ニールの明日

第二百六十八話

 人を酔わせる香りの紅茶を口に含みながら、アレルヤは言った。
「幸せだな……」
「そうだな……」
 多少天邪鬼の気もあるティエリアも同意した。ベルベットが大きな声で、「しあわせなのー!」と言った。
「僕達が幸せなのは、ベルがいるせいかもしれないな」
「べるがいるととうさましあわせ?」
「勿論だよ」
 アレルヤはもう、デレデレの父親の顔である。今の自分の顔はティエリアにとってはきっと見られたものじゃないかな、と、思ってティエリアを見たが愛する恋人はほんの少しだけ口角を上げているだけだった。
「まえにもとうさまにいってもらったのー」
「そうかい。あちらの父様と僕はきっと気が合うね」
(当たり前だろう。同一人物なんだから)
 ティエリアの脳量子波をアレルヤがキャッチした。
(そうかな。僕はあの『僕』とは違う人物だと思うけど――)
(同一人物でもあり、違う人物でもある――)
(うーん、ティエリアの言うことは難しくてよくわからないや)
(君の頭がベルベット並だということだ)
(ベル並と言われてもなぁ……確かにベルは頭がいいけれど)
 ――アレルヤ、早速親馬鹿炸裂。
(そういう意味で言ったのではないのだがな……)
 ティエリアは些か呆れ気味である。全員がティーカップを空にした後、アレルヤが言った。
「ベル、ペンダントで、もう一組の『アレルヤ』と『ティエリア』に会わせてくれないかい?」
「わかったのー」
「ほら、ベルはちゃんとわかってる。頭がいいだろう? ティエに似て。――ベル、君の頭の良さは母様似だよ」
「アレルヤ……」
 ティエリアは声音に満更でもないような響きを含ませた。だが――。
(君は少々ベルベットに入れ込み過ぎている。確かに、僕達にとってはベルベットは天使かもしれない。――僕もベルベットは好きだ。だけど……ベルベットはいつか帰らなければならない存在なんだ)
(わかってるよ、今日、僕もそのことを考えていた)
(――君は利発だ。ベルベットは父親似なのかもしれない)
(いーや。ティエリア似だね。それに、君は僕のことを言ったけれど、君だってベルベットに入れ込んでいるじゃないか)
(……曲がりなりにも僕達の娘だからな。もし僕に子供が出来たら、僕はその子にベルベットと名付けると思うぞ)
(ほら、やっぱり入れ込んでいるじゃないか)
(……ふん)
 ティエリアの顔が憂いを帯びる。言い過ぎたかな――と、アレルヤは反省した。けれど、ベルベットとはいずれ別れなければならない運命だ。仕方ないのかもしれない。
 実の親子だっていつか死に別れる。イノベイターは寿命が人間より長いらしいが、それでも……。
「可愛いねぇ……」
 何やらごそごそやっているベルベットの後ろ姿を見て、アレルヤは溜息を吐いた。
「何してるんだ? ベルベット」
 不審に思ったらしく、ティエリアが訊いた。振り返ったベルベットがにっこり笑った。
「おそうじなのー」
「ほう。偉いじゃないか」
「きたなくしてるとかあさまにおこられるの」
「あっちの母様は躾に厳しいらしいな。――まぁ、僕もそのように育てるだろうがな。ベルベット、もし君が本当の娘だったなら――」
「かあさまは、ほんとうのかあさまじゃないの?」
 そう言って、首を傾げる。ティエリアは、何を言おうか迷っているようだが、ベルベットはティエリアの返答を待つ間にまた整理整頓を始めた。気が移るのが早いな――と、アレルヤは苦笑した。
「……言いそびれたな」
 ティエリアが呟いた。
「いいんだよ。それで。もし、機会があったら、僕達のこともベルには明らかになるよ。だって、ベルは頭がいいから――君に似て」
「いいや。アレルヤ・ハプティズム。君に似たんだろう――」
 二人とも親馬鹿だよね――アレルヤは笑いを堪えつつも幸せを噛み締めていた。それでは、これがそうなのか。これが、幸せというものなのだろうか。アレルヤは幼い頃から超兵として駆り出されていたのだから、普通の家族の幸せというものを知らなかったのだ。
 超兵となったおかげで、マリー・パーファシーとも会えたのだが……。
 アレルヤはニール・ディランディやライル・ディランディが羨ましかった。テロ組織に家族を殺されるまで、普通の一家の幸せを味わってきたニールとライル。
 ああ、そうか――だから、ニールはあんなに真っすぐで、皆から慕われているのだ。――刹那からも。
 ライルのことについてはよくわからないこともある。ニールとは、彼が『ロックオン・ストラトス』を名乗っていた頃からの友人同士だったから。ライルは二代目ロックオンである。
「かあさま、きれいになったの!」
「それは良かったな。偉いぞ。ベルベット」
「えへへ。じゃーん!」
 ベルベットは嬉しそうにペンダントを取り出す。――立体映像が現れる。話し合いはすぐに終わるだろう……だろうと思う。
『やぁ、アレルヤにティエリア』
 映像のアレルヤが口を開く。ティエリアはアレルヤの傍に寄り添って立っている。――ティエリアが言う。
「……妙な気分だな。自分達の姿の存在と一緒に話すのは……何度経験しても慣れないものだ」
「まぁまぁ……そっちの『僕』――調子はどうだ?」
『僕達はいつも通りだけど――ベルはそっちにしばらく預かってもらっていた方がいいかもしれない』
「――え?」
 アレルヤは自分の声の中に嬉しそうな感じが混じってないかと不安になった。
「イノベイター狩りが激しくなっているのかい?」
 アレルヤの言葉に、映像のティエリアが神妙な顔で頷く。
「それは……大変だな。僕らも僕らで大変だけれど……」
「ベルベットが世話になっている。ありがとう。これからも宜しく頼む」
 ティエリアが硬質の声で言って、頭を下げた。
(ティエリアが――頭を下げた……?!)
 アレルヤにとっては衝撃であった。嬉しくない訳ではないが。ベルベットとこれからも一緒にいられるのも嬉しくない訳ではないが。
(アレルヤ。――あっちの『僕』の気持ちは僕にはわかるぞ。……僕でも頭を下げていたことだろう)
(いや、でも、ティエリアが頭を下げるなんて――!)
 アレルヤの頭はパニックになった。ティエリアはいつも、昂然と頭を擡げ、前だけを見据えていた。それがティエリア・アーデと言う男であろうと、アレルヤは信じいていた。
 だから今、母親となったティエリアが子供のことで頭を下げるなど、想像もつかなかったことに、些か当惑していたのだった。ベルベットがティエリアを変えたのだろうか。
 ――ベルベットには不思議な力がある。
 ベルベットはいろんな人の心を変えて来た。アレルヤやティエリアも例外ではない。アレルヤなど、もう嫌という程ベルベットに夢中であることを自覚している。
 でも、こういった両親から生まれて来たのだから、人を変える力を持って育ったとしても不思議ではない。――ベルベットは愛されて生まれて来たのだ。
 聖なる鐘の音が聴こえてくるような気がした。
 ティエリアは『アレルヤ』と『ティエリア』と共に何事か話している。イノベイター狩りについてだろう。アレルヤにはよくわからない単語も出てくる。こういう時こそ脳量子波で話せばいいのに――と思う。
「たいくつなのー」
 ベルベットも不満顔だ。アレルヤはベルベットと遊ぶことに決めた。
「ベル、僕が遊んであげるよ。ほら、飛行機ー」
 アレルヤが小さなベルベットの体を持ち上げる。ベルが「ぶーん」と言って笑う。
「アレルヤ! 少し静かにしろ!」
 アレルヤは自分のパートナーであるティエリアに注意される。
「はい……」
 アレルヤがしょもんとなった。それに、騒いだのはベルベットである。ティエリアはベルベットのことは不問に付すようだった。子供は遊ぶのが仕事のようなものだから仕方がない。――少し理不尽な気もするが。
「じゃあベル――折り紙でもおろうか? それともあやとりがいい?」
「あやとりがいいー」
「はい。では見てて――東京タワー」
「きゃあっ!」
「アレルヤ! そんな時代遅れの電波塔など見せてもベルベットには面白くないだろう!」
 ティエリアが険のある声を飛ばす。――ティエリアも本当はベルベットと遊びたいのだ。
「仕方ないね。ベル。母様のお話が終わったらめいっぱい遊んでもらおうね」
「めいっぱいなのー」
 ベルがきゃあっと声を上げた。
「僕達は部屋を出た方がいいだろうか……」
「ああ。アレルヤ――本当は君にもいて欲しいところなんだけどな……必要な時は脳量子波で話すから、君、外でベルベットの面倒を見ていてくれ。――本当は僕も仲間に入りたかったんだが」
 ベルベットと遊びたい。それは確かにティエリアの本音であっただろう。――リヒターのこともそこそこ相手をするし、ティエリアは案外子供が好きなのかもしれない。――ベルベットは別格として。

2019.03.07

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