ニールの明日

第二百二十五話

「イノベイターって言うのは、俺らとどこが違うんだ?」
 ラッセ・アイオンが訊いた。
『直接話をしなくても、脳量子波で語り合ったり、寿命が人間の二倍以上になったり――』
「――それは嫉妬だな」
 イアン・ヴァスティが呟いた。
『イアンさん――?』
「アレルヤ――お前らは嫉妬されてるんだよ。『イノベイター狩り』の原因になったのは多分、嫉妬だ」
「えー?」
 リヒテンダール・ツェーリ――リヒティが意外そうな声を出した。
「俺、ただの人間っスけど、それを不満に思ったことはありませんよ」
「そりゃお前はそうだろうよ。というか、お前はただの人間じゃないって」
 イアンが苦笑した。
「りひてぃおにいちゃまもにんげんじゃないの?」
「んー、端的に言えばサイボーグだな」
「べるがなおせない?」
「――残念ながら今のベルでは無理だな。でも、その優しさを保つことは出来るよ」
 イアンが慈愛を込めた目でまたベルを撫でる。
「いあんのおじちゃま――」
「何たって、アレルヤとティエリアの血を引いているもんな。強く優しくなるのは当然だよ……」
『照れるな……』
『僕もだ……』
 映像のアレルヤとティエリアが手を取り合った。
『ところで、ニール・ディランディはどこだい? もしいたら呼んで欲しいんだが――駄目ですか?』
「――ああ。あいつらは今、アロウズに向かっている」
「アロウズ――?!」
 映像のアレルヤの顔が気色ばむ。ティエリアもだ。
『アレルヤ――もしかしたら僕達は無駄なことをしてしまったのかもしれない』
『ああ――ニールにベルのことを託そうと思ってたのだが――』
「なるほどね」
 イアンが煙草を取り出してライターで火を点けた。煙が辺りを包む。――リヒティが眉を顰める。ティエリアも。ティエリアは、あまり煙草の臭いが好きではない。我慢を強いられた時は我慢するが――。
「イアン・ヴァスティ。その煙草をしまってくれないか?」
「ん? 済まんな。ティエリア。大人の男にゃ煙草でもなきゃやってられない時もあるんだ」
「じゃあ、俺も大人の男だから吸ってもいいな」
 ライル・ディランディが言う。
「お前のどこが大人だ。――まだ鼻たれ小僧のくせして。大人の男とは、妻子を持って初めて名乗れるもんだぜ」
「パパは大人ですぅ」
 ミレイナが舌っ足らずな声を出す。ミレイナは皆に可愛がられている。その幸せな環境が、ミレイナ・ヴァスティという少女の個性を生んだのだろう。ティエリアが初めは厄介に思っていたミレイナも、今はCBの清涼剤となっていた。それに――ミレイナは賢く有能だ。まだ子供なのに。
(流石はイアン・ヴァスティの娘といったところか――)
 イアンも、ミレイナの台詞が嬉しかったらしく、
「おう、ミレイナはパパのことわかってくれるか」
 と言って、愛おしそうに笑顔を見せる。
「パパ、笑顔も素敵ですぅ」
 と、ミレイナも嬉しそうだ。イアンがますますデレっとする。
「あのな、アニュー……あれが大人の男だとは俺には到底思えないんだが……」
 ライルの言葉にアニューは可憐にこう答える。
「そういうものですよ。大人の男の人って。イアンさんは娘さんが可愛いのね」
「そうか――じゃあ、俺達も今から娘を作ろう!」
「悪いけど、私、薬を作り直さなければならないから――」
「そ、そうか……頑張れよ……」
 ライルは項垂れた。
 何をやっているんだか、あいつらは――ティエリアはライルとアニューのやり取りを聞きながら呆れていた。基地の従業員達は、「あいつら、仕様がねぇなぁ」と言った風に苦笑いをしている。
「アレルヤ、ティエリア」
 凛とした声が響いた。王留美だ。
『王留美……そちらの世界での王留美もお元気でしたか』
「ええ。ところで今日、おめでたいことがありましたのよ」
『何でしょう』
 如才なくアレルヤが訊く。
「なんと、セルゲイ・スミルノフ大佐がソーマ・ピーリスさんにプロポーズいたしましたのよ」
『え……? セルゲイ・スミルノフ――『ロシアの荒熊』が?』
 映像のアレルヤがぽかんとしている。セルゲイ・スミルノフといえば、アロウズの重鎮である。アレルヤの反応からすると、セルゲイはそちらの世界にもいるのだろう。彼はどんな運命を辿っているのだろうか。――そして、ソーマ・ピーリスやアンドレイも。ソーマやアンドレイもいたらの話であるが。
「まさか、あんな情熱がスミルノフ大佐に備わっているとは思いもよりませんでしたけれど」
 王留美は鳩のようにくっくっと声を立てる。
「私も意外でした――」
 ソーマ・ピーリスが歌うように呟く。
 けれど、セルゲイが『ソーマ・ピーリスは私の妻だ』と言った瞬間、ティエリアはその深い想いに背筋に電流が走ったのを覚えている。自分はアレルヤといて幸せだ。ベルベットという存在のおかげでますます幸福になっている。それで、セルゲイの中の何かが触発されたのであろうか。
 例えそれが、イノベイター狩りという人災のもたらした幸せだとしても――。
『それは、おめでとう……』
『セルゲイ……幸せになれ』
「――ありがとう」
 映像のアレルヤとティエリアの言葉に、セルゲイはぐっと胸を詰まらせたようだった。
「ところで、リボンズはセルゲイのことは話題にしなかったな」
 イアンが言った。
「きっと、私はただの人間ですから、用済みと思われたのでしょう」
「だとしたらまだいいがな――セルゲイ、ソーマは頼んだぞ」と、イアンが続けた。
「言われなくとも、ソーマ・ピーリスは護ります。ソーマ・ピーリスは私の娘で――妻だ」
 方々から口笛が聞こえる。ティエリアは困ってしまった。話があっちこっちに飛んで、どこから辿ればいいのかわからない。――そうだ。ベルベットだ。
「アレルヤ・ハプティズム。それから、もう一人の僕。ベルベットを生んでくれてありがとう」
「ありがとうなの~」
『あ、いや……僕達は、いや、僕は大変なことしていないんだ。ベルベットは辛かっただろうけれど――その分愛しい娘になったと思う。ベルベット、生まれてきてありがとう』
「はーい、なの」
 ベルベットは嬉しいことを言われていると悟ったらしく、万歳をした。
「このベルベットちゃんみたいな存在を護る為に、平和な世界を作ろうと私達は決心したのです」
 ――王留美が宣言した。
『へぇ……』
「どうかしましたか? 映像の方のティエリア・アーデ」
『いえ――貴方がそう言うとは思わなくて……そんな殊勝なこと考えてらしたなんて』
「まぁ。私を何だと思っていますの? ティエリア。……でも、グレンやベルベットちゃんがいなければどうなっていたかわかりませんわね。後、お兄様の存在も大きかったことですのよ」
『――アレルヤが言っていたことがある。人は、幸せになる為に生まれてきたのだと――』
 映像のティエリアが涙を一筋、こぼした。
「泣くことないぜ――ティエリア。ここには仲間が沢山いる。――まぁ、イノベイターでない奴らも多数いるがな」
「そう。かくいう俺は人間代表だぜ」
 バルドゥルが力こぶを作ってみせる。イアンが頷いて続けた。
「アレルヤ、ティエリア。お前さん達の苦労は全てはわからないかもしれない。だけど――理解したいと願っている奴らがここにいることを覚えていてくれ」
「はい……」
「ありがとう。イアン・ヴァスティ」
 ――ティエリアが眼鏡を外して指で涙を拭った。
「だ……駄目です、ティエリアさん! 擦ったら目が赤くなっちゃいます。――はい、これ」
 アデラールがティエリアに紫色のハンカチを差し出す。バルドゥルが嘲笑した。
「馬鹿だな。てめぇは。そっちのティエリアは立体映像だぜ。そのハンカチで涙が拭ける訳ねぇじゃねぇか」
 男どもがはっはっはっと笑った。そのハンカチは僕のなのにな――と、こちらの世界のティエリアは思う。だが、このバイプレイを皆が楽しんでくれたなら、そう悪いものでもない。ティエリアはアデラールに感謝の念を抱いた。俺はオペレーションルームに行ってっからな――とイアンが言い残した。ミレイナもついて行ったようである。

2017.12.17

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