ニールの明日

第二百二十三話

「行ってくるぜ。おやっさん」
 ニールはイアンに手を振った。
「――行って来る」
 刹那は仏頂面で言った。何も怒っている訳ではない。刹那はこれが普通なのだ。
「ニール、刹那」
「――何だい? おやっさん」
「――死ぬなよ」
「わかってるよ」
 刹那とニールは手を振ってダブルオーライザーに乗り込んだ。ニールにはこの感触が懐かしく思われた。このコクピットの匂いまで――。ガンダムデュナメスやケルディムガンダムもいいけれど。それに、ここにはハロがいない。
(――まぁ、いいさ。ハロはライルに譲ったんだ)
 ハロ――幸せになれよ。宇宙に想いを馳せながら、ニールはハロがライルに大事にしてもらうことを願う。
(ハロのことを考えていたのか? ロックオン――いや、ニール・ディランディ)
 刹那の思念が飛んでくる。――ニールは答えた。
(まぁね――長い間俺の相棒だったんだし――)
(ハロなら大丈夫だ)
(――だな)
 ライルは優しい。きっとハロを大切に扱ってくれるだろう。アニューのように。――アニューとハロを同格に考えるのもおかしな話だとは思うけれど。
「それよりも刹那――もう、宇宙は死のにおいがする――なんて暗い考えは捨てたよな」
 ニールはモニターに向かって言う。宇宙には死のにおいがする――昔、刹那が言っていた台詞だ。
『もう、言わない。この宇宙には大切な人や想いが沢山ある。――ニール、お前もだ』
「……ありがとうよ」
 ニールは嬉し気に口元を歪ませた。
「お前、明るくなったな。刹那」
『そうかな。――まぁ、そうだとしたら、お前達のおかげだ』
 刹那がモニター越しに笑った。花の開くような刹那の笑み。ニールも思わず目を引かれずにはいられない。ニールは刹那にもっともっと笑って欲しいと思う。刹那が笑う度、ニールはもっともっと刹那が愛しいと思う。
「さぁ、行くぞ」
 ニールが言った。画像の中の刹那もこくんと頷いた。

「ところでさ――イノベイター狩りって何だろうね」
 まだ年端のいかないそばかすの少年、フランス系のアデラールが訊いた。ラグランジュ3の食堂が一気にしんとなった。
「あのね……アデラールくん――少しは空気読めよ。今はセルゲイとソーマ・ピーリスの婚約式だぜ」
「でも――兄貴達見てると、わざとそのことから避けようとしているような気がして」
「おお、よくわかったな」
 酒をきこしめしてひっく、としゃっくりをあげたバルドゥルが言った。
「バルドゥルの兄貴――酒臭いっすよ」
「悪かったな。――ベル、お前さんはイノベイター狩りのことを知らないんだろう? じゃあ、それでいいじゃねぇか」
「――べるはしらないけど、とうさまとかあさまならしってるかもしれないの」
「僕は知らないよ」
「僕も知らないな――」
 アレルヤとティエリアが顔を見合わせて言った。
「でも、いまはたのしいからだまってたの――」
 ベルベットは済まなそうに俯いた。バルドゥルが笑った。
「見ろよ。アデラール。ベルの方がよっぽど空気読んでるじゃねぇか。なかなか――否、すげぇ賢い子だぜ。神童じゃあるまいか? アレルヤとティエリアの娘だもんな」
「う……」
「バルドゥルさん、神童は言い過ぎですよ」
 アレルヤの台詞にも得意げな響きがある。
「まぁ、ベルはティエリアに似たのかもしれませんね」
「とうさまにも似たのー」
「はいはい。ありがとうね。ベル。そのふかふかのほっぺにちゅーしてもいいかな?」
「いいのー」
「全く――すっかり子煩悩になってしまって……」
 ティエリアが複雑そうに見守る。
「あの……俺……」
「いいんだ。アデラール。どの道避けては通れない道だ。それに、刹那もニールもそれぞれに頑張っている」
「……済みません」
「さぁ、泣くのはよすんだ。このハンカチを貸してやる」
 ティエリアはきちんと折り目のついたハンカチをアデラールに貸してやった。アデラールは、礼を言って、ハンカチを使った。アレルヤがアイロンをかけて綺麗にしたハンカチである。
「ベルベット――父様と母様というのは、あの世界の父様と母様だね? 君が元いた世界の――」
 ベルベットは神妙な顔をして頷いた。
「平行世界の父と母か――確かに何か知っているかもな」
 イアンが手を顎にやって呟いた。平行世界のことは、イアンも聞いている。
「ミレイナも知りたいですー」
 ミレイナ・ヴァスティが手を挙げた。ミレイナの母リンダも頷いた。スメラギ・李・ノリエガが言った。
「私も知りたいわ。ベルちゃん」
「じゃあ、待っててなのー。今、父様と母様出すから」
「父親と母親を出すって――四次限ポケットじゃあるまいし」
 ライルが冗談を飛ばす。――冗談なのだろう。多分。
「このぺんだんとがあれば、いつでもとうさまたちとおはなしできるのー」
 ベルベットが首にかけていたペンダントを指差した。ティエリアは目を瞠った。
「そのペンダントはそんなことが出来るのか――ベルベットが大事にしていたのも道理で納得できるな――」
「ちょっと待っててね。――あ、とうさま、かあさま」
 ベルベットが嬉しそうな声を上げる。やはり、実の父親と母親には敵わないのだろうか。ティエリアはほんの少し苦く笑った。けれど、ベルベットへの愛なら、自分達だって負けない。
 初めから、どこかで会ったような気がしていた。ベルベット――。
 ペンダントの光の中で、アレルヤとティエリアの立体映像が映った。あれはどういう仕掛けで映っているのだろう――ダシルがぶつぶつと呟いた。
『何だい? ベル――』
 映像の方のアレルヤが言った。
「ほう。アレルヤとティエリアにそっくりじゃねぇか。その二人は――」
 バルドゥルが感心しているようであった。それも当たり前だろう。アレルヤは吃驚していたようだった。あれがベルベットの両親の僕達か――と。ティエリアも、話には聞いていたが、目にすると驚きが先に立つ。けれど、この二人は、どこかの世界にいるアレルヤとティエリア本人なのだ。
「とうさま、あのね、いのべいたーがりってなに?」
『そうか――とうとうベルベットの耳にも入ってしまったか……』
 映像のアレルヤの顔が強張る。
「私も本当のことが知りたいわ。貴方もでしょう? グレン」
「ああ」
 王留美の台詞にグレンが同意した。この二人もさっきまでの騒ぎには目を瞑っていた。というより、片隅で何かぼそぼそと相談していたようだった。
『イノベイターについては聞いたか? ベルベット』
「うん。にんげんよりもえらいんでしょ?」
『そんなことはない!』
 映像の方のティエリアは激昂した。
「だって、りぼんずおにいちゃまそういってた――」
『ベルベット、それは間違った考えなんだ。僕達が人間より偉いとか、そういうことはない』
「そうだぞ。ベルベット。人間だって、これはこれでなかなかしぶとい存在なんだ――」
 イアンがベルベットの頭を撫でる。
『いいですね。イアンは――』
 立体映像のアレルヤが溜息を吐く。
「ん、どうしてだ?」
『ベルベットの頭を撫でることが出来て』
「はっはっはっ。親馬鹿炸裂だな」
 ――バルドゥルが豪快に笑う。皆がくすくすと笑う。
「イノベイター狩りのことについて教えて欲しいんだが――イノベイターは、君の世界ではこちらの世界でよりももっと迫害されているのかい? ベルベットの父親のアレルヤ・ハプティズム」
 ティエリアの質問にアレルヤの顔から笑みが消えた。彼の顔に悲しみの色が浮かぶ。そうして、彼は答えた。――そうだよ、と。

2017.11.26

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