ニールの明日

第二百二十八話

 ティエリア・アーデが目的地に急いでいると、ミレイナ・ヴァスティに出会った。
「アーデさん! 今行こうとしていたところです!」
 ミレイナは人をラストネームで呼ぶことが多い。
「それは悪かった。こっちもちょっといろいろあってね」
「ミレイナ、さっきまでパパ達と一緒にいたのです。アーデさんも大変なのですね。でも――」
 ミレイナはティエリアの両手を小さな手で覆った。
「――頑張るのです!」
「ああ」
 ティエリアはミレイナの髪を撫でた。この少女からは清潔なシャンプーの匂いがした。――ミレイナは顔は母親似である。この少女は自分も不安だろうに、ティエリアを元気づけようとしてくれたのだ。
「ニールさんとセイエイさんはきっと無事です。――ベルちゃんのところへ行って来るです」
「――わかった。頼んだぞ」
 バルドゥルがいくら改心したと言っても、ティエリアからは一抹の不安が拭い切れなかった。――大丈夫だとは思うが。オペレーションルームに着くと、アレルヤが振り向いた。
「ティエリア! 何してたんだい?!」
「ちょっとな。それよりどうしてここにはアレルヤとイアンしかいないんだ!」
「お前さんが言うな。この部屋の連中、あんまり煩いんでアレルヤ除いて全員追い出してやったんだよ! ――ちっ、こんな時に限ってリヒティもラッセも来やがらねぇ!」
「言ってることが無茶苦茶ですよ!」
「それは置いとけ、アレルヤ。――イアン、ニール達の様子はどうだ?」と、ティエリア。
「ん……データが暴走してて……ん?」
 イアンがモニターとにらめっこをしていた。しばらくして、ディスプレイにこんな文が浮かび上がった。
『こんにちは』
「ん? こんにちは?」
『よかったです。やっと言葉が通じましたね。我々のことはELS(エルス)と呼んでください』
「エルス……?」
『Extraterrestrial Livingmetal Shapeshifter.地球外変異性金属体と申します』
「は、はぁ……」
 イアンが気の抜けた声を出す。金属って――ティエリアも少なからず驚いた。
「その――ELSさんはどこからやって来て、何をしようと言うんですか?」
 と、アレルヤがタッチパネルで文章を入力する。
『私は――仲間を増やしたいのです。我々は脳量子波でコンタクトを取っています。地球の生命体と是非ともコンタクトを取りたいのです。それには、イノベイターと友好を結ぶのがまず最適と判断しました』
「それはそれは……」
 アレルヤが再びタッチパネルに手を伸ばした。
『ああ、そのままで結構です――我々は貴方がたの声を聴くことが出来ます』
「それはすごいね……」
 アレルヤは呆けているようだった。ティエリアがこう言う。
「ELSとやら。僕もアレルヤもイノベイターという存在らしい。――まぁ、僕としてはまだ人間でいたいのだが」
『その声は、ティエリア・アーデですね』
「そうだ。宜しく頼む」
『で、その隣にいるのがティエリアの伴侶のアレルヤ・ハプティズム』
「やぁ――伴侶だなんて……」
 こんな場合だというのに、アレルヤはやに下がっている。頭でもはたいてやろうかとティエリアは思った。
『しかし、全くの異種のイノベイターも数々存在していますね。元は人間だった者。そして――イノベイター同士の両親の元に生まれし者――』
「それはベルベットのことかい?」
『アレルヤ――貴方は超兵と呼ばれる存在ですね?』
「はぁ、まぁ、一応――マリーもそうだと思います」
『マリー・パーファシー……ソーマ・ピーリスのことですか?』
「はい、そうです、そうです」
 アレルヤは勢いよく、こくこくと頷いた。
 それにしても信じられない学習能力だ――ティエリアは舌を巻いていた。咥え煙草のイアンが言った。
「おい、ELSとやら――お前らの姿が見たい。――と、やっぱり無理か?」
 イアンの言葉にモニター画面が切り替わった。
「ほう、これは――」
 それは、密集した金属片の塊だった。美しいと言えば美しい。イアンが感嘆の声を上げたのもわかる気がする。
『これは私達の仮の姿です。私達は何にでも姿を変えられます』
「そうか――すげぇな」
『あなたの友人達は――無事です。我々が助けに行きました』
 とても美しい声が聞こえる。鈴の音を振るような――。ELSの声だろうか。
「ELS――君達の目的は何だい?」
 ――アレルヤが訊く。
『私達は、貴方がたの友達になりたいのです』
「それだけ?」
『はい』
「まぁ、それについちゃやぶさかでもないがな――しかし、お前らは本当に金属なのかい? 随分綺麗な声をしてるじゃねぇか」
『お褒めにあずかり光栄です。イアン・ヴァスティ』
「俺の名前も入力済みか」
『本当は脳量子波でコンタクトを取るのですが、この地球語も習っている最中です』
「そうか――この宇宙を制するのは、俺達人間じゃなくて、案外アンタ方――ELSかもしんねぇなぁ」
『貴方の仲間、ニール・ディランディと刹那・F・セイエイを迎えに行ったのは、我々の中でも無口な者が多いですから、コミュニケーションをまともに取るには時間がかかるかもしれません』
「ということは、アンタ方はお喋り雀って訳だな」
 イアンが言った。
『貴方は面白い方です。イアン。私達の友達になってくれればいいのですが』
「もう友達だろ?」
 ――天上の音楽もかくやという美しい調べが流れた。ELSが喜んでいる。ティエリアには訳もなくそれがわかるのだ。ELSは、人間より、イノベイターよりも遥かに優れた存在なのかもしれない。
「君達に敵意がないのは有り難いと思っている」
 朗々とティエリアが声を響かせた。
「君達はどこから来たのかい?」
『――外宇宙からです』
「地球では、人間とイノベイターが争い合っている。無駄なことだとは思わないか?」
『思いません。ああ、そういう考えもあるのだな、というぐらいで――』
「君達と話していると、フウイヌムと話しているガリバーのような気になるよ」
 ティエリアはそう言って肩を竦めた。
『我々はそんな大層なものではありません。貴方がた人間の進化の方が面白いです』
「ダーウィンが聞いたら喜びそうだな。――ニール達は君らが助けてくれたのか?」
『はい。――僭越ながら、私達の仲間が。と言っても、私達は部分が全体なのですが』
 イオリア・シュヘンベルグがELSの存在を知ったらどうするだろうとティエリアは考えた。それでもやはり対話を尊重するのであろうか。
『ああ、嬉しい――我々が貴方がたに会えたことが嬉しいのです。貴方がたは未知なる因子ですから』
「気に入ってくれてありがとよ。人類も捨てたもんじゃねぇだろ。ELSさん」
 イアンが立ち上がって今まで吸っていた煙草をギュッと踏みつける。ティエリアは密かに眉を顰めた。
 ――イアン……バタバタしてて忘れていたが、この部屋は禁煙ではないか!
『本当は貴方がたと同化したいのですが――これは本人の希望にもよりますし』
「金属の体になるのも面白いかもしれんが、生憎、まだ心の準備が出来てねぇしな」
「イアン」
「何だ? アレルヤ」
「あなたが物に動じない性格なのは知っていましたが――金属片と十年の知己のように言葉を交わせるなんて……あなたはやはりすごい人だ」
「どーも。ティエリアだってこうしてお喋りしてるだろ。このELSには人の心の頑なな部分を溶かしてしまう作用があるらしい。……俺は神様と話している気分になったよ。神なんて柄じゃないがな」
『ありがとうございます。けれど、私達はしばらく様子を見ていました。自分と異質なる物と言うだけで、攻撃する者もいますから――』
「返す言葉もねぇや」
「その通りだな。――嘆かわしい」
 イアンとティエリアが顔を見合わせて、うんうんと唸った。
「遅くなって申し訳ありません!」
 シュン! 扉が開いてリヒテンダール・ツェーリとラッセ・アイオンが飛び込んで来た。

2018.01.16

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