ニールの明日

第二百二十七話

 話は少し前に遡る――。

「大変です! 皆さん!」
「あら、フェルト。いつの間にここから離れてたの?」
 ――と、クリス。
「それどころじゃないんです! ――ダブルオーライザーが攻撃されました!」
 ダブルオーライザー。ニールと刹那の乗っている機である。食堂は一斉にパニックに陥った。ベルベットが泣き出した。災厄の予感を嗅ぎ取ったのだろう。
「大丈夫だよ。ベル。でも、ニールと刹那は僕の大切な仲間だからね。いい子にして待っててね」
「――ヒリングにリヴァイヴ……あいつら……」
 ティエリアがぎゅっと拳を握り、唇を噛んだ。――血の味がした。アレルヤは持っていたティッシュでティエリアの口元を拭う。
「ティエリア――せっかく綺麗な唇をしているんだから、傷つけないで……落ち着いて……大丈夫だから」
「アレルヤ! ニール達の様子を見に行くぞ! オペレーションルームまで!」
「うん、そうだね。ティエリア」
 アレルヤが食堂から出て行った。ティエリアもついて行こうとする。ベルベットがティエリアの紫基調の制服を掴んだ。
「かあさまもいっちゃうの?」
「ああ――放ってはおけないからな」
「ベルのことは俺に任せとけ」
「悪い! バルドゥル!」
 ベルベットは名残り惜しそうにティエリアの服の裾から手を離す。ティエリアがアレルヤの後を追おうとした時だった。立体映像の方のティエリアが叫んだ。
『ベルベット! その男から離れろ!』
「え――?」
 ベルベットがバルドゥルの方を振り向こうとする。――バルドゥルはベルベットを羽交い絞めにした。
「いやー!」
『バルドゥル――貴様、狩人だったんだな』
「何だって?!」――ティエリアは目を瞠った。
「そうだ――この世界にもイノベイターがいると知って、ここに潜り込んだんだ。俺はイノベイターが憎かった。俺は人間代表だからな。正体は隠していたが、流石にティエリアの目は誤魔化せなかったか――」
 ――すっかり騙されていた。バルドゥルがイノベイターを敵視していただなんて。この世界のティエリアはそう思った。
「バルドゥル、どうしてイノベイターが憎いと?」
「イノベイターと人間は相容れない存在なんだ」
「違う!」
 鋭い声が飛んできた。――コールリッジだった。
「俺は――お前がどんなに正義感の強い奴か知ってる。――いい漢かも知ってる。だって、俺達は仲間じゃないか」
「仲間ね……モンスターか人間もどきといった輩が仲間ね……」
「お前……俺達はいつも一緒だったろ? 一緒にラグランジュ3を護って来たじゃないか。忘れたのか? お前が狩人やらスパイやら何やらでも、お前は俺のダチだぜ」
「そりゃ、お前は人間だからな」
「べるもにんげんなの!」
「ああ、そうさ――イノベイターに生まれたくて生まれて来た訳じゃないんだ。――ベルベットは」
 そう言ったティエリアは、こういう時に武器を携えておかなかったのを後悔した。それでも何か武器になるものはないかと探していると、立体映像の方のティエリアの瞋恚に燃えている赤い瞳と視線がぶつかった。こんな場合だが、自分の瞳の色は刹那のそれと似ているな、とティエリアは考えた。
『バルドゥル――ベルベットを傷つけたら許さないからな……』
「バルドゥル!」
 コールリッジがまたも叫ぶ。
「お前にとっては、俺達はただの書き割りかもしれない。けれど――俺は、お前と一緒にいる時が一番楽しかった! そんな楽しかったことまで――黒歴史にさせるんじゃねぇよ! お前はイノベイター狩りをしているバルドゥルじゃない! CBの一員なんだ! 俺達と同じなんだ!」
 コールリッジは泣いている。
「アンタと過ごしたこと……悲しかった思い出にすんじゃねぇよ……」
 ――その時、ティエリアの頭の中に、バルドゥルの脳裏を過ったと思われる場面が流れ込んできた。
(俺はバルドゥルだ。みんな、仲良くしてくれよな!)
 その明るい自己紹介の陰に、何でこんな辺鄙な場所に飛ばされたんだ、と感じる忸怩たる思い。でも、その中でコールリッジと深めた友情。酒で同僚を酔い潰してしまった思い出。コールリッジと笑いながら肩を叩き合って――。そして――バルドゥルは、何とかここを離れずに済む方法をいつしか考えるようになっていた。
「バルドゥル……」
「ああ――俺の心を読んだのか……ティエリア……」
 バルドゥルは力なく微笑んだ。腕の力が緩んだらしい。ベルベットがバルドゥルの方を見ようとした。
「ばるどぅるおじちゃま、どうかしたの? べる、わるいことした?」
「悪くねぇよ。ベル嬢ちゃんはなぁんにも」
 バルドゥルが笑みを深くした。
「すまねぇ。コールリッジ……ティエリア……俺は、自分のやることを見つけたよ。――俺は、イノベイター狩りをやめる。やめて、ずっとここにいる」
「それがいい」
 バルドゥルにティエリアは頷きかけた。
「ばるどぅるおじちゃま、べるもずっとおじちゃまといっしょなの」
「ああ、そうだな――かつての仲間を裏切ることになるが、まぁ仕方がない」
「イノベイターが何者かがわかれば、誤解を解くことも出来るのでは?」
『それは無理だ』
 硬い声が聴こえる。立体映像のティエリアだ。
『僕達は何度も何度も説得を試みた。けれど、奴らはきいてくれなかった!』
『ティエリア……』
 映像のアレルヤが切なげに眉を寄せる。
『けれど、僕達はそういうものだとわかってもらうしかないんだよ。終わりなき対話だ』
『そうだな――今みたいなケースもあるものな。バルドゥルとやら。アンタはイノベイターは悪だと教えられて来たんだろう』
「ああ。そこにいる立体映像のティエリアとアレルヤも、一発でイノベイターだとわかった」
 バルドゥルはベルベットを床に下ろした。ベルベットは「かあさま」と言ってティエリアに抱き着く。ベルベットからはふんわりと柔らかい匂いがする。
「ティエリア。――ここにはお前達が来るまでイノベイターと言う人種はいなかった。俺は、肩すかしを食らいながらも、心のどこかで、ほっとしてたんだ――」
『バルドゥル、君は、イノベイターを殺したことはあるのかい?』
 と、映像のアレルヤ。
「訊かないでくれ。――アレルヤ。今は……」
『わかった。変なこと訊いて悪かったよ』
「おら! バルドゥル!」
 コールリッジが勢い良くバルドゥルの背中を叩く。
「これからも、宜しくな!」
「ああ――」
「それよりも……攻撃されたダブルオーライザーの方が気になるな」
「――僕もだ」
「にーるおにいちゃまにせつなおにいちゃま、しんじゃうの? せんそうなの?」
「それを確かめにこれから行くんだ。まぁ、十中八九アロウズの仕業だろうな」
「あろうずがおにいちゃまたちのことをたおしたの?」
「いや――ニール・ディランディ達が倒れたとの情報はまだ来ていない。あいつらのことだ。悪運で何とかなるだろう」
 ティエリアは自分に言い聞かせるように言った。
「行ってきな。ティエリア。ベルの面倒だったら俺が見る――さっきも同じようなこと言ったがな。でも、意味はさっきと百八十度違うからな」
「バルドゥル……アンタがベルに面倒見てもらう立場なんじゃねぇのか?」
「うっさいぞ、コールリッジ」
「いてっ」
 バルドゥルはコールリッジの頭をほんの軽く叩いた。
「べる、ばるどぅるおじちゃまとこーるりっじおじちゃまといっしょにいるー」
「おじちゃま……」
「ははは、コールリッジ。俺の気持ちがわかったろ」
『僕達もいるよ』
 映像のアレルヤが言った。まだ気分が昂っていても、穏やかさを取り戻しつつあるアレルヤの傍らのティエリアも『ああ』と同意した。ベルベットはにこっと笑って言った。
「かあさま、こわいおかおしないの。しあわせがにげていくから」
『誰が言ったんだい? そんなこと』
 ベルベットの実の親である方のティエリアが訊いた。
「とうさま! ここにいるほうのとうさまがいったの」
『そうか。――いい父様だ。……教えられたよ。ありがとう』
 ――じゃあ、行ってくる。そう告げて、ティエリアはオペレーションルームへと急いだ。ニールと刹那のことだ。こんなところで死なないとは思うが、宇宙に放り出されたら手も足も出ないからな……。

2018.01.06

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