ニールの明日

~間奏曲17~または第二百六十三話

「リムおばさん!」
 ダシルが元気いっぱいに鳥を追っている女に声をかける。鳥の糞が臭い。これも、グレンの故郷の匂いなのだと王留美は思った。
「あらあら、久しぶりねぇ、ダシル。――グレン」
「久しぶりです」
「グレン。そっちの別嬪さんは?」
「別嬪さんと言われると照れるなぁ……」
 別に貴方に言われた訳ではないでしょうに――。
 留美がくすっと笑う。グレンにとって留美は自慢の妻であるらしかった。妻を褒められると嬉しいのであろう。
「グレン様に言った訳ではありませんよ。ね、留美様」
 ダシルが留美の言いたいことを代わりに言ってくれた。
「王留美様。ソレスタル・ビーイングの……それでは、この人がそうなのかい」
「はい。ソレスタル・ビーイングの元当主、王留美です」
「元……ということは、もう辞めたのかい?」
「ええ」
「それよりも、リムおばさん。さっさと料理準備してください」
「はいはい。――ねぇ、ソレスタル・ビーイングはニールと刹那のいたところでしょう? 二人は元気?」
「え、ええ……」
 あの二人のことだ。多分元気だろうと思う。特に、ニールは死んでいたと思っていたところにひょっこり現れて来た。きっと悪運が強いのだろう。――刹那も運が強い。ニールも刹那も幸せなはずだ。
 例え、戦闘が結びつけた縁でも――王留美はソレスタル・ビーイングの責任者の顔に戻って、ニール・ディランディと刹那・F・セイエイの将来を案じた。
「あ、あの……おねえちゃん……?」
 おずおずと子供達が様子をうかがう。
「なぁに?」
 留美は思いっきりの笑顔で笑ってあげた。わぁっ!と、子供達が留美の傍に寄って来た。
(不思議ね……昔は子供なんて好きじゃなかったのに……)
 急に保育士になったような気がした。グレンも嬉しそうに笑っている。
(もし、私とグレンの間に子供が出来たなら――こんな感じなのかしら……)
 留美はぐっとこらえてくるものを抑えた。グレンと留美の間なら、子供が出来てもおかしくない。けれど――子供達には戦争のない国に育って欲しい。
 近頃、母性本能が湧いて来たのか、留美はしきりにそんなことを考える。子供には戦って欲しくない。戦うのは、自分やグレンの役割だ。
「おねえちゃん、なまえなんて言うの?」
「留美よ」
「わかった。りゅーみんおねえちゃん。どこの国から来たの」
「とても遠いところから来たのよ」
 そう、とても遠いところ……。
 ソレスタル・ビーイングのことが一瞬頭を過って、消えた。
「ねぇ、リムおばさん、今日焼き鳥作ってくれるって」
「わーい、やきとり、やきとり」
「みんなであそぼうよ。おねえちゃんも」
「え、ええ……」
「こらこら、アンタ達。遊ぶんなら手伝いなさい」
「私がやりますわ」
「本当? でも、今日はいいわよ。何たって、グレンの嫁さんの歓迎会だからね。――本当にまぁ、グレンも浮いた噂ひとつないと思っていたら、こんな別嬪さんを捕まえて――この手はすべすべじゃないかね」
 リムおばさんは留美の手を取って撫でる。留美が言った。
「お恥ずかしいですわ。本当に……」
「そうかい? でもね、この手もすぐに荒れることになるかもしれませんよ」
「――覚悟の上です」
 留美は真顔で宣言した。リムおばさんは留美の手を離した。
「――いい嫁さんをもらったね。グレンは。ねぇ、留美さん、アンタからも戦争はやめるようにグレンに言って欲しいんだけどさ――」
「リムさんは……グレンの戦いに反対なんですか?」
 留美が訊いた。
「ああ、そうだよ。戦いからは何も生まれやしない……それから、私のことは『リムおばさん』でいいからね」
 今ならば、リムおばさんの言葉が少し、わかる。
 けれど、戦いから生まれ出るものもある。アレルヤ・ハプティズムとティエリア・アーデの愛。――そして、ニール・ディランディと刹那・F・セイエイの愛。
 だが、リムおばさんは、子供達が戦で死ぬのが心配なのだろう。
「ねぇ、りゅーみんおねえちゃんあそぼうよー」
 五歳くらいの男の子が留美の服の裾を引っ張る。
「それより先に、長老に挨拶だ。わかったね」
 グレンが服の裾を掴んでいた男の子の手を開かせた。
「……はーい」
 男の子はつまらなさそうにそこを後にした。
「ごめんな。教育が行き届かなくて」
 グレンが済まなげに言った。
「ううん。みんなとってもいい子達ですわ」
 グレンはほっとしたようだった。
「そうだな――俺も昔はここでガキどもと遊んでたよ。俺がリーダーになって……ほんと、いろいろな遊びを思いついたなぁ……」
「グレンは……子供達が戦争に行くことに賛成ですの?」
「――わからない」
 グレンは正直に言った。
「俺はいいんだ。俺は、自分で戦地へ行くことに決めたのだから。――それに、生まれた時から戦うしか能のない男というのも、確かにいるんだ……」
 グレンが俯く。留美が手をグレンの手を包み込むように握った。
「貴方は――確かに生まれながらの戦士かもしれません。でも……戦うことしか能がないということはありませんわよ。――貴方は、私に幸せをくれたもの。これからも、いっぱい幸せになりましょうね」
「留美……」
 くすっと笑うリムおばさんの声がする。二人は、ぱっと離れた。
「いいのよ、そのままで……」
「でも……」
「初々しいわね。二人とも」
 初々しい――リムおばさんにそう言われて、グレンと留美は顔を見合わせた。人前でいちゃつくのがこんなに恥ずかしいものだとは――それに、二人はもうやることもやっているのに……。
 何となく、自分達はこの村にそぐわないような気がした。
「――長老のところへ行こう。留美」
「ええ」
 かちこちになりながら留美はグレンの後をついて歩いた。――だが、留美はあることに気が付いた。
「そっちでしたの? グレン」
「――あ、間違えた」
 グレンは極度の方向音痴なのである。それがおかしい。留美も思わず笑いがこぼれそうになった。
「俺が案内しますよ」
 ダシルが挙手をした。
「ごめんなさいね。ダシル。うちの夫は貴方がいないと駄目そうで」
「いえいえ。もう慣れてますから。さぁ、こっちです」
 ダシルの案内で、グレンと留美は長老のところへ向かう。留美ももう緊張などしていなかった。――それにしても暑い。
「暑いですわね」
「夕方になったらもっと涼しくなりますよ。――長老」
 ダシルの言葉に、長老と呼ばれた男が、
「よく来てくれたの。王留美殿」
 ――と、優しい声をかけた。
「まさかグレンと結ばれるとはのう……ソレスタル・ビーイングの長、王留美が」
「いえ、そんな……」
「本当を言うと――お前さんは別の運命を歩むはずじゃった……」
「まぁ、どんな運命ですの?」
「――それは言えん」
 王留美は思った。――きっと、私はグレンがいなかったなら、もっと悲惨な運命を辿っていたのかもしれませんわね。ありがとう、グレン……。
 留美はグレンの方を向いた。グレンがにこっと笑った。可愛い笑みだった。

2019.01.10

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