ニールの明日

第二百六十四話

 ニールが端末を操作する。出て来たのは王留美だった。
「お嬢様。そっちの具合はどうだい?」
『もう! 私はもうお嬢様じゃなくってよ! ――こっちは大丈夫ですわ。グレンも仲間の方々もとってもいい方達ですし』
「ほら――刹那。端末を持っていくのは当たり前だろ。お嬢様でさえ持って行ったんだからな」
 ニールのあてこすりに刹那は、ふん、と鼻を鳴らした。
『私はまだソレスタル・ビーイングの責任者ですし、端末は持って行かないと』
「ほれ、刹那。一言何かお嬢様に言ってやれ」
 ニールが端末を刹那に向ける。
「留美。頑張れよ」
『ええ――ありがとう。そして……勝手な振る舞いをしてごめんなさいね』
「謝らなくていい。俺も同じ立場だったらそうしたかもしれないからだ。もし、ニールが一緒に来いと言ったなら――」
「おいおい。今、俺達は一緒にいるじゃねぇか」
「――そうだ。運命に感謝する。それに、ガンダムにも」
「済まんね、お嬢様。これから宇宙海賊と戦闘だ」
『大変ですわね――バイキングとの戦闘も。――でも、貴方がたは好きで戦ってるんですの? 私と同じように――私はもう今は戦争に反対なんですけど。でも、グレンがいれば――私はどんなことでもしますわ』
 画面の中の留美が真顔になった。
 豪華な服。いい匂いのする美味しい食事。ふかふかのベッド――そんな贅沢な生活から、王留美はおさらばしたのだ。けれど、以前より楽しそうなのはどうしてだろう。愛の力だろうか。
(俺も、刹那と一緒にいられれば幸せだもんなぁ……)
 そう思いながら、ニールは刹那を見た。刹那も同じようなことを思っていたのが伝わる。愛は人を幸せにさせる。
『あら、主人が――』
「おい、お嬢様が主人というと変な感じだぜ」
『だって、グレンは愛する主人ですもの』
 ――お嬢様もなかなかに惚気てくれる。ニールが小さく笑う。グレンが出て来た。
『元気か? ニールに刹那』
「ああ。怪我も病気もしてない。今のところ」
「ニールは元気過ぎるところが玉に瑕だ」
『まぁ……』
 王留美は赤くなった。刹那が性的な冗談を言うなんて思ってもみなかったのだろう。刹那はティエリアと同じくらい真面目人間だったから――。留美は慌てて口を開いた。
『貴方がたのお話は聞いてますわ。とても良い心証を与えてくれたようですね。ソレスタル・ビーイングの使者として』
「まぁ、お役に立てたなら嬉しいぜ。でも、俺はソレスタル・ビーイングの為に戦っている訳ではない」
『あら。じゃあ何の為に戦ってらっしゃるの?』
「世界平和の為だ」
 ニールはきっぱりと言い放った。留美がくすくすと笑った。
「お嬢様?」
『いえ――貴方なら、刹那の為に戦っていると答えそうな気がして』
「そう言うと思って裏をかいたんだ」
 そう言って、ニールはにやりと笑う。刹那は無表情だ。笑えば可愛いのに――といつもニールは思っている。こうなったら、これからは自分が刹那を笑わせよう。
『刹那、ニール……俺は死なない。だから、お前達も死ぬな』
「わかってるよ」
 グレンのぶっきらぼうな台詞が、何故かニールには嬉しかった。
 俺達は、死なない。
 イノベイターが死ぬのかはどうかはわからないが――話によると、普通の人間より驚異的に長生き出来るそうである。――ニールには、『イノベイター狩り』というものが平行世界で起こっているというのはそれだけで納得出来そうな気がした。
(俺達は――人間だ)
 日に日にイノベイター化していく自分。そんな自分に抗いたくなった。
 イノベイターになって嬉しいこともあった。刹那と脳量子波で話せるようになった。けれど、人間として生まれて、急にイノベイターになるということは、ニールにとって戸惑いの種でもあった。
 人間でいたい――例え、寿命が短くとも。
「気をつけろよ。グレンにお嬢様。アンタらも死ぬなよ。――アンタらが死んじゃ話にならない」
『ああ。お前らも命を大事にしろよ』
「ところで、お嬢様には子供は出来てないのかい?」
『今のところその兆候はない』
 ニールの冗談にグレンは生真面目に答えた。
『出来てもいい頃だと思っているのですけれどねぇ……』
 留美がほっ、と吐息をついた。
『でも、今が幸せなら構いませんわ』
「お嬢様――変わったな」
『ええ。だって、これからは逞しくないとやっていけませんもの。ブルジョアの行儀作法なんか、とてもとても通用しませんことよ』
 ニールは心の中で思った。――強くなったな。お嬢様。
 その思いを伝えようとした時だった。
「ニール。そろそろ出撃だ」
「おう、そうか。――全く。奴さんも次から次へと――あ、バイキングの話だけどな」
『ええ。それでは』
「ああ、そんじゃな」
 ニールは端末のスイッチを切った。刹那が手招きをしている。ニールは刹那と一緒にダブルオーライザーに向かった。そして、刹那は上部に、ニールはオーライザーに乗り込む。
『ダブルオーライザー、刹那・F・セイエイ。出る』
「ダブルオーライザー、ニールディランディ。以下同文」
 刹那と一緒に戦うことがニールの幸せ。こんな幸せがあってもいいではないか。戦争に闇雲に反対する人々もいるけれど。
 ――今回のセッションは、己と戦うこと。
 相手は宇宙海賊(バイキング)などではない。戦うのは、いつでも自分自身だ。その通りだ――刹那の声が聴こえる。刹那も同じ気持ちでいてくれるのだ。その事実が、ニールにとっては嬉しい。
 宇宙へ――ダブルオーライザーは飛び立って行った。

「ふぅ……こんなもんかな……」
『ニール。油断するな。今のは雑魚だ』
「ああ、でも、何とか追い払っただろ? もう来ないといいけどな――」
『そういう訳にもいかないだろう。敵だって必死だ』
「俺達だって必死だ。――まぁ、それにしちゃ態度が軽いと怒られそうだがな」
『誰に?』
「お前に」
『――冗談を言っている場合ではないぞ。ニール・ディランディ。まぁ、そういう冗談が言えることが有り難いと言えば有り難いがな――』
「なんだ。怒んねぇのか。つまんねぇ」
『ご希望なら怒ってやってもいいんだがな――』
「いやいや。お前さんは笑った方が可愛いぜ」
『……生憎だが表情筋が麻痺していてな……』
「刹那。――お前も冗談が上手くなったな。良いことだぜ。トレミーに帰ったらミルクをご馳走してやるよ」
『悪い』
 刹那はミルクが好きなようだ。いつぞや、「こんな美味しいものがあるとは思わなかった」と言っていたぐらいだから。ニールの想像を絶するところで刹那は戦っていたのだ。――アリー・アル・サーシェスの元で。
 アリー、もう化けて出るなよ。
 いや、アリーはもう家族と天国で幸せに暮らしているはず。化けて出るとかはしないはずだろう――多分。
『兄さん、アシストありがとう』
 ケルディムガンダムから通信が届いた。ニールの双子の弟、ライル・ディランディからだ。
「ああ、こっちこそご苦労。少しは狙い撃てるようになったか?」
『――兄さんはもっと命中率が高かったぞって、教官殿はそればっかしだぜ。――教官殿はよっぽどニールに心酔しているんだなぁ。それが悪いとは言わないけど、兄さんと比べられるのは勘弁して欲しいんだよなぁ……』
 ライルの言う教官殿とは、ティエリア・アーデのことである。綺麗な顔しておっかないんだぜ。滅多に褒めないし――ライルがこぼしていた。
 ニールにとってもティエリアは特別な存在だ。刹那とは違った意味で。
『ライル、世話になった』
「なんのなんの。兄嫁殿」
 モニターの向こうの刹那がほんの僅か眉を寄せた。こういうジョークはあまりお気に召さないらしい。ニールは物凄くお気に召しているのだが。
「ふっふっ。俺達は恋人同士だものな」
『ニール……』
 刹那は何かを言おうとして、言葉を探そうとしているらしい。ニールは刹那の言葉にならない想いが伝わってきたような気がした。ニールだって刹那のことは一部しか知らない。でも、これから知っていくことは出来る。ニールは優しい気持ちになった。
 ――刹那、今回も生き延びたな。ニールは脳量子波を送った。そうだな、と嬉しそうな返事が返って来た。刹那、表情は仏頂面のままなのに。

2019.01.20

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