ニールの明日

第二百六十二話

「見て見て! グレン! 大きな夕陽ですわ!」
 王留美ははしゃぎながら沈みゆく太陽を指さしている。
「やっぱり……貴方と来て良かったですわね」
「物見遊山じゃないんだぞ。留美」
 グレンは苦笑している。けれど、彼も嬉しいはずだ。――愛する妻と一緒にいられて。留美はグレンと同じ紫色の服を着ている。彼らは似合いの一対だった。――ダシルが言ったことである。
「グレン! 留美! ちょっとこっち来てくれ! 飯だぞ」
 ――ワリスが呼んでいる。
「あの……グレン? 私も貴方の妻としてここに来たからには、料理が出来なければいけませんわよね」
「ああ。それがどうした?」
「私、あんまり料理なんて作ったことないんですけれども……」
「留美の飯は旨い。俺が保証するんだから間違いはない。まぁ、アレルヤ程ではないがな」
「まぁ!」
 留美はつい膨れる。
「でも、アレルヤのあの料理の腕は、最早変態だからな」
「そんな……ティエリアが聞いたら怒りますわよ」
 それでも、留美は機嫌を直す。
 ――強い風が吹いた。砂のにおいがする。埃っぽくもある。
「入ろう。留美」
「ええ」
 二人はテントに入った。ワリスが鍋を用意してくれていた。羊や山羊の肉や乳。留美には珍しいものばかりである。独特の臭いだが、何故か留美には一流シェフの料理の匂いより好ましく感じた。
(私は――ここに来る為に生まれて来たんだわ)
 留美は故郷に帰って来たような懐かしさを覚えた。ここに来たのは初めてだというのに……。
「刹那もここに来たことがあるんでしたわよね」
「そうだな。――ここは気に入ってくれたか? 留美」
「勿論ですわ」
「さぁさ。グレン様、留美様、こちらですよ。二人は隣同士で――ね。せっかく結婚したのですから」
 ダシルがグレンの手を引っ張る。グレンはそうさせるがままにさせておいた。
「ダシルは――結婚とかは?」
 留美が訊く。
「え? 俺ですか? ――考えていないこともないですが、留美様程の魅力的な女性にまだ出会えてませんからねぇ」
「まぁ、お上手ですこと」
 留美は袖で口元を隠した。思わずにやけそうだったから――。
「マリナ様は紅龍様に夢中ですし――」
「え?」
 留美は意外に思って目を瞠った。
「お兄様と――マリナが?」
「あれ? 知らなかったんですか? 俺、結構頻繁にマリナ様と連絡取り合っているんですけど、マリナ様は紅龍様のことばかり――」
「それは、知らなかったですわ……」
 あの朴念仁の兄もやるもんだと、密かに留美は感嘆した。
「でも、紅龍様とマリナ様だったらお似合いですよね。俺の入る隙はないかなぁ……」
「ダシルはマリナ・イスマイールがお好きなのですね」
「うん! マリナ様は心も見た目もお美しいし、いい匂いはするし――」
「だったら……奪ってしまえばどうでしょう」
「俺が王留美にしたみたいにな」
 にやにやしながらグレンが口を出す。
「えー、でも、マリナ様ついて来てくれるかなぁ……」
 途端にダシルは脂下がる。
「――冗談ですのに」
 留美の言葉にダシルは一瞬口を噤んだが、
「――ですよねぇ」
 と、言って笑った。
「それに、俺にはグレン様がいるから、しばらく結婚は出来そうにありませんよ」
「まぁ、グレンのお世話だったら私がしますわよ」
 ここにライバルがいたかと、留美は意外な目でダシルを見つめた。ダシルに他意はなかったらしいが。
「でも、留美様もここに来たばかりでしょう? 俺、留美様のお世話もいたしますよ。何でもお申しつけください」
「まぁ……それでは、料理を教えてもらえるかしら。グレンの好きそうな」
「わかりました」
 承知した、と言いたげに、グレンは自分の胸をどん!と叩いた。
「おい、留美。酒はイケる方か?」
 ――ワリスが怒鳴るように質問した。
「ええ。人並程度には嗜みますわ」
「人並じゃあ、ここでは駄目だ。うわばみくらいでないと」
「でしたら、留美様は大丈夫ですよ」
「まぁ」
 ――どういう意味かと、留美はダシルに詰め寄りたかった。
「こんな華奢な体はしているが、留美は女丈夫だ。きっと健康な子を産む」
「グレン……!」
 留美の頬が、火でもついたかのように熱くなった。けれども、ここで子だくさんの母として暮らすのもいいかも――留美がそう考えていると、ワリスが立ち上がって音頭を取った。
「留美姫の来場に、乾杯」
「乾杯!」
 男どもが盃を上げる。留美も従った。
「か……乾杯!」
「なかなかおぼこっぽいところもある娘じゃねぇか。なぁ、グレン。そのうちお前らの夫婦生活についても聞かせてもらうぞ」
「それはまたおいおいに」
 ワリスの言葉をグレンがいなした。こういうところは刹那に似ているわね、と、留美は思う。少し、CBでの生活が懐かしくなった。刹那・F・セイエイのせいかと思った。それと、ニール・ディランディと。
(刹那――ニール。私は貴方がたに負けないぐらい幸せになってみせますわ)
 密かに闘志を燃やす留美であった。
「そうだ。留美――と呼んで構わねぇか?」
「ええ。私はここではグレンの妻ですから」
 目を閉じたまま留美が惚気る。ワリスの「あちゃ」という声が聴こえた。
「言われちゃったなぁ。なぁ、グレン」
「手を出すなよ。ワリス」
「お前の妻に手を出す程、俺は命知らずじゃねぇさ。――今日は飲み明かそうぜ。グレン。アンタの奥方も」
 奥方……。
 グレンの奥方……その言葉に、留美は体の中が火照る感覚を覚えた。
「ええ。そうですわね。ワリス。どちらが潰れるか競争ですわよ」
「おう!」

 気が付くと、辺りは薄闇の中だった。ワリスは満足そうに寝こけている。――グレンが留美の顔を覗き込む。幸せそうに。留美は結局酔い潰れてしまったらしい。情けない……と留美は思った。
「起きたか? 留美」
「ええ――でも、あれだけの量で潰れるとは……お酒の強さについては些か自信がありましたのに……」
「お前がいたところとは、アルコールの度数も違う。けれど、皆お前のこと、仲間だって認めてくれたぞ。それに、ワリスよりは酒も強い」
「光栄ですわ。でも、まだ何にもしてませんのに……」
「まぁ、こいつらは、俺が認めた女だということで、既に仲間として見てくれてはいるんだがな――」
「人望がお有りになりますのね。――グレン」
「俺は別段、変わったところのないただの男さ。でも、仲間には恵まれたぞ」
「そうだぞぉ……グレン……」
 ワリスはそうむにゃむにゃと言って、また、がおーと鼾をかき始める。グレンと留美はお互いに笑顔を見かわす。
「幸せにしてやるよ。留美」
 私も――そう言って、留美は砂漠の天幕の中、グレンと深い口づけを交わした。留美は思った。――どちらが先に幸せになるか、競争ですわね。グレン。

2018.12.29

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