ニールの明日

第二百三十話

「あ~あっ、つっまんないな~」
「その台詞……今日で何度目だ? ネーナ」
 ヨハン・トリニティが妹のネーナに言った。天井のプロペラがぬるい空気を掻き回している。植物は宇宙基地の中でも元気に育っているようだ。
 ――花と土の香がここまで漂ってくるようだ。
「だーってさぁ、食堂じゃみぃんなベルベットとかいう子供にちやほやしてさ。退屈ったらなワケ。ここにこーんなに魅力的な美少女がいるのに」
「自分で言うか……」
「いや、ヨハン兄。ネーナは世界一の美女だぜ」
 次兄のミハエルが言った。
「やっだぁ、世界一だなんて」
「世界一じゃねぇな。宇宙一だな」
「んもう……ミハ兄ったら上手いこと言うんだからぁ。実の兄妹でなかったら結婚してあげても良かったのに」
「そうだなぁ。ネーナが妹じゃなかったら、確実に結婚してたぜ。俺」
「言ってろ」
 そう吐きながらヨハンは観葉植物に水をやっていた。――別段、ヨハンが持って来た植物ではないが、何となく世話してやっていた。きっと、どこかの誰かがこの部屋に持ち込んだのだろう。
 今、ヨハン達がいる部屋は、ラグランジュ3の隊員から宛がわれたものだ。ネーナの部屋は別にしようという話もあったが、立ち消えになった。ミハエルが反対したからである。
(――ミハエルもいい加減妹離れしてくれないとな……)
 ヨハンは心の中で溜息を吐いた。だが、自分達トリニティ三兄妹は、特別な絆で結ばれている。
 ――アレハンドロ・コーナーに酷い目に遭わされた者同士としても。
(アレハンドロ・コーナーか……)
 思えば幸薄い男だった。道化としてリボンズに粛清されたと噂に聞く。彼の死のことについては誰もが笑い話にした。
 だが、これで終わりではない。
 彼がいなかったら、自分達もまた戦いに身を投じていなかった。それがいいことなのか、そうでないのかはわからない。
 ネーナはあまり考えたくもないだろうし、ミハエルにはそもそも考える頭がない。
 このままCBに骨を埋めるのも手か――ヨハンはそう考える。
 疑似太陽炉の弱点らしきものもわかったし。
 それに、自分達は躍らされていたのだ。アレハンドロ・コーナーと、その一行に。
 自分達も、グラン・ギニョールかもしれない。一歩間違えれば、殺されたのは自分達であっただろう。――自分は死んでも構わない。だが。ミハエルとネーナは守りたかった。どんなことをしてでも。
 自分もミハエルのことは笑えない。ヨハンはじょうろを持つ手をふと、止めた。
 このままCBに世話になっていいものだろうか。
 ミハエルもネーナもそれが当然と考えているらしい。けれどヨハンは迷っていた。トリニティチームとCBの行く道は、どこか違うような気がする。
 ――いずれ、CBと袂を分かつかもしれない。
 だが、仲間としてやっていくのも、それはそれでいいのかもしれない。全ては運任せだ。頼る存在がいない以上――。
「ねぇ、ヨハン兄! ジャム入りの紅茶淹れて!」
「――わかった」
「あー、俺、コーヒーね。インスタントじゃないヤツ」
 ミハエルもちゃっかり自分の好みを通す。
「コーヒーだったら食堂にいっぱいあるだろう」
「紅茶だって一杯あるけど――あそこへは行きたくねぇんだよな」
「どうして?」
 ヨハンが訊く。
「――あたしもー。だってあそこ、ベルベットが幅きかせているし」
「三歳児と比較しても仕様がないだろうが」
「あら。あたしだってこんなナイスバディでも、あの子と似たような年齢よ。それなのに、みんな見向きもしないし――」
「あいつら、ネーナのいいところ知らねぇんだ」
 ミハエルがネーナの座っている藤椅子越しにぎゅっと妹を抱きしめる。近親相姦なんてことにならなければいいが――ヨハンは少し心配になる。ミハエルのネーナへ対する想いは度を超している。
(本当に、兄妹でなかったら良かったな。お前ら――)
 だが、物事にもしはない。あったとしても、詮無い繰り言だ。
「紅茶にコーヒーな。ミハエル。お前はガム抜きでいいか?」
「もち」
 このCBにも恩らしきものはある。恩返しが済んだら、どこか静かなところでひっそりと、ミハエルとネーナと暮らしたい。ヨハンはそう考えていた。

「イアン、取り敢えずニールに連絡を――」
「ああ、そうだな。……いろいろあって忘れちまってたよ」
 イアンがぼりぼりと頭を掻く。
 場面変わって、ここはラグランジュ3のオペレーションルーム――。アレルヤがイアンをせっついていた。イアンが言った。
「あー、もしもし。ELSくん? 君達の力を貸してもらう時が来たようだよ」
『――ニール・ディランディは、まだ意識を回復してません』
「そうか……弱ったな」
『働きかけることも出来ますが。彼、イノベイター化してますし』
「頼む」
『――仲間からの情報。彼は一旦目を覚ましましたが、また眠りについたようです』
「ご苦労さん」
 イアンはふぁ~あと欠伸をした。この非常時に何を呑気な――とティエリアが言おうとした時。――ドアが一斉に開いた。
「おやっさん!」
「おやっさん! ひどいじゃありませんか! 俺達を追い出すなんて――これ以上横暴な振る舞いをしたら王留美に訴えますよ!」
「そうだそうだー!」
「ちょっとしたおじさんの我儘じゃねぇか。んなに怒るなよ……」
 イアンが閉口している。
「でも……あの砲撃の少し後だったかな……ダブルオーライザーは妙な物体に包まれて消失したんですよ!」
「物体じゃない。一応人格らしきものも持っている。紹介しよう。――彼らだ」
 イアンはとんとん、とモニターの画面を人差し指で叩いた。
『初めまして。ELSと呼んでください。私達は金属の体を持っています』
「何と――!」
「美しい、と言ったらいいかどうか測りかねますが、確かにこれは、オブジェみたいで一種の美がありますよ」
『どうもありがとう』
『エルス、エルス』
 ハロが黄色い耳をパタパタさせている。ハロの丸い体がティエリアの腕の中にすっぽり入る。
「ハロまで来たのか――ということは……」
「俺も来たんですよ」
 ニール・ディランディの双子の弟、ライル・ディランディがやって来た。
「今頃来たのかい。遅かったじゃないか」
 アレルヤが珍しく他人を詰る口調になる。それだけ遠慮のない仲だということであろう。
「悪い悪い」
「――アレルヤ。ライルのことだ。アニューといちゃいちゃしてたんだろ?」
「あー、イアンさんまでそういうこと言って……俺ってそんなに信用ないんですね。まぁ、否定はしませんけど」
「ということはいちゃいちゃしてたんだな」
 ティエリアの眉がきゅっと上がる。
「妬くなよ。教官殿――アニューとはELSのことで話し合っていただけさ。こんな金属片の話だぜ。ロマンの欠片もないと思うよ。もっとロマンチックな話題で盛り上がりたかったぜ」
「ロマンの欠片もない? そんなことはないでしょう」
 ここで仕事に携わっているオペレーターの一人が言った。
「それはお前さんが変人だからさ」
「ライル……言いたくはないが、お前も立派に変人の域に入るぜ」と、イアンが指摘する。
「何で? 俺のどこが?」
「自覚なし――か」
 イアンがふーっと深い溜息を吐いた。カタロンに入った時点で、ライルは充分この騒ぎに巻き込まれている。ニールとライル。顔もそっくりなら気質もどこか似ている。二人とも、地球の未来を本気で憂えている。そして、宇宙と歩む未来を夢見ている。――ライルが言った。
「ELSはアニューにも話しかけて来たんだ。アニューは今頃フェルト達をなだめているよ」
「そうか……フェルトはダブルオーライザーが消えたことを知らないんだな。ダブルオーライザーが砲撃された時、走って行ってしまったからな」
「今頃、誰かから聞いている頃かもしれねぇけどな……余程ショックを受けたんだぜ。――わかるよ。おかげでせっかく彼女が持って来てくれたクッキーが床にぶちまけられて台無し」――少年の域を脱しかけた青年が言った。
「ジュールのヤツが3秒ルールで食ってたっけな」
 おいおい、バラすなよ――と質量が常人の二倍はありそうな男が笑った。他の仲間達も笑っている。そう言う図太い神経でなければスペースマンは務まらないのだが。――アレルヤが「あの……刹那の無事の確認を……」と言っていたが、皆聞いてないようであった。

2018.02.05

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