ニールの明日

第二百六十一話

『王紅龍様。アザディスタンのマリナ・イスマイールから通信です』
 女性の声が言った。実は機械音である。
「マリナから?!」
 ――紅龍はすぐさまモニターに飛びついた。紅龍とマリナは、今までに何度も通信で話して、今では腹を割って話す仲になっている――と、紅龍は考えているのだが、マリナがどう思っているのか、実際には知らない。
「マリナ!」
『こんにちは』
 マリナ姫は、はんなりと笑った。決して華やかと言う訳ではないが、玲瓏な美女である。この女性には白百合の花が似合うだろうと紅龍は考える。百合の花は結構匂いがきついのであるが。だから、百合以外の花を考えないといけないかもしれない。
「マリナ……ニュースは読んだかい?」
『ええ。テレビでも観ましたわ。王留美様も思い切ったことをしたと話題になってますわよ。同じ女性として、誇りに思います』
「いやぁ、あの娘は、昔から何をするかわからない子で――誇りに思うどころか、俺は恥に思ってるんですけどね――」
『あら、二人は愛に生きたのでしょう?』
「……それはマスコミの勝手な捏造だ」
『それでも、私には羨ましく思います。私には真似の出来ないことですから――アザディスタン王国も全面的にバックアップしたいところですわ』
 マリナ・イスマイール。昔からずっと、アザディスタン王国の第一皇女として、自由のきかない立場に置かれてきた。自由がないという点では王留美と同じだが、留美にはその立場をかえって利用する強かさがあった。マリナにはそれがない。
 ――全面的にバックアップしたい。それは、言い換えれば、それは出来ないということだ。しかし、マリナの本心でもあることだろう。
「妹をそんな風に認めていただいて、光栄です」
『あら』
 マリナはくすくすと笑った。
『留美さんとは兄妹の縁を切ったのではありませんこと? 留美さんから話は聞いておりましてよ』
「――全く。仕方のない妹だ」
『ふふ、いいお兄さんしてますわね』
「そうでもない。あれの行動を随分邪魔してきたんじゃないかと、俺は自分でそう思う。――側近という立場を使って」
『それだけ留美さんが可愛かったということでしょう? 留美さんはお姿もとてもお美しいですし……とても、強い、女性ですわ。グレン様も随分お目が高いと言わなければなりませんわね』
「馬鹿です。留美は馬鹿です。――ついでに言うとグレンも馬鹿です」
『でも、他の人に留美さんを馬鹿にされたら、いの一番に怒るのは貴方じゃありませんこと?』
「ぐ……」
 紅龍は言葉に詰まった。その通りだからである。――我ながら、シスター・コンプレックスなのではないかと自分を疑っている。妹を純粋に心配しているのも事実だが。
 それに――紅龍だって王留美に恋をしていた。過去形なのは、彼には他に大切な女性を見つけたからである。
 その女性の名は――マリナ・イスマイールと言う。
「確かに私の今までの恋人は妹でした。けれど、あの娘は自分で愛する伴侶を見つけました。それに――私には、妹以上に大切な存在を見つけてしまったのです」
『まぁ……』
 マリナは寂しそうに眉根を寄せた。そういう表情も憂いを帯びて美しい。ああ、私の愛する名もなき花! ひっそりと、そして力強く咲く清楚な匂いの花。
「マリナ・イスマイール。……貴方が好きです」
『え?』
「――前にも言いませんでしたっけ?」
『ええ。そういえば、聞いた気がしますわ』
 マリナは明るい声で言った。
 二人はしばらくもモニター越しに互いを見合っていた。そして、少しこの時間が愛おしくなった時、くすくす笑いがどちらからともなくもれる。こんなことが以前にもあった気がする。紅龍はこの上もなく幸せだった。
『紅龍――私も貴方が好きです』
「ありがとう」
『別段おためごかしではなくて――貴方とは、自然に話すことが出来ますの。刹那・F・セイエイに対するように』
「え……?」
 意外な名前が出て来て、紅龍は口を噤んだ。
 刹那を知らない訳ではない。刹那はCBのガンダムマイスターの一人だ。王留美とも親しく話す仲で、彼のことを知らなかったら、留美の兄として少々問題であろう。慣れ合っている訳ではないが、もう何度も話している。留美の側近として働いていた時代から、刹那のことは気に留めていた。
 あの男は、いずれ宇宙を総べる男だ――。
 何故か、そう感じた。彼は器が大き過ぎる。ニール・ディランディの死を信じて、しばらくなりを潜めていたが、ニールの復活が明らかになった現在、ガンダムマイスターとして精を出して働いてくれている。
 けれど、彼には何の野心もないようであった。ニールと過ごすこと以外は。
 刹那はニールの恋人である。ネーナが面白半分にそう報告してくれた時には俄かには信じがたかったが、よく見てみると、なるほど、ニールの刹那への接触は度を越している。
 ニールの双子の弟のライル・ディランディは真っ当に女性と恋を育んでいるらしい。――今の自分達のように。
(――って、何を考えているんだ、俺は!)
 最近、思い上がり過ぎだぞ。王紅龍! CBの当主になったからとて、アザディスタンの皇女と対等な仲間になれたように錯覚するなどと。それに――人をまとめあげる実力なら、多分王留美の方が上だ。
 私は――普通の人間でしか有り得ないのだ。ガンダムマイスター達のような、イノベイターとかいう特別な存在ではない。
 マリナは、刹那のことが好きなのではないのだろうか――。
「マリナ、貴方は――」
『はい?』
 甘い声で、マリナは返事をした。
「――いえ、何でもありません」
 出過ぎた真似だぞ、紅龍……紅龍はそう思った。いくらあの王留美の兄だからと言って。才能がないと大人達から言われていた。幼い頃から。
 そんな己が、マリナに釣り合うなどと考えることなど――罪だ。
 ああ、けれど、マリナの美しい顔を見ていると、罪でもいい。手に入れたくなる。
 私は、普通の男だ。
 モニター越しで良かったと紅龍は思った。ここでなら、何もモーションをかけることが出来ない。それがいい。――それでいい。マリナに不埒なことをして傷つけるよりは。
 妹とだったら平気なことでも、マリナとすることを妄想すると、途端に顔に血が集まる。
『紅龍。貴方、熱があるんじゃなくて?』
「――え?」
『顔、赤いですわ』
「は、はい――」
 恋という熱に浮かされています。そう言えたら、どんなにすっきりするだろう。けれど、今度は反対にマリナが悩むかもしれない。何の取り柄もない男をどうやって振ろうかと――そして、彼女自身の好きなのは刹那・F・セイエイであることを、どうやって紅龍に伝えようかと――。
「刹那は……恋してます」
 言ってから、これは卑怯な手だったかと思った。けれど、王紅龍は卑怯な手しか使う手段を知らない。
『……知ってます。誤解しているなら言いますけれど、私は刹那に恋をしている訳ではないのですよ』
「え、それでは――」
『……貴方が好きだって、言ったではありませんか。伊達や酔狂で言った訳じゃありませんのよ。……私だって貴方が好きだって言ったではありませんか。信じないおつもり?』
 マリナは、半分駄々をこねているようだった。二度も同じことを言っている。何か、子供っぽいなと紅龍は思った。けれど、それがとてつもなく可愛らしくて――。
「ああ、マリナ。今すぐ会いたいです。けれど――ここからアザディスタンは遠過ぎます」
『貴方もお忙しいでしょう』
「ええ――」
 紅龍は困惑しながら話した。王留美の出立が急だった為、CBには沢山の課題が残っている。可及的速やかに手をつけなければならない問題もある。こんなところでマリナとのほほんと話している場合ではないのだ。それは、CBにもスメラギ・李・ノリエガというブレーン的女性もいることはいるけれど――。
「すみません。マリナ――もうタイムリミットです」
『ええ……』
 マリナは、気のせいかほっとしたようだった。
『でも、少しは休まれたら如何ですか? だって、貴方はさっきまで本当に具合悪そうにして……』
「――もう治りました」
『そうですか。……仕事の大切さや大変さは私も皇女のはしくれ、理解はしているつもりです。でも、無理はしないで。それから――私がさっき言ったことを忘れないで。私も、こんな気持ちは初めてなのです』
 紅龍は目を瞠った。それでは――我が妹と同じではないか。
 留美も、グレンに会うまで恋などという感情を知らなかった。それが……今は、グレンと二人でCBを捨てて駆け落ちしたのだから――。
 勿論、あの二人を真似する気は、紅龍にはなかったが。それでなくても危なっかしい二人なのに。
「俺など相手にしたら、シーリンがうるさいでしょう」
『ええ……ですから、こっそりお話しましょう』
 マリナにも人並みに茶目っ気があるのだな、と、紅龍は思った。――紅龍はその手に乗ることにした。
「ええ――こっそりと、ですね」
 そして、紅龍は人差し指を口に当てながら、『しぃーっ』のサインをした。
『ふふ……』
 ついに、堪えきれなくなったのか、マリナが笑った。自分達はただの男と女。後は、周りを説得するだけ……。けれど、自分などに好意を持って、マリナは幸せになれるのだろうか。
 紅龍はグレンの果断さや、王留美の信念を貫き通す強さを羨ましく思った。
 けれど、長所は短所にもなり得る。
 グレンの果断さは時に勇み足となり、王留美の信念は周りの判断を狂わせる。
 だからこそ、自分が留美の側近に選ばれたのだと、紅龍は今は胸を張ることが出来そうだった。父も留美も、紅龍が留美の兄であることを公表することを好まなかった。
 自分は今まで留美の陰に隠れていた。留美が全てを決めてくれた。しかも、性格はともかく、顔立ちは極上で……と来れば、惹かれない方が不思議であろう。留美の我儘に振り回されたことを不満に思ったことは一回もなかった。
 全てが済んだら――留美への想いを完全に断ち切ったら、改めてきちんと告白しようと、紅龍は考えた。その後、彼女に求婚しようと。

2018.12.17

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