ニールの明日

第二百六十七話

「とうさま、にーるおにいちゃまとおはなししてたの?」
 ベルベットが訊いた。平行世界でのアレルヤとティエリアの娘である。
「ああ。ちょっとね――」
 アレルヤが答える。ティエリアは微かに微笑んだだけで何も言わなかった。
「ティエリア。ロックオン――じゃなかったな。ニールは幸せそうだったよ」
「とうさまたちみたく?」
 ベルベットは無邪気に言った。アレルヤとティエリアは笑顔で互いの顔を見かわした。
「ああ――僕達は幸せだよ。ベル……君が来たおかげでますます幸せになったよ。君は幸福の天使だよ」
「べる、てんしなの?」
「ああ。――僕とティエの大切な天使だ。だから、危ない目には絶対遭わせたくない。傷つけたくない」
「とうさまとかあさま――ぺんだんとのむこうでもそんなこといってたよ」
「は?」
「だから――もう一組の……ベルベットを生んだ両親の言ったことだろう。それにしても少しこんぐらかることがあるかな」
「ああ――そうか……」
 アレルヤも合点がいった。
「べる、おかしなこといった?」
「いや……ベルは何もおかしなことは言ってないよ。ただ、事情が複雑なだけで――」
「ふくざつって?」
「――物事がわかりにくいってことだよ。簡単には言うことは出来ない。――ベルベット。君がもうちょっと大人になったらなったら父様か母様が説明するからね」
「はーい」
「よしよし。君は頭がいいな」
 ティエリアは隣の小さなベルベットの頭を撫でる。ベルベットは、「かあさま、くすぐったい」と笑う。
「アレルヤ、君も朝食を食べるといい」
「あ、ああ……もらうよ……」
 アレルヤはグリーンピースの炊き込みご飯を食べる。グリーンピースはいいものを使っている。ご飯の味も悪くない。グリーンピースは好きだ。だが、アレルヤは、自分だったらこうするのに――と考えることを止めることが出来ない。
「味も香りも及第点だな。だが、君の作るご飯の方が美味しい。――アレルヤ」
「ティ、ティエリア……それはあまり大きな声で言わない方がいいんじゃないかな」
「とうさまのごはんのほうがおいしいのー」
「べ、ベルまで……」
 コック長に聴こえないといいが――と、アレルヤが案じた時だった。厨房で忙しく働いていたコック長とアレルヤの目が合った。コック長がにこっと笑うと、アレルヤの傍に来た。
「アレルヤ、ちょっといいかい?」
「は、はい。何でしょう」
「君にここの厨房を任せたいんだが。勿論、今でなくていい。時間がある時にでも――」
「だけど、僕はティエリアとベルと共にご飯を食べたいし――」
「引き受ければいい。アレルヤ」
「とうさまのごはんおいしいのー」
「ちょっと……困ったな……僕はその……料理は好きだけど――……」
「僕がベルベットの面倒を引き受けるよ」
「とうさまのごはんたべたいのー」
「参ったな……」
 そう言いながらもアレルヤは満更でもない顔をしている。愛する恋人と我が子(?)に期待されると嬉しいものだ。コック長が首肯する。
「そう。それに私もアレルヤの料理が好きだからね。私よりも美味しい料理を作るじゃないか」
「いや、もう、本当に――」
「まぁ、考えてくれ給え」
 コック長はぽん、とアレルヤの肩を叩いて、仕事場へと戻って行った。コック長に失礼だったかな、とアレルヤが思っていると――。
「アレルヤ。安心していい。コック長の言うことは全部本当だ」
「ティエリア……」
(コック長の心を読んだのかい?)
 アレルヤが脳量子波を送る。ティエリアはいたずらっぽい笑みを眼鏡の奥に浮かべ、こくんと頷いた。
(僕がコック長だったらあんなにいい顔は出来ないなと思ったからさ。流石、CBのコック長は人柄がいい)
(――言ってやりなよ)
(説明が面倒だ。言いたければ君が言え)
(ティエリア……)
 困ってしまったアレルヤが、それでも照れ臭そうに笑いながらこめかみをぽりぽりと掻く。――ベルベットはじっと、そんなアレルヤの顔を見ている。
「とうさま、うれしそう」
「そう。アレルヤはとっても嬉しいんだぞ。人の役に立つかもしれないことだからな」
「ティエリア……」
「ほら、心を開くなんて簡単なことだろう? 君は秘密主義だから――」
「ティエリアには言われたくないなぁ……」
「何だと……?」
「とうさま、かあさま、けんかしちゃだめ」
 少々雲行きが怪しくなって来た二人の為に、ベルベットが割り込んで来る。アレルヤはにこっと笑った。――ティエリアも。ティエリアは表情筋があまり発達してないのか、口の端をほんの少し上げただけだけれど。それでも、アレルヤにはティエリアが機嫌を直したのがわかる。
(ベルベット・アーデ様々だね)
 多少拝むような気持ちでベルベットの方を向くと、ベルベットも笑った。
「さてと――僕は紅茶が飲みたいな……アレルヤ、淹れてくれるかい?」
「かしこまりました。お姫様」
 アレルヤは冗談まじりにティエリアにかしづく。
「僕は姫なんかじゃない」
 ティエリアは能面みたいな顔になった。おや、またおかんむりかな、と、アレルヤはティエリアの顔を覗き込んだ。ティエリアは脳量子派で言った。
(君に子供一人生んでやることも出来ない。僕は姫なんかじゃない。姫なら、子供の一人でも生んで、君とその子を育ててやることも出来るだろう?)
 ああ、そうか――。
 アレルヤはティエリアの悲哀を見た気がした。ベルベットは、平行世界から来た娘だ。いつか――例えば、向こうの『イノベイター狩り』とかが終わってしまえば、帰って行ってしまうかもしれない。
 僕らは竹取物語の翁と嫗だ――アレルヤは思う。ベルベットはいずれ月に帰ってしまうかもしれない。
 ティエリアも、アレルヤの心がわかったらしい。ふっ、と息を吐くと、
「不味い茶を淹れたら承知しないからな」
 と、憎まれ口を叩く。
「はいはい。精々お気に召すような紅茶を淹れてあげるよ。――部屋でね」
「べるのぶんも?」
「ああ、ベル。君の分も勿論淹れてあげるよ」
「ダージリンだぞ。アッサムティーでもいいけど」
「最高級のダージリンを手に入れたよ。君もきっと気に入ると思うよ」
 自分達の食事を終えたアレルヤとティエリアは、席を立ち、いちゃいちゃしながら自分達の部屋へと向かう。ベルベットもスカートの裾をひらひらさせながら二人の後を追う。
「なんかいいよなぁ……あいつら」
 ニールがそう呟いていたことを、アレルヤは知らない。

「君は地球産のダージリンがお気に入りだったね。いっぱい買い溜めしておいたから」
「ああ」
「おうさまのこうちゃなの」
「ベルベット。それを言うなら、皇帝の紅茶だ」
 ティエリアが訂正する。
「こうていって、わかんないの」
「わからないなら、それでいい。――ここにはそんなものいなくて良かったな」
「上流階級の人間という意味だったら、王留美とか、マリナ・イスマイールとかがいるけれど――」
 アレルヤが口を挟んだ。
「そうじゃない。自分の地位を笠に着て、威張ってばかりで何もしない人間がいなくて良かったと言いたかったんだ」
「ああ……」
 アレルヤも納得した。王留美も、マリナ・イスマイールもこの世界を良くする為に戦っている。決して、自分達だけ安閑としている訳ではない。王留美など、夫の為に先陣を切って戦闘に参加している。
(ごめんね、王留美。マリナ……)
 戦っている女達の為に、アレルヤは心の中で謝罪した。二人とも、女傑だもんなぁ……アレルヤは短く付け足す。ベルベットもいつかそうなるのだろうか。アレルヤはお茶の用意をしながら苦笑した。
 ――この宇宙では、どれぐらいの星にどんな命が宿っているのだろう。もしかしたら、もう死んでしまった星や、まだ生まれていない星もあるのだろうか――。

2019.02.22

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