「という話だが、いいかな。おやっさん」
『仕方ない――ニール……お前はいい仲間に囲まれていたんだな。俺達の他にも……』
 イアンが、息子を見つめるような慈愛の目でニールのいる方を見つめる。
『刹那のことも、宜しく頼んだぞ』
「わかってるって。刹那は親友の妻だもんな」
 ジョーがモニターに向かってイアンに手を振る。
「だから、妻じゃないって……」
「結婚式まで挙げたのにどこが妻じゃないって?」
 ――ボブが、刹那の頭を小突いた。
「何をするんだ……やめろ……」
「そうだ。ボブ。止めた方がいい。こういう子猫ちゃんは気性が激しいからどんな反逆をされるかわからねぇぞ」
「ジョーまで……誰が子猫ちゃんだ……」
「わかってるよ。本気で怒られそうになったらやめるさ」
「俺も怒ってるんだがな――ボブ、刹那にちょっかい出すのはやめろ」
 ニールは凄んで見せる。ボブが肩を竦めた。
「悪かったな。ニール。――刹那。俺はこんなヤツだが、お前さんとニールのことは祝福してるんだぜ。ほんとだぜ。ニールとどんな話したか聞きたくはないかい? 話してやってもいいが」
「おいおい。いい加減にしてくれよ、ボブ――」
「そうだな。男同士の話だもんな。あ、でも、ジョーの方が知ってるかな。ジョーとニールは仲が良かったんだぜ」
「――お前達。イアンが話したそうにしている。じゃれ合うのは一時おあずけにしておけ」
 ランスが注意した。イアンが続けた。
『まぁ、その――話という話も既に終わったんだがな……アレルヤ達がとても心配していたぞ。おい、アレルヤ。ティエリア』
『やぁ、ニール、刹那』
 イアンがモニターの前から退くと、イアンの後ろに映っていたアレルヤとティエリアがモニターに詰め寄る。
『大丈夫か?! 君達は――』
 ティエリアが眉根を寄せながらこちらを見る。
『さっきまでライルもいたが、アニューと帰って行ったぞ』
「そうか。――あれでも俺の大切な弟だ。アニューと上手く行くといいな。――ライルとも話したかったんだが」
 ニールが溜息交じりに呟いた。アレルヤが力づけるように優しい声音で言う。
『またチャンスはあるよ。それとも、呼び出そうか?』
「いや、いい。二人の邪魔しちゃ悪いからな。――アニューはいい女だ。少々訳ありって感じもしないでもないがな……。でも、ライルならあの娘を愛し抜くことが出来るだろう――」
『何だ? 君にはそんなことがわかるのか? ニール』――と、ティエリア。
「兄弟としての勘さ――」
『そうか……僕には兄弟はいないからな――』
 ティエリアが羨ましそうに目を眇める。本当に? ティエリアには兄弟がいないのか? ニールの脳裏に疑問が湧いた。――刹那が訊く。
「リジェネ・レジェッタはお前の兄弟ではないのか?」

2018.02.25

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