ニールの明日

第二百三話

『マリナ……?』
 モニターの向こうから紅龍が怪訝そうに訊く。
「あ、すみません。私ったら……ムキになって、大声出したりして……」
『いえいえ。あの、今のマリナ、可愛いと思いましたよ。俺』
 一瞬、沈黙が流れた。
「ふふっ」
『ふふふ……』
 二人はどうしてかわからないが、吹き出してしまった。
「もう……紅龍ったら……」
『俺、どんなマリナも可愛いと思いますよ』
「敬語……」
『あ……』
 紅龍は口元を押さえた。まだ、普通にマリナと話すことに慣れていないらしい。紅龍はまた、含み笑いをした。
『俺ってば駄目ですね――せっかくマリナが対等に接してくれようとしているのに――』
「あら」
 マリナが微笑んだ。
「私はそこまで考えてはいなかったんですが……私も敬語使ってしまいましたわね」
『いいんじゃないでしょうか。俺達はそんな言葉を使うように育ってきましたから。でも、妹達の前では平民のように話すこともありますよ。俺は。尤も、俺も平民ですがね』
「王留美さんも言葉遣いが綺麗でしたわね」
『まぁ、言葉遣いだけはね』
「その台詞は王留美さんに失礼ではありませんか?」
『いいんですよ。俺は兄ですから』
「紅龍さんて――結構はっきりもの言いますわね」
『一応内緒にしておいてくださいよ』
 紅龍は人差し指で、『秘密』のジェスチャーをした。
「わかりましたわ。でも、紅龍がこんなに話してて楽しい方だとは思いも寄りませんでしたわ」
『今まであまり喋りませんでしたからね』
「でも、紅龍はとってもいい人。王留美さんが羨ましいわ。こんなに立派な兄がいて」
『ありがとう』
 モニターの中の紅龍がはにかんだ。
「あら、とってもいいお顔」
『そうですか?』
「またお話したいですわね」
『じゃあ、端末の番号を教えますから』
 モニターの左下に数字と文字が現れる。マリナはそれを控えた。
「――ありがとう。今度は私の方から連絡しますね」
『宜しく。それじゃ』
 紅龍はモニターの回線を切った。マリナはしばらく夢うつつでぼーっとしていた。紅龍のことを考えながら。

 こちらはラグランジュ3の刹那の部屋――。
 その前に佇む男が一人。刹那の恋人、ニール・ディランディである。彼はまだ制服を纏っていた。
(刹那はまだ寝てるかな――)
 刹那はセルゲイやニールと酒を飲んで潰れてしまった。そうでなくとも、とうに皆寝ている時間であろう。
 だが――。
(ニール)
 刹那の脳量子波が伝わってきた。ニールの頬が緩む。
(起きてたのか、刹那)
(まぁな――)
(部屋に入ってもいいか?)
(お前はイノベイターだろう。壁抜けしてでも来い)
(俺にはそんな芸当は出来んよ)
 ニールがそう刹那の心に語り掛けると、相手はくすくす笑っているような気がした。
(冗談だ――鍵は開いている)
(それは入ってもいいということだな)
(そう取ってもらって構わない)
 ――扉が開いたので、ニールは部屋に入って行く。
「刹那!」
 ニールは声を出した。刹那が言った。
「……ニール、言っておくけどセックスはごめんだ。俺は疲れている」
「そうか――残念だな」
「この絶倫男」
「褒め言葉だな、それは」
 ニールは自分がにやつくのを止められない。
「一緒のベッドに入ることぐらいは許してやる」
「――サンキュー、って言っていいのかねぇ。蛇の生殺しじゃねぇか」
「嫌なら自分の部屋に帰ったっていいんだぞ」
「嫌な訳ないじゃねぇか――俺はどんな時でも刹那と一緒にいたい」
「ん。――俺も、ニールと一緒にいたい」
「よし、交渉成立!」
 ニールはするりと刹那の寝ているベッドに入った。裸の刹那がもぞもぞと動く。枕元のランプの光が優しい。
「――何だよ、お前。そんなかっこして煽ってんのか?」
「俺は一人の時もたまに裸で寝ていた」
「――役得だな」
 ニールは嬉しそうに笑った。刹那は紅茶色の瞳をニールに向ける。綺麗な瞳だとニールは思った。
「さっきまでセルゲイと話をしていた。セルゲイはいい男だよ――敵に回したくないと思う」
 ニールの言葉に刹那は頷いた。そして、刹那は訊く。
「セルゲイと何を話していた?」
「カタロンのクラウス・グラードと、戦争を止める為の話し合いをしたい――ということをさ。明日、王留美にも伝えるよ。CBにもこの戦いから撤退してもらいたい。アロウズはきかないだろうからな」
「カタロンだってきかないだろう」
「そこを俺達が何とか説得する」
「無駄だと思うがな――おい、何してる」
「刹那の背中に俺の刻印を刻んでいる」
「お前はどうしようもないことを考えるな――ニール」
 浅黒い肌に紅色のキスマークが映える。チョコレートケーキにトッピングされた苺みたいだ。今すぐ食べてしまいたいが、それをやると、刹那からベッドを追い出されそうなので止めにした。
 けれど、刹那には伝わっていたらしい。
「本当に、下らんことばかり――」
「え?」
「お前のことだ。ニール・ディランディ」
「悪かったな。黙らないともっと下らんことするぞ」
「仕方ない――挿れなきゃいい」
「やった」
 ニールが刹那の体を愛撫する。刹那が艶やかな声を上げる。ニールは刹那の肩にある自分のつけた歯型にも舌を這わせた。
(なぁ、ニール。こんなことやってる俺らが本当に世界を救うことなんて出来るだろうか)
 刹那の声が聴こえる。だが、実際は刹那は、はぁ、はぁと甘い吐息を上げているだけだ。
(はぁ? 互いに愛し合うことがイオリア・シュヘンベルグのじいさんの理念だろ?)
 ニールも脳量子波で答えた。
(それは、詭弁……だ……)
(詭弁でも俺は構わねぇよ。刹那をものに出来るなら。――それに、イオリアじいさんの言う武力による戦争根絶なんて、刹那にもそろそろ矛盾していることがわかってこねぇか?)
(確かに矛盾かもしれない。でも、戦争根絶の為に俺達は戦っているのだから、ガンダムになれないと俺は……)
 刹那の思念まで少々支離滅裂になっている。どうやら眠いらしい。またガンダムか、という思いと、そんな刹那が可愛いという心がニールの中に併存している。おやすみ、俺の刹那――ニールは刹那のうなじにキスをした。

2017.5.7

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