ニールの明日

第二百六十九話

「とうさま、どこいくのー?」
 ベルベットの質問にアレルヤはこう答えた。
「ん? クリスティナ・シエラのところだけど?」
「りひちゃまのところだー」
「そうだね」
 アレルヤとベルベットが実に心温まる会話をしていると――。
「よぉ」
 ニールと刹那に出会った。
「おはようございますなの。にーるおにいちゃまにせつなおにいちゃま」
「――おはよう」
 刹那の声のトーンはいつもと同じだが、よく見ると優しい目をしている。刹那は随分変わった。ニールのおかげなのだろうか。
「おはよう。ニール、刹那」
「ティエリアはどうした」と、刹那。
「――会談中」
「ふぅん。……で、追い出されて来た訳か」
 刹那は辛辣だ。
「追い出されたなんてそんな……」
「そうとしか考えられない。俺達はスメラギ・李・ノリエガのところへ行く。――朝食にも来ないから多分二日酔いだろう」
「……スメラギさんのお酒好きにも困ったものだね」
「こまったものなのー」
「で、俺達が様子を見に行くって訳だ」
「あまり飲み過ぎないように気を付けてやってくれないか」
「――わかった」
 ニールは複雑そうな顔をした。スメラギの気持ちもわかるのだろう。彼ぐらいの大人になれば。
「じゃあね」
「またねー」
 ベルベットは刹那とニールにばいばいの手を振った。

「ミス・スメラギ――」
 女性の部屋だ。一応来たことを知らせる。――スメラギが誰何する。ニールと刹那だとわかると、「入って」と中から声が聴こえた。――部屋が酒臭い。ニールは眉を顰めた。
「おーい。ミス・スメラギ。また二日酔いか?」
「黙ってて……ニール……お願い……頭が痛いの……」
「そうか……」
「お水くれる?」
「ミネラルウォーターでいいかい?」
 スメラギが頷く。備え付けの冷蔵庫の中から出して来たミネラルウォーターを、ニールはコップに注ぐ。そして、「ほい」とスメラギに手渡す。
「――ありがとう」
 スメラギはコップの水を一気に飲み干した。まさか、酒もこんなペースで飲んでたんじゃなかろうか。ニールは心配になった。しかし、スメラギがこんなに酔うのも久しぶりだ。彼女は下着姿だった。
「見つけたのが俺達で良かったな。――尤も、アンタは美女だけど、ここには下着姿の女性を襲うヤツはいない。そうだな。刹那」
「ああ――」
 刹那が頷いた。そして訊いた。
「何があった。スメラギ」
「何も……私に構わないで」
「恋人のことを思い出していたのか?」
「…………」
 当たりだったのだろう。スメラギは黙りこくってしまった。
「ミス・スメラギ……この船にはアンタが必要だ。いつまでも二日酔いに身を任せるのは止せ」
 刹那の言うことも尤もであったが、ニールは少し、スメラギに同情していた。そして、あの男にも――。
「エミリオのことが忘れられないのか? ミス・スメラギ」
「悪い?」
 スメラギがニールを睨む。――いつもより目付きが悪い。
「いんやぁ、悪かないけど……アンタがいつまでもそうであると、他の人達にも影響出るしさ――アンタはトレミーのムードメーカーだし」
「……私には酒に酔う資格もないの?」
「酒に酔うのは勝手だ。だが、酒に逃げるのは良くない」
 刹那が言った。
「貴方も正論を言うようになったのね。――刹那」
「――おかげ様で」
 刹那はもう、一人前の大人なのだ。刹那がまだ、目ばかり大きい子供の頃から知っているニールとしては、その成長が嬉しくも、少し寂しい。
(――俺は、ミス・スメラギより恵まれているのかもしれないな)
 ライルという双子の弟がいるし、刹那・F・セイエイという恋人までいる。家族は刹那の所属していたテロ組織に殺されてしまったが――。
 しかし、スメラギより恵まれていると言ったって、何の慰めにもならなかった。ニールだって心が痛い。そして――。
 ニールは思い出していたのだ。ビリー・カタギリという男のことを。
 スメラギみたいないい女が傍にいるのに、一度も手を出さなかった男。きっと、スメラギがエミリオのことを忘れるのを待っていたであろう男。
 ――話をするには、今がチャンスかもしれない。
「なぁ、ミス・スメラギ。……ビリー・カタギリのことはどう思う?」
「あの人は……友達よ。それ以上には思えないわ」
「おい、そりゃ、ビリーに対して酷というものだろう――」
「私は……エミリオと一緒に死んだのよ……」
「スメラギ・李・ノリエガ。お前らしくもない。エミリオは死んだ。それでもお前は生きている」
 刹那がまた正論を言う。ニールは困ったように刹那を見た。
「ビリーだって悪い男じゃないぜ」
「――お願い。ニール。ビリーのことはもう……」
「ミス・スメラギ。ビリーがアンタに好意を抱いているのは知ってるな」
「知ってるわ。でも、どうすればいいのよ。私は、ビリーに対してどんな態度を取ったらいいのよ……」
 スメラギはジンの匂いのする涙を流した。
「ニール、ここはもう――」
 刹那がニールの袖を引っ張った。
「そうだな。――早くいつものアンタに戻れよ。ミス・スメラギ……」

 アロウズにまだいるはずのビリー・カタギリ。アロウズとCBは、今は小康状態を保っている。それなのに、ビリーはスメラギに連絡ひとつ寄越さない。ニールには不思議だった。
「なぁ、刹那」
「――何だ?」
「恋したヤツが他の男を忘れられない時、お前ならどうする? 俺だったら、そのままにはしておかないね。――アプローチぐらいはしてみるさ」
「皆が皆、お前のようなヤツばかりではない」
 そう言った後、刹那は独り言ちる。
「――俺は、幸せな方かもしれないな」
「俺だってさ。お前がいて良かったぜ。刹那」
「スメラギのことだが――」
 刹那は続けた。
「思い出は時と共に薄れるもんだ。――本当はビリーが好きなんじゃないだろうか……」
「……心を読んだのか?」
「女性の心を読むのは好きではない。プライバシーの侵害でもあるしな。……だから、さっきの台詞は、俺の予想だ」
「そうだな。ビリーはいい男だ」
「お前はビリーと過ごしたことがあったんだっけな」
「――前にな」
 ニールは、自分はさぞかし苦い笑いを浮かべていることだろうと思った。ビリーはユーモアのわかる男だ。優しい男だ。――スメラギのことだって、きっと好きだ。
「俺達がキューピッドになってやろうかな」
「――よせ。話がこじれる」
「それもそうだな。これは結局、本人同士の問題だからな。――イノベイターの力でだって、どうすることも出来ない」
 それでも――ニールはスメラギとビリーの二人が上手くいくことを望まずにはいられなかった。

2019.03.17

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