ニールの明日

第二百三十八話

「全く……アリーも悪い男なんだから」
 ニキータが呆れたように呟く。
「でも、そんな俺だから惚れたんだろ?」
「昔のアリーもかっこよかったけど、今の方がいいわ」
 そうして、アリーとニキータはキスをする。ニールがにやにやする。
「俺達もやるか? 刹那」
「やらない」
 刹那はにべもなく言った。
「つれないな。まぁ、そこがいいんだけど」
「てめぇは苦労するよな。刹那相手に」
 アリーがせせら笑う。
「そうそう。私、ピザ焼いたのよ。とっても美味しいのよ」
「そ、俺様の折り紙つきだぜ」
「ふぅん……」
 ニキータとアリーの言葉に、ついお腹が鳴ってしまいそうなニールであった。
「来いよ。刹那。ニール」
「でもな……ニキータのピザか……確かに美味しそうだが……毒など入っていないだろうな」
 刹那の言葉に、ニキータとアリーは同時に吹き出した。毒など、この天国ではないであろう。もし毒を盛られても死ぬだけだし。ニールは、刹那とだったら、この天国で過ごすことも厭わない。
 それに――アリーとニキータを変えた環境でもある。この天国は。雲がひとひら、流れて行った。
「行きましょ」
 ニキータもニール達を促す。そうそう、家に入ったら手を洗ってね、と、ニキータは母親のようなことを言う。――実際母親なのだろうが。
 しかし、アリーとニキータの息子はいつ誕生したのだろう。
「俺の世界では――ニキータ、アンタは妊娠したばかりの時に死んだろ? 息子はいつ生まれたんだ?」
 刹那も疑問に思ったらしく、アリー達に問う。
「さぁな――忘れたな。きっとあっちとこの世では流れている時間の速さが違うんだろう」
 アリーが赤い豊かな髪を掻き上げながら代わりに答えた。
(そうか――アリーにとっては天国はこの世なんだな)
 だが、まぁ、それはどうでも良かった。取り敢えず、赤ん坊が見たかった。ニールは赤ん坊が好きだ。――そして、刹那も。

 家に入って丹念に手を洗う。こんなに丁寧に手を洗うのは久しぶりなように。ニールは爪の中まで洗った。土が爪の中に残っていたからだ。刹那も同じようにしているのが、何だかおかしかった。
「見て。アリーと私の息子よ」
 ニキータが自慢げに言った。どこか乳臭い。けれど、赤毛の赤ん坊はとても可愛かった。
「名前は何て言うんだ?」
「アリー・Jr.よ」
 それはちょっと安直じゃないかとニールは思ったが、口には出さないでおいた。それにその赤ん坊はどこかアリーに似ている。
 ――アリーの息子は、満足そうにニキータの腕の中で大人しくしている。
「私はね、ここでずっと暮らすの。アリーと、この子と永遠に」
「ニキータ。幸せか?」
「ええ。とっても――あっ、ピザが冷めちゃう」
「ジュニア、抱いてやっか」
「ええ、お願いアリー」
 そして――とても香ばしい匂いのするピザをニキータが運んできた。
「どうぞ。遠慮なく」
 ニキータがピザを切り分ける。ニールが思わず生唾を飲んだ。アレルヤとニキータ。どちらが料理が上手だろう。
「いただきます」
 チーズがとろーりとろける。トマトの酸味が加わって、ニールが舌鼓を打った。
(ニキータ嬢――やるじゃねぇか)
「美味しい……」
 刹那も小声で褒める。
「ありがとう」
 ニキータが微笑むとその場が和やかになった。こんな和やかな空気、アリーは今まで知らなかったに違いない。
(父さん、母さん、エイミー……)
 あの幸せな家庭の中には、確かに自分もいたのだとニールは思った。しかし、もう、あの家族には会えない。――何て不条理なことだろう。
(アリー……俺の家族には会ったか?)
 だが、それを聞いて、この穏やかな時間を壊すのが嫌だった。
「私の得意料理なの」
 そういえば、このピザは食べたことがあったかもしれない。カタロンの基地で。――でも、あの時より数倍旨い。
「ニキータのピザは最高だな」
 アリーが言うのへ、ニキータが照れくさそうに笑う。今は、ニキータがジュニアを抱いている。ジュニアを見つめる幸せそうな笑み。ここは平和だ。武力による戦争根絶だってしなくていい。
 アリーは結局逃げたのだ。
 だが、それもいいと思う。逃げては駄目なんて、誰が決めたのだろう。
 それに――アリーを殺したのはCBである。
 でも、ここで、こんな風にのんびり過ごすことを許していいのか。アリー・アル・サーシェス。目の前のこの悪党が!
 のうのうと天国で暮らしていていいのか!
 ――だが、その想いの続きに、ニールは愕然とした。
(アリーと自分は、どう違う?)
 自分だって、沢山の人を殺した。戦争根絶の名の元に。アリーの方が正直なだけマシじゃないだろうか。
 けれど、自分には愛する人がいる。刹那、ティエリア、アレルヤ、ライル――。
 アリーも、愛する娘、ニキータがいたから天国へ行けたのかもしれない。これまで、アリーも人の愛し方を知らなかっただけで――。
「ニキータ。――ジュニア、抱かせてくれ」
「ええ」
 ニキータはニールにジュニアを渡した。何の悪意もない。無邪気な笑顔。こんな笑顔をアリーも浮かべていたのかと思うと不思議だった。
(俺と刹那の間には、子供は出来ない)
 アレルヤとティエリアの間にも、ベルベットと言う可愛い娘がいるのに――だ。
 男性と女性が融合した体を持つティエリアと違って、刹那は完全な男性体だ。妊娠する可能性は、まず、ない。例え、妊娠しそうな程あの行為に励んでも。
「ニール……」
 切なげな声で刹那は言う。
「ニール、済まない……」
 潤んだ瞳の刹那に、ニールはつい欲情しそうになる。
「何で謝んだよ」
「――こんな可愛い子供を、俺はお前に生んでやれない」
「何だ。そんなことか」
 アリーが口を挟む。
「いいんじゃねぇの? 子供がいるから幸せとは限んねぇぜぇ。ま、俺は幸せだけどな」
「ええ、アリー……」
 ニキータがうっとりした目でアリーを見上げている。
「それに、幸せは人それぞれだろ? お前が出来ることをやって、幸福を積み上げていけばいいだけじゃねぇか」
「アリー……」
 そして、刹那は深く息を吐いた。
「お前は相変わらず、口が上手い」
「どういう意味だよ。この」
 アリーが冗談半分に手をふりかざす。くすっとニキータが笑った。刹那は少しご機嫌斜めのようだった。
(後でめいっぱい抱いてやろう。――物思いなど忘れてしまえる程の濃厚な時間を刹那に捧げよう)
 ニールはそう決めた。――今のアリーは好きだと、ニールなら言えるだろう。刹那はどうだろうか。アリーに貞操を奪われて、心の底ではアリーをまだ恨んでいるのではないだろうか。
(刹那――アリーを憎んだって仕方ないぜ)
(憎んでなどいない。ただ、世界は不公平だなと思っただけだ)
 悪逆非道の限りを尽くしたアリー。だが、本当は、心の底では救われたかったのではないか。例えささやかな幸せでも――幸せを手に入れたかっただけかもしれない。愛のいっぱい詰まっている幸福な家庭で育った、ニールのように。
「アリーと私は、我が子の幸福の為にあたう限りのことをするつもりよ。それが、私達の魂鎮め。この子は――絶対にいい子になるって、そう信じているから」
 ニキータが宣した。――この家族が幸せであればいい。美しい素敵なものに囲まれ、優しい笑顔でいっぱいになるといい。ニールはこの瞬間、初めて心の底からそう思えた。――刹那がニキータの宣言を受けて続けた。
「アリーを……宜しく頼む。ニキータ。そして、アリー・Jr.」

2018.04.26

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