ニールの明日

第二百六十話

「それでは、行って来ますわね。――刹那にニール、留守は頼みましたわよ」
「はいはーい」
 ニールが眠い目を擦りながら手をひらひらさせる。――昨日何があったのか一目瞭然だ。刹那はいつも通りに見えるが。
「ニール、もっと元気を出せ。ほら。……王留美、グレンにダシル。――死ぬなよ」
「うわぁ、いつもながら簡潔ですね。刹那様」
 ――ダシルがそう言ってくすくす笑う。「ダシル、こいつはこういうヤツだ」と、グレンが言う。グレンに王留美、そして、ダシルがいなくなるのはニールにとっても少し寂しい。
 彼らは今、経済特区・日本の空港にいる。ここからアザディスタンの空港に行って、飛行機から降りる。旧クルジス領には空港はもう既にないのだから。
「楽しみですわね。グレン」
 王留美が言った。彼女には、砂漠の光景や空気、匂いと言ったものまでがイメージ出来ているらしい。グレンが申し訳なさそうに王留美をちらりと見る。だが、それは一瞬のことで、またいつもの無表情なグレンの顔に戻った。
 ――ニールには、そのグレンの哀しみがわかった気がした。そして、彼の密かな誓いも。
「あのですね、王留美様……物見遊山で行くんではないんですよ!」
 ダシルが厳しく窘める。だが、王留美が楽しみ、と言った気持ちも、ニールにはわからんでもない。裏社会に足を踏み入れた遠い昔、あんなに嫌だった戦闘も、刹那と一緒ならそれもまた遊戯の一環と化す。不謹慎な――と後ろ指をさされても、こればかりはどうしようもない。
「おい、さっきから俺を忘れてんじゃねぇよ」
 そう言ったのは、ニールの双子の弟――ライル・ディランディ。
「悪い。ライル……俺もすっかり忘れてた」
 グレンが答える。「ひっでーなー、もう。俺とお前の仲じゃん」と、ライルが心安立てにグレンの肩をどつく。何する――そう言いたげにグレンはライルを睨む。因みに言うと、見送りに来た人数はこれだけではない。
 テレビの取材局も来ている。
 二十一世紀で既に廃れたテレビ文化だが、このところまた盛り返して来ている。カメラのフラッシュが焚かれるのに、グレンは少し辟易しているように見えたが、王留美は慣れているのか、微動だにしない。
「ううう……グレン……また来いよ……」
「俺達、ずっと待ってるからな。――CBで」
 バルドゥルは泣き出し、コールリッジが宥め役をしている。
(あいつら……いつの間にあんなに王留美とグレンを気に入ったんだな――)
 バルドゥルはイノベイターを狩る狩人で、その為にティエリアと敵対したが、そんな彼を説得したのはコールリッジだった。どこか、ニールの知らないところでバルドゥル達はグレン・王留美夫妻に心酔したと見える。
 時間が、過ぎていく――どこででも、どんな時でも。グレン達が行くクルジス領でも時間は過ぎて行くだろう。
「済みません、王留美。遅くなって――」
 アレルヤが袖を治しながら言う。ティエリアも一緒だ。
「……全く……今日に限って寝過ごすなんて。ベルベットはしっかり起きたというのに――」
 ティエリアが独り言ちる。ティエリアに似た、菫色の髪のおかっぱの女の子が続けた。
「だって、きょうはりゅーみんおねえちゃまのおでかけのひでしょ?」
「む……間違ってはいないが……」
「お。教官殿のお出ましだ。いつもは時間厳守をモットーとしてんのに……こりゃ、アレルヤと一戦やったかな」
「ライル……」
 ティエリアは眉を吊り上げる。怖い顔だが、それが一層美しさを増す。
「そんな顔しないでくれ。つい手を出したくなる」
「――アニューに言うぞ」
「冗談だってば」
「そんなことをしてみろ、ライル。――俺もアニューに言うぞ」
 刹那にいつも助平扱いされているニールだが、貞操とか、浮気とか、そういうことにはうるさい男である。ライルは肩を竦めた。
「というか、その前に僕が殺してますけれどね。――ハレルヤと一緒に」
 笑顔のアレルヤが一番怖い。
「おい、ニール……僕はアレルヤ・ハプティズムは今後一切敵に回さないと神……はいないから、自分自身に誓ったぞ」
「……気持ちはわかる。俺もだ」
(――俺もだ)
 刹那まで脳量子波を飛ばしている。このマイスターズで最強なのは実はアレルヤかもしれない。ニールは一番年長だから、リーダー役を買って出ていたとしても――。
「べるもちかうのー」
「はいはい、ベルはいい子だから殺さないよー」
「わあい」
(ニール……ニール・ディランディ――)
 ティエリアの声が聴こえる。(なんだ?)と、ニールも答えを返す。
(殺すとか殺さないとか、僕達はベルベットの前で何と物騒な話題をしているんだろうな――)
(お前が言うこっちゃないと思うけどな――)
(否定はしない。だけど、あのアレルヤがあんな物騒な男だとはな――ベルベットにとち狂ってもいるんだろうな。全く……確かにベルベットは素直で可愛いが――僕にもアレルヤにも性格が似ていない。誰に似たのだろう……)
 平行世界の両親に似たのではないか? ニールは思ったが、ティエリアに対してはこう付け加えた。
(お前らだって素直で可愛いよ)
 と、ニールが心の中で言ってやると、ティエリアが照れ臭そうに眼鏡の弦をかちゃかちゃ鳴らす。
 でも、ティエリアより、アレルヤの方がくせものだよな――と、ニールはこっそり思う。ティエリアと目が合うと、彼はその通りだとばかりに頷く。
(大人しい男ほど、怒ると怖いものだな)
 ティエリアの思考に、今度はニールが頷く番だった。
「何してんの?」
 アレルヤがティエリアとニールの間に割って入る。「わぁっ!」と、ティエリアが驚いて跳ねる。こいつ、随分人間臭くなったな。アレルヤの影響か――とニールは考える。そして、こう嘯いた。
「脳量子波で世間話」
「なら、僕も混ぜてくれるかい?」
「べるもまざるの~」
「こら、駄目だぞ、ベルベット。アレルヤも駄目だ」
 ティエリアはアレルヤの頭を軽く叩く。
「わかってるよ。ニール・ディランディがティエリアに手を出すはずがないのはね。ライルの方はどうだか知らないけれどね――」
 そう言って、目を光らせながらライルを見る。――後にライルは、「あの時はアレルヤに殺されるかと思ったね。何だか知らないけど、おっかないヤツだよ――」と関係者に語る。
「何してる。留美がもう行ってしまうぞ」
 刹那に裾をひっぱられ、ニールもこう言った。
「そうでした。こいつらとじゃれてる方が面白くて……」
「どうせそんなことだろうと思ってたから黙ってたが……」
「おい、教官殿。刹那も肩をぷるぷる震わせてたぜ」
 ライルが刹那を指さす。まさかライルが告げ口するとは思わなかったのだろう。刹那が小さな口を微かにへの字に曲げる。
「――お前らと漫才する気は俺にはない」
「刹那も漫才観るんだね」
 アレルヤが口を挟む。
「――ニールに薦められて、観た。落語も面白いぞ」
「何だか、刹那のイメージが……」
「今更だろう、アレルヤ」
「どういう意味だ、ティエリア」
 これこれ、出た出た、刹那の恐怖の無表情。ニールは心の中で面白がっていた。こういう時の刹那は怒っているのだか、それともふりをしているだけなのかわからない。もし間違えた答えをしてしまえば地雷を踏むことにもなりかねない。
(これはちょっと興味深いぞ――)
 当人でなければ、これ程面白い見ものもまたないのであった。いつもはニールがその当人になることの方が多いが。だから、そう思う余裕も滅多にないのだが。
(ティエリアはどう出るか――)
 ニールが勝手に面白がっていると――。
「あ、王留美達がさよならしてるよ。もうお別れの時間だ」
 ――と、アレルヤが叫ぶ。
(ちっ、つまんねぇの――)
 そう思いながら、もしかしたら、アレルヤはティエリアに助け舟を出したのではないかと勘繰った。
(そんなんじゃないよ。ニール……ほら、この王留美は今までの中で一番輝いているだろう? あんなに自慢だった髪をばっさり切ったって言うのに――まぁ、ティエリアには敵わないけれどね)
 それもそうだな――とニールは納得する。アレルヤのさり気ない惚気を除けば。ティエリアも美しいが、今の王留美には天使の羽根が生えていると言っても疑う者はいないだろう。
 王留美は、ゲリラ兵達の女神にもなれるかもしれない。
 それが、ニールの褒め過ぎでないことは、「りゅーみんおねえちゃま、きれい……」と、きらきらした目で眺めているベルベットを見てもわかる。
「ほんとよねぇ。お嬢ちゃん。おばちゃんが肩車してあげるから、王留美おねえちゃまにバイバイしてあげて」
「はあい」
(今のはケイト・ウィルビーだよな……『マスコミの虎』と仇名されてる。王留美に匹敵する程の女梟雄だと噂されてるけど――ベルと一緒のシーンを見てると、とてもそうは見えないな。普通のおばさんだぜ)
 ニールがそう考えているとは知らないで、ケイトがベルを肩車して笑顔で笑っている。今、密かに写真を撮った記者は、あれを三面記事に使うつもりだろうか……。
(ベルベットちゃん、バイバイ)
 ――ニールには王留美の声でそう聞こえたような気がした。王留美がイノベイターだったとは初耳だ。ニールは驚いて記者を押しのけ、王留美の様子を探った。
 王留美は素知らぬ顔で過剰にならないくらいに、グレンに寄り添っていた。

2018.12.07

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