ニールの明日

第二百二話

「ベル、そのペンダントは大事な物なんだね?」
 アレルヤがベルベットに訊いた。
「うん!」
 ベルベットはアレルヤに向かって頷いた。
「それからね……さっきはごめんなさいなの……」
「いいんだよ」
 アレルヤがベルベットの菫色の髪を撫でる。ティエリアの眼鏡の奥の目も心なしか優しく見えた。
「そのペンダントは持っていていいから」
 と、アレルヤ。
「――いいの?」
「ああ、いいとも。ね? ティエ」
「ああ」
 二人に許可を得て、ベルベットは嬉しかった。
「でもね。首にかけると危ないからね。ペンダントのチェーンをぎゅーっと握っているんだよ」
「ぎゅー」
 アレルヤの言葉に、ベルベットはチェーンを握りながら笑う。
「ベルベット、いい子だ」
 ティエリアもベルベットに微笑みかける。
「らいるおにいちゃまにとうさまとかあさまとなかなおりしたこというのー」
「ライルがいたのかい」
 ティエリアが目を丸くした。
「やさいばたけにいたのー」
「そうか。……あの男はヘビースモーカーだからな……ベルベットが言うのはおそらく農園のことだろう。――農園で煙草吸ってなきゃいいが」
「らいるおにいちゃま、たばこすってたのー」
「……野菜がやに臭くならないといいがな」
 ティエリアが呟く。
「らいるおにいちゃまもおなじようなこといってたのー。かあさまにちゅういされるっておもったのね。らいるおにいちゃま」
「む……」
 ティエリアは一瞬口を噤んだ。
「ははは、ティエリア、一本取られたな」
 アレルヤの笑い声に、
「ライルめ……後で覚えてろよ……」
 と、ティエリアが小声で言う。
「そうだ。ベルベット、僕はこれからシャワー浴びるが、君は?」
 ティエリアが質問する。
「ん……眠いの……」
 ティエリアの顔が愛娘を慈しむ母親の顔になった。
「シャワーは嫌いか? ベルベット」
「好きなのー」
「今日はお漏らしをしたから、やはりシャワーを浴びた方がさっぱりするのではないか?」
「くりすおねえちゃまにおむつかえてもらったのー」
「そういうことは言わなくてもよろしい」
 ティエリアが頬を赤くしながらごほん、と咳払いをした。
「後でクリスにお礼言っておくよ」
「頼む――アレルヤ」
「僕もシャワー浴びていいかな」
「僕達の後にしろ――こう見えて、ベルベットはレディーだからな」
「べる、れでぃーなの!」
「――という訳だ。アレルヤ、先に寝ててもいいぞ」
「冷たいなぁ、ティエリア」
 それでも、アレルヤは先に寝床に入って行った。

 アザディスタンの王宮――。モニター室でマリナは何かを待っていた。
 いや、ただ待っているのではなくて、何か逡巡している心があるのをマリナは自覚していた。
(紅龍――)
 王紅龍の前では、マリナは一人の女としていられる。
 ――やはり、自分から働きかけてみようか。今まで自分は受け身だったから……。自分も紅龍が愛しい――なら、こちらから働きかけた方がいいのではないか。
 その時だった。ラグランジュ3から回線が繋がった。
「紅龍!」
 果たして、それは紅龍からの連絡だった。
『マリナ!』
 そうして――二人はしばらくそのまま見つめ合った。マリナと紅龍はそれに気づくとお互いに吹き出した。
「まるでにらめっこですわね」
『――そうですね』
 そう言って、二人はまた笑う。
「何の御用ですか? 紅龍」
『用という訳ではありませんが――』
 特に用がないというならば、自分達の間にはテレパシーが流れているのだ。マリナはそう思った。
「私も貴方と――お話をしたいと思っていたのです」
『歌でも聴かせてもらえるんですか』
「そうですね。時間が時間ですけど――防音設備は整っていますから。子供達は寝ているので、私がここで」
 マリナが立ち上がって歌を歌い出した。朗々と響く高い美声。紅龍の目から涙が零れ落つ。
 ――マリナは途中で歌を歌いやめた。
「紅龍! 紅龍! どうなさったのですか?!」
『あまりにも美しい歌と声なので……』
「まぁ……」
 マリナは自分の頬が綻びて行くのがわかった。紅龍が言う。
『貴女は世界一の歌姫だ。マリナ――』
「そんなことはありませんわ」
『妹にも聞かせてあげたい。――覚えてますよね。王留美』
「ええ。はっきりと覚えてますわ。個性が強くて、有名な方で――」
『貴女も有名人ですよ。マリナ』
「ありがとう。でも、私は普通の女ですのよ」
『留美だって普通の女だ。グレンにほだされているのだからな』
「あら、敬語が――」
 紅龍は、いつの間にか友達に対するように喋っていたのにマリナは気付いた。
『あ、済みません。その――』
「いえいえ。いいのよ。その代わり、私も敬語を使わなくてもいいかしら。――まぁ、決まり事ではないんですが……」
 紅龍もマリナもまだ敬語を織り交ぜて話している。まるでどうコミュニケーションを取ったらいいかと模索するように。紅龍が言った。
『好きなように話してください。私もそうしますから』
「紅龍……私、嬉しいの。貴方という友達が出来て」
『あの――』
「何ですか?」
『いえ――恋人ではないのかと……』
「恋人になりたいんですの?」
『良ければ』
 モニター越しの紅龍の顔が真剣になる。マリナは照れて俯いてしまった。
「紅龍は――私には勿体ないかと……」
『そんな……マリナ、君こそ俺にとっては高嶺の花だ。マリナはアザディスタン皇女。俺は何の力もない男なんだから。――出過ぎたことを言って済みません』
「そんなことありませんわ!」

2017.4.27

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